第15話
また桂小五郎は元より久坂玄瑞を尊敬しており、共に吉田東洋の暗殺未遂事件を起こした事もあり時には対立もした事があるのだがそういった物を全て含めた上で彼は竜馬とも交友関係がある。
この2人の関係……果たして良い方向で進んだのであろうか?
「松蔭先生からの言伝を届けに参ったのだが、ここにいらっしゃるのではないか?」
そんな声が響き渡る中、英は松蔭先生の文を胸に抱きながら声を発する事が出来ずにいた。
何故ならばその声の先にいる男は彼女にとって決して好意的に接したいと思える相手ではなかったからだ。
それはあの吉田東洋の暗殺事件以来、何度か目にしてきた久坂玄瑞という人物である。
(彼は坂本さんや岩崎さんの事をよく思っていなかったという噂も聞きましたね……)
英はそう思っているのだが久坂に対して悪感情を抱いているわけでもなさそうだ。
何故なら彼女自身が長州藩士と繋がり深いものを持っており彼と共に行動した時期も少なからずあったからだ。
そんな英の考えをよそに、今現在部屋の奥で睨みつける様に立っている男は『吉田寅次郎』という。
この吉田寅次郎という男は後の長州藩の要人となる人物なのだが……その藩内での身分としては〝足軽〟にあたる『三助組』であった事でも知られている。
しかし彼の功績を記すとするならば、鉄砲の訓練施設を作り上げた立役者であるという事が挙げられるだろうか? 砲術の名手として有名な村田蔵六(のちの大村益次郎)より文(書状)を送ってもらっている。
(憧れの存在であった)とこの書状では述べられている。
さらにこの当時、彼にはもう一つ気になる肩書があったらしいのだ。
それは、後に「壮士物」と呼ばれる事になる一冊の草双紙『飛耳長目』を執筆し出版した人物であるという事だ。
ちなみにタイトルの由来は桂小五郎が連れていた犬であるとされるのだが真偽の程は定かではない(現在国立国会図書館に収蔵されており、現在は『吉田寅次郎氏文庫』にて公開)
そんな事を考えながらも英がここに来た目的である物を口に出した。
「こちらが桂さんからお預かりした手紙でございます」
彼女はそう口にしつつ久坂に文を手渡すと、そのまま久坂の後ろにいた男に目をやるのだが……その男もまた何故自分がこの場に連れて来られたのかわかっていない様子だったのである。
(そう言えば昨日から黄村某って男と連絡がつかなくなっていましたね……まぁあの怪しげな変装をしてまで旅をしていれば、周りからは疎まれる事でしょうし致し方無いのでしょうけど)
そんな事を考えるとこの文でのやり取りも手短に済まさねばと思い話を切り出そうとするのだが久坂はこんな言葉を返してきたのである。
(どういう事でしょうか?私が今日やって来る事がわかってたとでもいうのでしょうか?)
『飛耳長目』とは現代語で言う所の、いわゆる“二つ名”であるのだが……この『飛耳長目』を記した著者である吉田寅次郎という人物にはもう一つの特徴があったのだ。
それが主に師弟関係の中で知れ渡って行く事となるのだが、寅次郎は人に頼られる事は好きで周りをよく見る事ができる人物であるといわれているし他者の話を聞く事も苦手な方ではないらしい。
しかし彼もまた非常に好奇心旺盛な人物であり、一度気になる事が生じると放っておけない性質でもあるのだ。
その為なのかは定かではないがこの寅次郎という人物は、人力車で人が通れるかという細い足場の悪い道を「度胸試し」と言いながら何気に通ったりもする癖がありその際に感じた事をまた文にて綴るとこうなる。
『耳長半纏が雨に濡れようとも』・・・・・・。
もうすでに理解不能な言葉となっているものの、ようするに
「物事が上手くいかなくて何もかも嫌になっても耳をよく澄ませてみて」
といった意味合いになる様だ。
そんな彼は松蔭から受け取った手紙にて『英の逃亡先』についてと、『その逃走先が長州藩の手によって既に抑えられているか』という事に関して書かれていた様でありそれを確認すべくここに来たのだろう。
そういった事情で久坂は成程なと思いながらもそれ以上何も言わない事を英に告げるとその場を立ち去ってしまう。
英はというと、この後寺田屋の方へと向かわねばならない為か久坂と同じくその場から去って行く事になったのだが、逆にこの状況で寺田屋へと連れて来られた男……河上彦斎(3日間にて襲名し元の名は黒田了介)はこの一連の流れを見て思った事がある様だ。
(コレが今話題の英殿というお方か?噂に聞く程、頭が切れそうでも無いように思えるが・・・しかしあの吉田寅次郎殿と親しくしていたと言うのにその頭脳を疑うというのは失礼千万。
しかも我が師より聞いていた話では、確か吉田松蔭先生がこの英を大層気に入っておった様じゃし)
河上はそんな事を思いながらも今は素直にここ京都にて英の後を追う事にするのだが……一方こちらは久坂の方ではというと彼なりの考えを口にしながら歩み続けていた。
(噂に聞くあの『英の頭脳』とやらにも、弱点はある様だな)
そんな思いを抱きつつもこの様な事を口にし続けていた久坂に対し、何とも表現しづらい感情が沸き上がっている河上なのだった。
「良からぬ気配がしないでもないが……しかし悪意があるとも思えぬ」
(これまた不思議な感覚がする御仁であるな)
『河上彦斎』とは、のちの江戸幕府最後の老中として『徳川慶喜』を担いで京の町にて挙兵した人物として知られているが……。
彼もまた久坂と同じく長州派の重要人物である。
河上はそんな今現在自分が置かれている立場に胸を躍らせながらも、ふと英の事を思い出していた。
(噂とは違い何とも可憐な女子(おなご)
ではないか?もし生きていれば松蔭先生と同じく我が師であったであろう)
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