第13話
そして1年前に江戸より京へ戻ってきた久坂は長州藩を脱藩。
禁門の変にて一度出た事がある京へと再び入る事に成ったのである。
そこで彼は松蔭の墓を訪ねるべく京都へ行き、その近くに松下村塾を創立するに至る訳だが……。
それはまた後で語るとしてだ。
「悔しいものだな……武士の魂が履物だったとはもはやお笑い草」
そんな文句を言いつつ江戸から長州へ向かう船に乗り込んでいた久坂は、そのまま京から江戸へ戻る事はなかった。
それは長州の裏切り者の処罰が決まった事に因る物であるのだが……それを知った長州藩がそこまでするかという思いだったと後世に語られている様に事態は大きく深刻なものに成ったと言えるだろう……。
『禁門』の戦いにて失った権威や名誉を回復させるべく時の政権は長州を糾弾するに至った。
所謂『八月十八日の政変』である。
そんな中で久坂が松蔭の墓を訪ねた後に再び京へ戻って来たのはそれから1年が過ぎた翌年の事であった。
(その時の久坂と桂の間で交わされたやり取りについてであるが、それはまた別に語らせて頂くことにしようと思う)
話を長州藩に戻すとして、松蔭の次弟にあたる杉文と桂は兄の死に悲しみにくれていたのだが……そんな彼らの元に松蔭の遺言が届けられたのだ。
「私の志す書を書き表わして遺せし時、此の一通を残し奉らずんば両名共に死すべき様心得べきなり。もし他にあらば一通も残すべからず」
そんな言葉を残された杉文は、何とか兄の願いである書を残してやれないかと考えていたようだが、そんな矢先に京都でおこった尊王攘夷論を唱える一派の京における運動を知った。
その代表とも言える人物こそが『前原一誠』だったのだが……彼は杉文と出会った際こう言った
「尊王攘夷という国策を成し遂げる為に力を貸してくれぬか」と。
その為にも彼らに協力して貰いたいとの言葉に対し桂は
「如何なる書物を書かれますか?」
と聞く。それに対して前原が出した書物が松蔭の『留魂録』でありそれを表装して出版して欲しいと言ってきた事から杉文は彼の願いを聞く事を決断したようだ。
そんなやり取りの中で長州に行く前に桂は久坂と会う約束をし……その席にて「君に書いた物だ」と言って1冊の本を手渡すのだった。
そこには長州藩にて行った運動『天誅組』の活動が記されており、そんな杉文の姿を見て彼もまた天誅組の活動に賛同する為に長州へと向かう事を決意するのであった。
(そして桂も久坂と同じ様に再び長州藩を脱藩する事となる)
そんな松蔭の教えを元に同志と共に行動を開始した2人は、やがて多くの人々を巻き込んでいき……そこから新しい歴史が動き出していく事に成るのだが……。
長州藩が行った禁門での戦を詳しく知らない方の為簡単に言うと『尊王攘夷』という国策を掲げる薩摩藩や長州藩といった派閥に戦争を仕掛けられた朝廷側が、もう一方では長州藩と同じく「討幕派」によって起こされた鳥羽伏見の戦いの後に戦いになっていたわけである。
そんな第2期幕末となる大きな出来事の中に身を投じていった杉文と桂であったが……。
時は少し戻りて
江戸にて。
松蔭の墓前にて杉文と桂が手を合わせる中、久坂玄瑞は熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
(不思議なものだ……私が京都に向かってから7年も経つと言うのに未だにあの地での事を忘れられないとは……)
そんな思いを馳せていた時だ、墓地の入り口付近より先程の女性と同じ着物を着た同年代の女が走ってきたかと思うと「松蔭先生!」
と叫びだした。
(何だ!?)
驚きそちらの方を振り向いた久坂は、息を切らしながら松蔭の墓の方へと走り寄り手を合わせて頭を下げる着物の女性を見ながら思う。
(さて……これはどういう事なのか?)
彼女は未だお参りをしていたが墓を後にした久坂に向かって
「先ほどの話を聞いていたと思いますが」
と切り出してきた。
「あなたは松蔭先生のご親族なのではありませんか?」
そして次にこう言葉を述べるのである。
「私は松蔭先生の恩師であられた佐久間象山が娘にございます」
彼女はそう言って頭を上げた後、しっかりと久坂の顔を見ながら自らの名を告げた。
「お初にお目にかかります。佐久間英と申します」
そこからは雪と英の会話から始まったわけだが……正直言うと自分はそれをあまり覚えてはいないというのが本当のところだ。
彼女の父親は長らく京から東京へと向っていたらしいのだが長州の動きを知ると居ても立っても居られなくなり京へと戻ったらしい。
(既にこの時、英の父は東京を出立し神戸へ向かう船の中に居たそうだが)
佐久間象山が娘である自分宛に残した遺言……それは久坂玄瑞に松蔭の死について事細かに書かれた書状を渡したいというものであった。
それを読んだからには直接会って詳しい話を聞きたいという雪の考えを聞き、ここまで急ぎやって来たらしいのだが……。
「まるで知っていたかのようにお父さんの遺言を読んでおられましたが……あれは本当に偶然だったのですか?」
そう問われた久坂は、雪に佐久間象山から預かった手紙を渡しながらこんな事を考え始めていた。
(お前はこうなる事をわかっていたのか?松蔭先生)
やがて時は立ちて起こりし全てはその始まりへとつながってゆくのであると……。
『佐久間象山』とは、長州藩出身で明治・大正期における日本近代陸軍の創設者として知られる人物である。
かつては軍人であったが戊辰戦争の時に鳴梁の海戦にて敵の砲弾に左腕を吹き飛ばされた後、生死を分ける野戦病院での治療の際に「木鶏図」と言うものを見たのをきっかけに投身を決意し死ぬ事を決意してしまうのだが。
恩師である山田顕義(当時の会津藩家老)からの説得により断念して無事治療を終え長州へと向かい長州藩より長州藩医師として招かれる事と成り藩の要職をこなす事となったのである。
坂本龍馬などと共に海援隊に関係していたとされ、多くの企業家でもあるのだ。
(それだけの人物である彼はこの時『延寿王院』という寺院の住職をしていた)
そんな彼が師でもある父から預かった遺書とは一体どういった内容の物であったのか気になるところだが……。
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