18 戸惑い

「まさか、そんなはずが……ありません……」

 孤児院の上にある教会で隣に座るフランツに対し、アレクシアは本当に本当に小さな声で呟いた。

 しかし、フランツは「ほほっ」と笑って立ち上がった。

「残念。これは真実です」

 吐き捨てるようにそう言ってから、彼は教会から立ち去ってしまった。

 アレクシアの心の中には、肯定したくない思考が湧き出ようとしていた。


 ——もしヴィルヘルムが本当にヴルフ市での虐殺を指示しているのであれば、次第に虐殺の件数が減っていくだろう——


 この一ヶ月で、そう考えていたこともいつしか忘れそうになっていた。ヴィルヘルムのことを疑う気持ちなど、どこかに置き忘れてしまっていた。

 ……しかし、現実はとても残酷だ。

 信じたくないことを信じさせようとしてくる。疑いたくないものを疑わせようとしてくる。

 たとえそれが、愛するものであったとしても。


    ◇◆◇


 夜になった。アレクシアとヴィルヘルムは、これまでと変わらずアイヒベルガー城までの道を歩いていた。が、……今日はアレクシアから彼の手を取らない。

 いつもならアレクシアから手を握ってくるのに、と彼は不審に思ったのだろう。立ち止まっては、少し後方に続く彼女の方を向いた。

「アレクシア、今日は昼から様子がおかしいですよ。少し……私のことを避けているかのような」

 暗い表情を見せまいと、アレクシアは俯いたまま彼に答えた。

「いえ、……少し、考え事をしているだけです……」


「考え事ということであれば……」

 ヴィルヘルムが言葉を慎重に選びながら言う。

「もしよろしければ、……私にも、話してほしいと思います。……それで、アレクシアの心が、……多少なりとも軽くなるのであれば…………」


 もしアレクシアを悩ませているものが全く別の件であれば、そう言われなくともヴィルヘルムに相談していただろう。

 しかし、今回はヴィルヘルムに関すること。しかも内容が内容で、彼に相談できるはずもない。

 では、別の誰かに相談できるのかといえば、……あまりにも現実味がない話だし、仮に、相談した結果ヴィルヘルムが悪人だと言われてしまったら、それこそどうしたらいいのかわからなくなってしまう。


 ——私一人で、抱えるべき問題なんだ——


 アレクシアは無理に微笑んで顔を上げた。

「……はい。もし、もっと辛くなったら、ご相談するかもしれません。でも、……今は大丈夫ですよ」

 しかし、彼は、どうも信じられないという顔をしている。

 だからこそアレクシアは、

「本当に大丈夫ですから。……気に掛けていただき、……ありがとうございます…………」

 もやがかかった顔をしたまま、彼に教わった言葉で、彼を安心させようとした。


    ◇◆◇


 ここ一ヶ月間、ほとんど毎日をフラフラとした状態で過ごしてきたアレクシアにとって、極寒の真夜中に四時間の祈りを捧げるのは、体力的な限界を感じていた。

 ここ一週間ほどで何度も倒れそうになったし、その度にヴィルヘルムに支えられた。

 ヴィルヘルムはどこか怪訝けげんな顔で隣に座っている。アレクシアがヴルフ市のことを聞いたとは、全く考えてもいないだろう。第一、彼自身も、現在のヴルフ市のことをあまり知らないのではないだろうか。


 最初にヴィルヘルムに会った時から、変わらず美しい声で歌を歌い続けるアレクシア。

 しかし、当時と大きく違うのは、声の張りだ。まるで息が途切れてしまうのではないだろうかと心配になってしまうほどに、弱々しくなっている。

 ……もとより、最初にヴィルヘルムが彼女のことを見た時点でさえ、本来の彼女の姿ではなかったのだろうが。


「愚かな人間よ。随分と疲れ切った顔をしているな」

 四時間の祈りが終わったちょうどその時、神が話しかけてきた。

「神様、……はい、私は……もう限界を感じています…………。春であれば、まだ耐えられたかもしれません。……しかし、今は毎日雪が降る極寒の冬。……すでに疲れ切っている私には、……とても、…………続けられそうもございません…………」

 アレクシアの言葉を聞いてから一呼吸置いて、神は話し始めた。

「ヴルフ市での虐殺が滞っている、……そのことを聞いて、何か思い当たるものはないか? ……四時間の祈りは必要ないということに」

 確かに——! アレクシアの背筋が少しだけ伸びた。


「そんなことにも気が付かず、……本当に私は、……限界だったようです…………」

 であれば、明日からは、以前と同じ二時間の祈りで済むのではないか。もちろん手放しに喜べるわけでもないが、身体的な負担は随分と軽減されるのも事実だ。


わらわは、実は、お前がその隣の男のことを殺すのかどうか、少しうかがっていた。しかし、そうはしなかった。……お前が今日まで負担してきたのは、その男のせいだと言っても良いだろうが、どうして其奴そやつを殺そうとしなかった?」

 確かに、現時点でヴルフ市での虐殺が収まっているのであれば、ほぼ間違いなくヴィルヘルムがその指導をしていたと考えても良いだろう。

 アレクシアは、しかし、夜空を見上げては祈りの手を崩さずに答える——

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