第14話
『山田顕義』とは、幕末期に土佐藩出身の軍人・政治家である。
元治元年(西暦1864年)に行われた四カ国連合艦隊による『下関戦争』にて『戦闘中負傷』し再起不能の宣告を受けていたのだが後に再起に成功し長州藩へと迎えられる事になる。
鳥羽伏見の戦いの時、藩兵を率いていく中で京都へ行こうとする久坂玄瑞と桂小五郎一行と出会う事となり京で別れる際には
「決して早まるな。今や皇国(日本)の一大事ともなりつつある」
と忠告を残す事になるのだ。
そんな彼が『死を覚悟した松蔭』に残している遺言とは一体どんなものであったのか? 直接手紙を読んだ訳では無いにせよその偉大さを偲び久坂は英より渡された手紙を広げて黙読し始める。
「彼は何か書物を書くつもりはないだろうか?」
と 師の伝言を受けとった久坂が手紙から目を離すのをじっと待っていた英に対し
「共に京へ向かいませぬか」
と声をかける。
しかし英は首を横に振った後、申し訳無さ気にこんな事を口にしたのである。
(すいません、私はここから動けませんのです)
確かに今の彼女には何か手だてが必要だったようでもあり、すると何故か彼女はこんな言葉を口にするのである。
『延寿王院』とは、土佐出身の僧である了翁によって1396年(応永元年)に創建された寺院であり、五重塔が国宝に指定されているのは有名であろう。
そんな金色に輝く金箔瓦が目を引く五重塔はこの延寿王院の山門より少し上にあるのだが……久坂の知る限りこの建物は数年前に修復された物であると記憶していたのだが……。
だが目の前の建造物は確かに朽ち果てながらも何とか立っている。
(確か江戸期頃に造られたものではないか?)
そんな気がするのだが、いかに数年前に修復されたとは言えここまで朽ち果てている所を見るとそう簡単にはいかぬようだなと思いつつ久坂は雪に話かけるのであった。
「先程ここで話し込んでいた男が私の名を……それも死を覚悟した者へと向けた伝言を残していったのだよ」
それを聞くと雪は少し間を置いた後こう答える。
「そのお方は、何かの商いをしているお方ですか?」
雪はそう言いながら寺全体を見まわした上でこんな言葉を続けるのであった。
(まぁ何れにせよ長居するのは拙い場所になるでしょうね)
「成程な」と納得した久坂はこの寺院に背を向けて
「あの男が誰であったかは、神仏のみが知り得る事であろう……英殿失礼致した。何かあれば京にてこの久坂玄瑞まで文を出して頂ければと思います」
そう言いながら頭を下げその場を去る事にしたのだった。
「それにしてもあの男……いったい何処の誰なのか」
そんな彼の呟きを耳にしながら、英はこう考えていた
(松蔭先生からは人との出会いを大事にしろと言われていましたが、これはそういう出会いという事なのでしょうか)と。
そんな胸の内を知らないまま久坂と共に歩み続ける彼女ではあったがこの京にて一番楽しみにしていたのは長州藩の恩人と会えるという事らしい。
『桂小五郎』……久坂と共に行動した旧幕府軍兵士でありその才能を開花させ、一時は油小路事件によって追いつめられる事となったのだが今月程になり勝海舟(幕臣)の手引きにより江戸を逃れたと言われている人物でもある。
そんな人物であるがこの京の地においてどんな行動をする事になるのだろうか? 英が師である象山の遺言を受け取ったのは、師が亡くなる半月程前の事だ。
元々象山は人付き合いを嫌い寺院へと籠る事も多い人物であり松蔭に比べれば英と接する時間も限られていたわけだが……そもそもこの2人の出逢いは7年以上前にまでさかのぼる。
明治維新より数年後、江戸で諸藩の優秀な人材を取り入れ新たな組織として活動を始めた元水戸藩士による機関である『弘道館』には英も入学していた。
のだが……この時に彼女は一人の人物により目をつけられている事に気が付いていなかったのである。
その人物とは、かつて元土佐藩の支藩の生まれでありのちに武市半平太や岡田以蔵らを中心とする『土佐勤皇党』の中心的存在の一人であった坂本龍馬(以後『竜馬)』だ。
そんな彼に目をつけられたのは後の吉田東洋暗殺未遂事件による捕えられた後の話であり、それ以前は勉学を共にする良き友人として師弟関係にも似た関係にあったのだ。
何故ここまで竜馬が英の事を気にかけていたのか?というと……当時京都にて寺田屋騒動の残党による『外国排斥』『攘夷』へ向けた動きがあり、それを快く思わない藩が中心となった新たな政治組織……現・土佐藩管轄の機関である『公儀隠密方』を立ち上げその局長となっていたからだ。
さらにその中には坂本龍馬や中岡慎太郎といった、あの久坂玄瑞に坂本龍馬の呼びかけによって結成されたとされる『亀山社中』と呼ばれる貿易会社を維持・発展させていく中で大きな力となった大商会の会頭である、後の三菱財閥の始まりともされる『岩崎弥太郎』の姿もあったと言われている。
(坂本竜馬はこの『公儀隠密方』において精勤ぶりを発揮しており、それが後の三菱財閥となる元となったとも)
そんな竜馬であったが京都に出入りを頻繁に行なっていた事もあり桂小五郎とは知古であった。
そんな経緯があった為か、彼の興味を引いたのが英と言う存在であり師である象山より預かったある物を京にて受けとりに来るという情報が彼のもとに届いた時、その報告を受けた直後にこんな事を言ったとされる。
『岩崎弥太郎』とは、天保10年(1839年)に土佐の佐幕派武士の家に生まれた青年だ。
坂本龍馬をはじめとした若き英達が集い様々な出会いや試練を経験をし激動の時代を乗り越えていったわけだが、その中において竜馬は特異な存在であったとも言われる事がある。
というのも竜馬は明治維新以降……諸外国が侵略を始めようとし始めている事を予感しながらも自らの力を過信する事も無く、むしろ冷静に……冷静になり過ぎてしまっているとさえ言えるかもしれない。
そんな時代背景において彼のやった事と言えば『愛国主義』とも言える思想を掲げ、いかに国の力を強くする為に行動すべしと語る指導者であったらしいのである。
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