9 命令

 フランツが紅茶を飲み終えたのを確認して、アレクシアは口を開いた。

「……疑問に思っていることがあります。リッチェル王国の王室が、今回のこの問題を解決できるのは、『精霊の棲む古城』の歌姫、つまり、私であると言うのです。どうしてでしょう?」

 その質問を聞いたフランツは、失礼にも、目を細めて笑い飛ばした。

「なっ、何がおかしいのでしょうか?」


「アレクシア・リヒテンベルク殿、あなたも薄々気付いているのでしょう。アイヒベルガー家が神と交わした契約では、シュヴァルツェンベルク市内の空気中に含まれる魔力のみを操作することとなっている。……では、水中の魔力を操作するなら?」

 アレクシアは暫時ざんじ俯いて口をつむいでいたが、やがて顔をゆっくりと上げた。

「……神様との契約を、変更する必要があります。あるいは、新しい契約を結ぶことでしょうか」

 ご名答、とフランツは深く頷いてから、今度は真剣な表情になってカウンターに身を乗り出してきた。

 思わずアレクシアは身体を反らせ、その迫る顔面から離れた。


「しかし、よく考えてみてください。シュヴァルツェンベルク市内の空気中に含まれる魔力を操作するための魔法を神から授かる代わりに、何を失っているのか。……そう、声ですよね。では——」

 真剣な表情のフランツは、カウンターの奥に身を引っ込めてから続ける。それに呼応するように、アレクシアの身体もまた元に戻る。

「水中に含まれる魔力も操作する魔法を授かるとすれば、一体何を失えば良いのでしょうか?」

 ——わからない……。じっとアレクシアの瞳の奥の奥のさらに奥まで見据えているフランツの問いに対して、彼女は全く答えが導き出せなかった。


 やがて、申し訳ない質問をした、というように顔をほころばせてフランツは口を開いた。

「そう、わからないのです。だから、もう一度、神の声を聞かなければならないのです」

 毎日祈りを捧げると共に、アレクシアの声は神に奪われているのであって、今は声が出ているものの、いつかはこのように話すことができなくなる。もしそれ以上の代価が必要であるならば……、契約の変更は難しいと言えるだろう。


 アレクシアはぼんやりと先のことに想いをせていたが、ハッとしてフランツの顔を見た。

「お尋ねしすぎちゃいました……。ご料金は、…………」

 すると、彼はまるで問題ないという顔をして、

「いえいえ、気にしないでください。今回はサービスですよ。この問題が残っていれば、私だってうかうかと食事もできないですから」


 ほっと胸を撫で下ろしたアレクシアは、店を出ようと立ち上がった。フランツも同時にティーカップを片付けようと立ち上がった。

「……今夜、神と会話をしてみてください。シュヴァルツェンベルク市内の問題を解決するには、そこからでしょう」

 わかりました、と端的に返事をしてから、アレクシアは店から出た。


    ◇◆◇


 フランツの情報屋を後にしてから、アレクシアは街中を歩き回ってみたが、路地裏でぶつかった例の男性の姿はどこにも見当たらなかった。

「どこに行ったのでしょう……」

 男性のことよりも、まずは市内を襲っている魔力のことを処理すべきだとフランツは言ったものの……アレクシアの心の中ではやはり男性のことが気になっていた。


 しかし、それからも進展することはなく陽は沈み、子どもたちにはまたシチューを作ってから孤児院を後にした。

「シチューは飲料水を使っているから、子どもたち全員が命を落とすことはなかったのでしょう……。でも、その後、一部の子どもたちはお菓子を食べた。だから魔力の影響で……」

 孤児院を出る前、子どもたちには飲料水以外を口に入れないよう、厳重に注意しておいた。そのため、今夜はきっと大丈夫だろうが、いつまでそれを続ける必要があるのか。


 今夜も雪が降っている中、アレクシアはアイヒベルガー城まで歩いてやってきた。

「これをやめたら、シュヴァルツェンベルク市のみんなが、死んでしまうから……」

 自分に言い聞かせながらやってきた部屋には、すでにヴィルヘルムが居座っていた。

「アレクシア様、まだ零時まで時間があります。少しお話ししてもよろしいでしょうか?」

 先に焚き火も用意されており、優しくアレクシアに声をかけるヴィルヘルムの顔は、こんなに空気は冷たいというのに、暖かい色に染まっていた。

 アレクシアは持ってきた薪を焚き火の横に並べ、ヴィルヘルムの横に並んだ。

「ヴィルヘルム・ハンス侯爵、いかがしましたでしょうか」

「まずは——」


 ヴィルヘルムが最初にアレクシアに告げた言葉に、アレクシアは戸惑いを隠せなかった。

「こっ、侯爵様のことを気軽に名前でお呼びするなど……」

「いいえ、そんなに気を遣わないでください。それに、アイヒベルガー家も元々は貴族です」

「でもっ……」

 アレクシアがあまりにも戸惑っているからか、ヴィルヘルムは少しだけ表情を固くして、

「では、侯爵からの命令、ということでよろしいでしょうか?」とのこと。


 侯爵の命令ともあって、単なる一市民のアレクシアが断ることもできず、少し間を置いては、

「は、はい……。ヴィルヘルム……」

「では、私からも、アレクシア様のことを名前でお呼びしても?」

「もちろんです……」

 どうしましょう、これは、どうしましょう……。などと、意味を成していない文章が頭の中を駆け巡る。


 そんなアレクシアの肩に、ヴィルヘルムがまたコートをかけるものだから、アレクシアは周囲をキョロキョロと見回した。

「大丈夫ですよ、アレクシア。執事は一緒ではありません」

「そうでしたか……」

 その答えを聞いても高鳴る心臓は全く落ち着いていないが、アレクシアは、口からこぼれ出る白い息を眺めて、「白いな」と思うことで脳内に冷静さを取り戻そうとしていた。

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