11 本音

 何やら神と話しているらしいアレクシアに、ヴィルヘルムが近寄ってきた。

「アレクシア、どうしましたか?」

「いいえ、……ただ、少し先が見えました」

 少し先? と復唱するヴィルヘルムの顔を向いて、アレクシアは穏やかな表情になって告げた。


「神様とお話ししました。シュヴァルツェンベルク市を窮地に陥れている問題を解決する力を得るため、私は毎日、祈りを二倍にします。そして、声が出る間の二年間で、結婚して、子どもを産みます。その後の五年間は神に生命力を捧げながら、子どもに歌を練習させます」


「……その後は?」

 ヴィルヘルムの口調が、初めて鋭いものになった。これまでの物腰柔らかな雰囲気は、急にどこかに消え去った。

「……死にます」


「そんな、そんな……」

 ヴィルヘルムは、どこかやるせない表情を見せた。

「他に方法はないのですか」

「長くても、あと九年後には死ぬ運命のようです。それなら、少しでもシュヴァルツェンベルク市を救うことに貢献できれば……」

「認められません。……絶対にその方法は認められません」

 しかし、彼がいくら反論しようとも、アレクシアは簡単に「そうですね」とはならない。


 私は……、とアレクシアが話し始めたところで、いつの間にか俯いていたヴィルヘルムは顔を上げた。

「正直に申し上げると、この使命を終わらせたいのです。毎日深夜にここまでやってきて、二時間ほど祈りを捧げる。それに加え、声まで奪われていく始末なのです。それが終わるなら、……私にとっては、その先が死であっても、希望なのです」

 アレクシアが話したことに、ヴィルヘルムは口を開くだけで何も言えなかったが、神が問いかけてきた。

「であれば、もし今すぐ死ぬとなれば、死ねるのか?」

「…………」

 アレクシアは言葉を失った。


 もし今すぐにでも死ぬとなれば、使命を終わらせることはできるが、シュヴァルツェンベルン市は崩落するだろう。それはアレクシアの本望ではない。

 孤児院には大切な子どもたちがいるし、街にはたくさんの大事な人々がいる。

 それを見殺しにするというのは、アレクシアにとって選択肢になり得なかった。

「シュヴァルツェンベルク市は、私の大事な故郷でもあります。だから、今すぐに死ぬことはできません。きっちりと引き継ぐまでは……」

「ならば……」

 ヴィルヘルムはやはり神の声は聞こえていないらしい。アレクシアが語った時にだけ頷いている。


「自分の子どもにその使命を背負わせることには、罪悪感はないのか? ……愚かな人間よ」

 確かに、この使命を自らの子孫に引き継ぎたくない。その子どもも、自分と同じような感情にさいなまれ、「早く使命から解放されたい」という感情が生じることが容易に想像できるからだ。


 しかし、その結論を変えることができるのは神しかいない。アレクシアは、自分のことまでしか面倒を見ることができない。

「神様、……どうして私たちを救ってくれないのですか…………。私たちは、これほどまでに追い込まれているのです。どうか、……慈悲の心を…………」

 アレクシアはまた祈る体勢になった。

 隣のヴィルヘルムは、黙って彼女のことを見守ることしかできなかった。


    ◇◆◇


「では、お前とひとつ、取引をしてやろう」

 ただひたすら祈るアレクシアに対し、神が慈悲の心を抱いたのか、そのように告げた。

「お前の隣にいる男、ヴィルヘルム・ハンスの首をねろ」

「えっ……? な、何をおっしゃっているのでしょうか…………」

「もう一度言う。ヴィルヘルム・ハンスの首をねろ。そうすれば、今後一切、歌を歌って祈る必要はないし、声を捧げる必要もない」


 神は口調を変えない。どうやら言っていることは本気らしい。

 しかし、今も隣に座っている彼を、「じゃあ」と言って殺すなどできようもない。

 自分は使命から解放されたい、自分の子どもにも、できれば使命を背負わせたくない。しかし、それの代償がヴィルヘルムの首をねることだというのであれば、それも受け入れ難い。


「どうして、そのようなことを……」

わらわはヴィルヘルム・ハンスを憎んでいる。だから、その首をねろと言っているのだ」

 しかし、どうして彼を憎む必要があるのか。ヴィルヘルムは神の声も聞こえない人間だ。

「一体、何を憎んでいらっしゃるのでしょうか……。私には、彼はとてもいい人に見えますが……」

 神は「それは建前だ」と言い放った。さらに続けるには、

「隣のヴルフ市で起きていること、それは、その男の下で動いている部下たちの仕業だ。魔力を大量に吸収しようとしている」


 一度言葉を切ってから、また神は続けた。

「そのうち、あちこちの市で、シュヴァルツェンベルク市と同じような事件が発生し、多くの人間が命を落としていくだろう。そうして生じた魔力を、その男は吸い取ろうとしている」


「しかし、……魔力を過剰に吸収すると、人体に影響が出ます」

 アレクシアの言葉にため息を吐きかけ、神は答えた。

「通常は。しかし、その男は違う。自然界にとって余分な魔力を、少しずつ体内に吸収する力があるのだ。……当然、魔力を多く体内に溜め込んでいる人間ほど、より強力な魔法を使うことができる。それを——」

 神は語気を強めて、さらに続けた。

「うまく利用して、この辺りの人間たちに多大な犠牲を払わせようとしているのだ。そのような卑劣なことをする人間のことを、神として憎まざるを得ない」

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