19 理由

 神は、アレクシアがヴィルヘルムを殺すかどうかをうかがっていたという。しかし、四時間の祈りの発端でもあろうヴィルヘルムのことをどうして殺さなかったのか、……アレクシアの答えは至って単純だった。

「人を殺すというのは、したくありません。それに、ヴィルヘルムが、……本当に悪い人には見えなかったからです」

 神は「ほう」と答えてから、アレクシアに問いただす。


「以前のお前は、朝昼晩と孤児院の子どもの世話をしては、教会の周りに暮らす人々と挨拶を交わし、深夜になればここに来て祈りを捧げた」

 神は、まるでアレクシアの生活をすべて見ていたかのように話す。

「しかし、その男が現れてからというもの、四時間の祈りを課され、お前はまるで疲れ切っている様子だ。その男が多少の家事をしてくれるからと言って……それはお前の精神の摩耗を払拭するほどには至っていない」

 アレクシアは、祈るような姿勢で、ただ黙って神の話を聞いていた。

「そもそも、その男が『精霊の棲む古城』の歌姫なんぞにわざわざ会いに来た理由、……それも知らないのに」


 神が言い終えたところで、今度はアレクシアが話し始めた。

「神様のおっしゃるとおり、私は、……以前から疲れていたのに、追い討ちをかけるように今回のヴルフ市の一件がありました」


 正直言って、先祖から譲り受けてしまっている使命なんて、アレクシアからすれば人違いのような事案だ。だが、その使命を全うしなければ、シュヴァルツェンベルク市が崩壊することは確かだ。

 自分にとって大切な人たち、大切な子どもたちがいるこの街を、自分が使命を全うしなかったことによって捨て去ることなどできなかった。

 それは言い換えればアレクシアの責務だったわけで、そのために毎晩祈りを捧げるというのは、いくら綺麗事を言ったとしても精神的苦痛になっていたことは確かだ。


「たまたま『精霊の棲む古城』の歌姫として生まれてしまったがために、私の人生のカウントダウンは、出生した時からすでに始まってしまっていました。加えて、ヴルフ市の事件によって増加した負担。……それを、神様が表現なさったように、精神の摩耗、と言う他に、……私の口から言い表すことはできません」

 アレクシアは小さい声になって、しかしながら——、と続けた。

「だからといって、まだあまり素顔も知らないヴィルヘルムが必ずしも悪人には見えないのです。彼が……もしその発端にいたとしても、きっと何か理由があると思うのです」


 神が応答する間もないほどに、アレクシアは、人生で初めてと言っても良い程度に話し続けた。

「……私は、ヴィルヘルムの素敵なところも、この目でたくさん見てきました。たくさん体感してきた。だからこそ、彼を信じたいのです」

「ならば——」

 アレクシアの口が閉じ切ったところで、今度は神が切り出した。

「教えてやろう、其奴そやつがどうしてお前に会いにきたか——」


    ◇◆◇


 神の話に、アレクシアは完全に聞き入っていた。隣にいるヴィルヘルムのことは完全に忘れていたし、彼がいつの間にか焚き火の暖かさに乗じて寝てしまっていることも知らなかった。

「……神様、それは真実なのでしょうか……?」

「神ともあろうわらわが、そんなな嘘をつくわけがなかろう」

 アレクシアは、隣でうたた寝しているヴィルヘルムのことを見遣った。

 ——ヴィルヘルムの素顔、アレクシアの知らない側面……。


「よく考えると良い。そして、お前が本当にシュヴァルツェンベルク市のことやそこに住む人々のことを大切に思っているのなら、早いうちに、その男のことを始末することだな。……明日からは、祈りは以前と同じ二時間でいい。残った時間は考えることに使え」

 アレクシアはそこまで聞いて、顔を夜空に向けた。


「……それと、わらわの声は、ここまでしか出なさそうだ。次に話せるようになるのは、また数年後だろう。それまでは、お前自身で何をすべきなのか考えろ。……数年後にまだお前が生きていたならば、わらわと話したければまたここに来い。……愚かな人間よ」

 神がそう言い終えると、周囲には風が吹くかすかな音や雑草が擦れる音が聞こえるだけになった。焚き火の音が聞こえないのは、燃え尽きてしまったからだった。


    ◇◆◇


 アレクシアとヴィルヘルムは丘を降り、孤児院に戻った。

「アレクシア、今日はそちらで寝るのですか?」

 ここ一ヶ月程度、アレクシアとヴィルヘルムは同じベッドを共有していた。というのも、この孤児院には、大人サイズのベッドがたった一つしかない。そこに大人が一人増えたものだから、仕方がなく半分ずつ使っていたのだった。

 しかし、神と話したアレクシアは、昨日までと同じようにする気分ではなかった。


「はい、私は、今日はこちらで……」

「しかし……」

 ヴィルヘルムは、談話室の方に歩いて行こうとするアレクシアを呼び止めようとするが——

「少し、……一人にさせてほしくて……。申し訳ございません……」

 アレクシアは振り返ることもせず、子どもたちが寝ている談話室へと入っていった。……時刻は、午前六時。


 談話室の扉を閉め、膝を曲げて床に座り込んだアレクシアは、すやすやと寝ている子どもたちのいる寝室の方を眺めていた。

「あの子たちのことが本当に大事なら、…………」

 神が話した内容が脳裏で復唱される。全く睡魔など出てこない。

「ヴィルヘルムを……」

 しかし、アレクシアは、ヴィルヘルムの悪い一面を知らない。たとえ神から聞かされたとしても、実際に悪行あくぎょうを働いている彼の姿を知らない。

 むしろ、アレクシアは、彼の素敵な一面しか見たことがない。

 ——だから。


「優しくしてくれるヴィルヘルムのことを、……私は、信じたい…………」

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