10 会話
「実は、ベッカー州政府に匿名の相談があったんです。相談者はヴルフ市に住んでいるという女性。その相談によると、ヴルフ市では現在、市民の虐殺が行われているというのです」
ヴィルヘルムがゆっくりと話す内容は、アレクシアにとって受け入れ難いものであった。
もしヴルフ市で市民の大量虐殺が行われているのであれば、魔力の放出が増加する一方だ。そうすれば、シュヴァルツェンベルク市と同じように、魔力の操作をする人間が必要になってくる。
「どうしてそのようなことが……?」
「詳しくはわからないのです。しかし、クレマー川に人を沈めて、窒息死させているのだと。女性はなんとかヴルフ市から逃げることができたようですが、同じように出ていこうとした仲間は全員死んでしまったということでした」
川に沈めて窒息死させる。……だから、クレマー川に過剰量の魔力が溶解しているのだろう。
しかし、それが本当だとしたら、「最期の末端都市」時代のように、王室が企てているのだろうか——。
いや、そんなことはないはずだ。アレクシアは無言で首を横に振った。
本当に王室がそのようなことをしていたならば、クレマー川流域にあるシュヴァルツェンベルク市産のワインの事件について、わざわざ取り上げることはないだろう。それは、ある意味自白に等しいし、歴史を見れば最初に王室自らが疑われることぐらい、明瞭に理解しているはずだ。
では、市政が市民の虐殺を行なっているのか……。
それも考えにくい。わざわざ市民を殺すことで得られるメリットがわからない。
アレクシアは、また首を横に振った。
が、一人で無言で首を横に振っている彼女が不思議だったのだろう。しばらく黙っていたヴィルヘルムが口を開いた。
「どうしましたか? アレクシア」
「いえ、なんでもございません……」
急に恥ずかしくなって、アレクシアは俯いた。
◇◆◇
しばらく経過し、いよいよあと数分で零時という時刻になった。
アレクシアは、祈りの時は手袋をつけられないからと、手袋はヴィルヘルムから受け取らず、
「ヴィルヘルムは、どのようにして薪に火をつけられたのですか? この雪が降る中、手作業ではなかなか大変だったのではないでしょうか」
ヴィルヘルムは、手作業であればそうですね、と前置きした上で、答えを続けた。
「アレクシアと同じようにしましたよ」
「ということは、ヴィルヘルムも火を扱うことができる魔法を……」
アレクシアは目を丸くせざるを得なかった。
火を扱う魔法、それは言葉では簡単そうに思えるが、実は一般の魔法使いには扱うことができないものだ。かねてよりシュヴァルツェンベルク市に多数いたとされる優秀な魔法使いだけが使うことができたもの。
つまり、——
「ハンス家も、『最期の末端都市』時代を生き延びた一家ということでしょうか……?」
「そういうことです。そして、……アレクシアと同じ境遇にある者なのです」
アレクシアは、急にヴィルヘルムとの距離が近くなったように感じた。
とはいえ、相手は侯爵。どういった経緯でその身分になったのだろうか。
「当時、シュヴァルツェンベルク市の貴族は、アイヒベルガー家だけだったと思っています。ヴィルヘルムは、一体どういった流れでベッカー州の侯爵に?」
アレクシアの問いに、彼は懐中時計を確認してから、「もうすぐ時間ですよ」とだけ答えた。
「……また、教えてくださいね」
そう告げて、アレクシアは歌を歌い始めた。
◇◆◇
およそ二時間が経過した。しかし、今日は昨日と異なり、歌を歌い終えた直後にアレクシアが話し始めた。
「神様……。シュヴァルツェンベルク市内を流れるクレマー川から、余分な魔力を抜き取りたいのです。……どうか、その力を、この私にいただけませんでしょうか……」
すると、直後、夜空から声が降ってきた。男声なのか女声なのかもわからない声だ。しかし、流暢に言葉を発する。
「愚かな人間よ。その力を欲するならば、その隣に立っている男にも、毎日日付が変わる時刻に
「そっ、そんなことは……」
アレクシアはヴィルヘルムの方を向いた。しかし、彼が「どうした?」という顔をしているところを見るに、神の声が聞こえているのはアレクシアだけなのだろう。
「他の提案は、……ございませんでしょうか…………」
「そうだな。……仕方がない。お前が、今の二倍の時間祈りを捧げるなら、それでも良いとしよう」
つまり、祈りは零時から約四時間、声が吸い取られていくのは今の二倍の速さということだろう。孤児院の子どもたちの世話をすることを考えると、毎日三時間も寝られればいいというところか。
「声は、……あと何年出せますか…………? そして、声が出なくなった後は、何を捧げればよろしいでしょうか…………」
弱々しい声のアレクシアに対し、神ははっきりとした口調で答える。
「今のままだと、あと四年ほど。もし力を欲するならば、あと二年間。声が出ないならば、生命力を捧げれば良い。ただし、長くても五年も経てば死ぬ」
歌い続けるのは、長くても二年間か……。アレクシアの心の中で、不思議と落ち着きが見られた。
まるでほっとした表情の彼女に、ヴィルヘルムが近寄ってきた。
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