12 決断

 シュヴァルツェンベルク市は、アレクシアにとって大切な街だ。徒歩でも一周できるほど小さな街であるし大きな観光施設もないが、人々は温かく、ワインも美味しい。長閑のどかな街は子どもが生活するには最適で、昼間の中央広場ではいつだって子どもたちが遊んでいる。

 そんな街に、今、危機が訪れているのだ。

「アレクシア、神と話してから、どうされましたか……?」

 雪降る夜、手の感覚はすでにない。しかし、息を吹きかけて温めようという考えすら起こらなかった。


「ヴィルヘルム・ハンス侯爵、……あなたは、どうして今、シュヴァルツェンベルク市にいらっしゃるのですか?」

「昨日申し上げたとおりです。王室が遭遇している問題を、『精霊の棲む古城』にいる歌姫なら解決できると知ったからです」

 彼の答えを聞いたが、アレクシアは「しかし……」と続けた。

「単にそうであるなら、家来やベッカー州警察を現場に派遣なさるのではないでしょうか。これまでの別の問題でも、ヴィルヘルム・ハンス侯爵ご自身があちらこちらに出向かれたというのは考えられません」

 弱々しい声ながら、アレクシアはキッパリと言い切った。


 しかし、ヴィルヘルムが肯定する気配はない。

「今回は異例なのです。王室が直接被害に遭われている。ベッカー州の侯爵として、いや、一個人としても、自分の足も使って一刻も早く事態の解決に貢献しなければならないと思いました」

 ヴィルヘルムが言うことも間違いではないように思える。では、神は、あえて嘘をついたということなのだろうか。


 もしかすると、神は別の何らかの目的があって、ヴィルヘルムを殺してほしいと思っているのかもしれない。

「ヴィルヘルム・ハンス侯爵……、もしこの事態の収束を切に願われるなら、『精霊の棲む古城』の歌姫である私に、……協力していただけますか……?」

「もちろんです。アレクシア一人にこの問題を背負わせるというのは、私の本意ではありませんから。協力しないはずがありません」

 であれば——。


 アレクシアはまた夜空に向いた。

「神様……。私、アクレシア・リヒテンベルクは、あなたとちぎりを交わします。毎日日付が変わる時刻から四時間、あなたに祈りと声を捧げます…………」

「ほう?」

 神はぶっきらぼうに返事をした。

 意を決したアレクシアの瞳からは一掬の涙が流れていたが、それは地面に落ちるとすぐに氷になり、塵や埃と見分けがつかなくなった。


    ◇◆◇


 一日四時間の祈りを捧げるのは明日から。今宵はこれ以上アイヒベルガー城に用はない。

 アレクシアとヴィルヘルムは丘を下る馬車の中で身を寄せ合っていた。

「申し訳ございません、ヴィルヘルム……」

「こちらこそ、疑われるようなことをしていて申し訳ございません。ですが、……あれでよかったのでしょうか?」

 ヴィルヘルムが心配するのは無理もない。目の前でアレクシアが神とちぎりを交わしたのだから。

 しかしアレクシアは、

「私には、そうするしかありませんでした」と呟いた。


「……それで、私は問題解決のために、侯爵として関係各所と調整すればよろしいでしょうか」

「いいえ。……ヴィルヘルムは、私が死ぬまでの間、ずっと私と共にいてください」

 その答えを聞いて、彼は目を丸くした。もっと難しい内容が提示されるのかと思いきや、ただ一緒にいてほしいというだけのものだったからだ。

「それだけですか?」

「はい……」

 アレクシアは弱々しい声で端的に返事をした。


 もしヴィルヘルムが本当にヴルフ市での虐殺を指示しているのであれば、次第に虐殺の件数が減っていくだろう。指導者と容易に連絡を取ることができず、指揮系統が弱まっていくからだ。

 逆に、ヴィルヘルムがいなくてもヴルフ市の虐殺が続くのであれば、その指導者が彼でないことが判明するわけだ。また、神が言っていたのは誤りか嘘であって、ヴィルヘルムを信じることができるというわけだ。


 しかし、いずれの結論であったとしても、アレクシアの寿命は変わらない。

 神に「あなたは嘘つきだ」と言ったところで、魔力を操作する力を無条件に与えてくれるということはないと想定される。

 つまり、残る七年間は、結婚相手探しと子どもを育てることに注力するだけだ。——それが、今のアレクシアの使命なのだから。


 もう一つ重要なことは、ヴィルヘルムの寿命を短くしたり、首をねたりなどといったことをしなくて良いということだ。

 アレクシアにとって、たとえ神に命じられたとしても、他人を死に追いやる、殺すなどということは避けたいものだった——たとえヴィルヘルムが本当に悪人だったとしても。

 彼女から見れば、悪人を殺すのもまた悪人。人を殺す人を殺すのであれば、それも同類だと考えていた。


 つまり、アレクシアにとって、自分が責任を負う以外の選択肢は取り得なかったわけであった。

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