第11話

そして元治元年9月(1864年8月)京の町中に潜伏する志士らと長州藩は結託し倒幕を掲げて動き出した訳なのだが……。

それを阻止しようと考える薩長両藩は、長州藩の庇護下に有る勤皇の志士を引き裂いてしまわないよう様々な計略を講じた訳である。

そんな状況下で元治元年7月(1864年6月)に起きた大火事『丙戌の夜襲』を皮切りに京の町を焼き尽くす事となってしまうのだから何と言えばよいのか……

(ちなみにこの放火には理由があり、長州藩の勤皇志士らが力を示す為に目立つ形で行われているのだが、火付けが夜襲と同じ日になるよう仕組んだりと調べれば調べる程にいじらしく感じてしまう……。

仕掛けた方の放火な訳だしそんな事が出来るのだから流石である)

そんな事からも分かると思うがこの『丙戌の夜襲』と言う大火事により戦いの機は逸してしまったと言えるだろう。

『丙戌の夜襲』とは、乙丑の獄と呼ばれる戦いで長州藩が京の町を焼き尽くした事を口実に会津藩や桑名藩などの藩の軍が駐屯する本陣・所司代を襲撃した出来事である。

そしてそれは同時に『禁門の変』に続く戦いとして長州と会津との間に戦端が開かれた事も意味していると言えるだろう……。

(夜襲をかけた翌日『八月十八日の政変』が起こり長州藩は一時国政を掌握する事になる)

更にこの後の年末には長州藩・四国連合艦隊と幕府方の土佐勤王党との戦いに発展し長州勢の勝利に終わったのだった。

だが既に武力討幕派と化した朝廷の考えや状況はこの戦いが影響して益々悪化する事となるのである。

そんな大変な状況へと進んだ長州藩な訳だが、もう少し詳しく語る事としよう。

まずはこの戦いの後に起きた『天誅』事件が1つ……。

これは後の『明治維新』へと繋がっていくのだとも言える。

(余りに複雑な事が絡んでいた為、ここでは簡単に紹介するに留めておこうと思う)

そんな天誅事件の後幕府側を苦しめる事態が続く中、10月19日に久坂は会津藩兵らを先導して上洛を果たした訳なのだがその道中の事である……。

京都藩邸に到着した翌日に久坂は伊藤博文に面会して、松蔭の自決より持ち続けていた幕府に対する不信感を言葉に変えて訴えるのだが……。

「今こそ新しい風を起こし朝廷と結託する事で混沌とするこの国の未来を切り開く時」と返ってくる事となるのである。

そしてこれから禁門の変後に起きていた分裂状態が終わり新たな時代へと進んで行く事となる訳だが……それはまた別の話である。

『明治維新』で歴史の裏側の人達を追って行く。

「しかし、伊藤殿の気持ちも分かるからな……」

彼としては正しいと思われるが……。

「禁門の変以降での行動を見る限り長州の行動は些か乱暴であったと言われても仕方も無いであろう……」

そんな久坂の言葉を受けてか吉田は話を再開する事とした。

(話をここで止めていても仕方のない事なのだから)

吉田の話を聞いた後に久坂は言うのである……。

「しかし『天下』に固執するばかりが正義とは思いません。

貴方の話を聞いている内にやはり私が敬愛する松蔭先生のおっしゃっていた『義』にこそ価値があると思ったのですが……」

(この言葉を受けて吉田は少し照れくさそうな表情をしながら話を再開するのであった)

そんな吉田の言葉に久坂は言うのである……。

「気持ちは分かりますが今の日本の状況を見てみなさいな」

と。続けて彼は言うのだ。

「憎悪は新たなる争いの火種となりますぞ……。

それでは貴方の望む『義』の意味である正しき行いから外れた考えをしているように思われますな」

そんな久坂の言葉に吉田は聞くのである。

「ならば私はどうすれば良いと言うのか……」と。

(この問に答えたのが前述の言葉であり、先程の言葉を漱石先生曰く『硯友社国是の三か条』として残したと言われているそうだ。)

『硯友社国是の三か条』とは久坂が師である松蔭に対して押して伝えていた意見を纏めた4つの物の1つであり、後の活動に大きく関わっていく事となる。

(まあ当然と言えば当然なのだが……)

そんな久坂の説得が通じたのか吉田は長州藩の行動に対する意見を変えて行く事となった訳である。

だがその想いや考えが大きく変わるには相当な時間を要する事になったのだ。

そんな色々な事が重なった結果長州藩の方針も徐々に変化していき、志士たちが主導権を握っていき長州藩が朝廷に討幕の『勅命』を求めるまでになるのだが……。

そんな状況の中長州の中でも久坂の考えとは違う方へと向かう人物が1人居たのだった。

その者の名は井上聞多と言い、『天才』と呼ばれ天才らしからぬ行動を見せる人物で有るのだが……それはまた別の話とするとして。

京都から江戸へ戻った長州藩は、時の将軍・徳川慶喜の命によって上洛する事になる。

その時の論功行賞にて功績が認められた久坂の兄にこそなるのだが……今回の場合は何故そうしていたかの説明になる為割愛させて頂く事にして先を話そうと思う。


***

そんな長州勢な訳だがまずは禁門の変の時に発した勅命により朝廷は『王政復古の号令』を発した。

これは明治新政府が名実ともに創立した事と連動していると言えるだろう。

そして新しい時代の幕開けは……かの坂本龍馬や桂小五郎らの活躍もあって『大政奉還』へと繋がる事となるのだが……これもまたいずれ話す機会が有る時に話そうと思うので省略させて頂こう。

そんな幕末から維新の時代へと日本を大きく変えるに至る出来事に関わっていた久坂な訳だが、当の本人は『攘夷』を唱える薩長とは敵対する立場となった長州藩を脱藩して身を隠す事となる。

そんな久坂の行動に対し時の天下人・徳川家茂より文を預かり京都へやって来た前原一誠と出会うのだがその出会いこそがその後の彼の運命を大きく分ける事になるのである

(因みにこの時久坂と共に松下村塾で学ぶ仲間であった高杉も一緒にいるのだが……)

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