8 情報屋
名前も知らない男性を追ってアレクシアがやってきた場所は、教会から中央広場に向かう方向とは逆向きに進んだ先にある、小さな情報屋の建物。情報屋とは、あらゆる情報を取り扱っている店で、支払う料金に対応した秘匿性の高い情報を得ることができる。
が、普通であれば利用することのない店だ。もし使うとしても、多くの人は浮気や不倫の証拠集め程度である。
店に入っていった男性を追うには、アレクシア自身もこの店の扉を開くほかない。一度は踏み
「お嬢さん、どうしましたか?」
扉を開くと同時に、真正面のカウンター内に座っている店主と見られる男性と目が合った。そして、——カウンターの手前右手側には、黒色と青色のチェック柄の手袋を着けている例の男性が。
シュヴァルツェンベルク市民は、普通は単色無地の手袋を着けることが多い。そのため、チェック柄の手袋というだけで違和感を覚える。
「すみません、お店に用事はないのですが、そちらの男性とお話をしたく……」
どこか奇妙で鋭い視線を感じながらも、恐る恐るアレクシアは答えた。視線こそ厳しいものの、表情は柔らかいのが、一層店主の不思議さを際立たせているようだ。
「そうですか。今こちらは取り込み中ですから、それが終わってからでいいですよね?」
「ええ……。外でお待ちしております……」
そうして扉の方に振り返り、アレクシアが肩を落として扉を押し開いた時だった。
「そう、それでいいのです。『精霊の棲む古城』の歌姫殿」
アレクシアは一瞬全身が緊張したが、そこでまた店主の方に振り返る勇気も出ず、黙って店から出た。
◇◆◇
一時間ほど待ったが、店から誰も出てこない。アレクシアは状況を確認しようと、そっと情報屋の扉を開いてみた。
「ああ、お帰りなさい」
店主の言葉には返事をせずに店内を見回してみたものの、——どこにも男性の姿は見当たらない。
「……先ほどの男性は?」
「もうお帰りになりましたよ」
笑顔を崩さず語る店主に恐怖心を抱きながらも、アレクシアは理解した。
——騙された!
アレクシアは早速店から飛び出そうとしたが、店主に呼び止められた。
「まあ、お待ちください、アレクシア・リヒテンベルク殿。あなたには、あの男性を追うよりも重要なことがあるでしょう」
「もう、騙さないでください。同じ手口には引っ掛かりませんから」
アレクシアはまた飛び出そうとしたが、やはり店主の言葉に止められてしまう。
「いいえ。まずは、シュヴァルツェンベルク市を襲っている、例の事件のことを解決する必要があるでしょう」
「……それを、ご存知で?」
店主が深く頷くものだから、つい、アレクシアは店に足を踏み入れてしまった。
「ここは情報屋。シュヴァルツェンベルク市内のことなら、なんだって存じ上げておりますとも」
無用な前置きを避けて本題に入りたいアレクシアは、「何をすれば解決できるのでしょうか?」と早速質問を投げかけた。
「実に簡単です。クレマー川の水を使わないことです。食事も、……ワインの製造においても」
「ワイン……!」
どうやら、この男性はよく事件を知っているらしい。アレクシアはカウンターに身を乗り出した。
「すみません、お名前は?」
「なんとでもお呼びください。……そうですね、フランツ、でいかがでしょう」
フランツさん、と前置きして、アレクシアはさらに話を続けた。
「クレマー川に、一体、何が起こっているのでしょうか?」
「……魔力の溶解です」
魔力が水に溶解する、それ自体も新規的なことだったが、アレクシアにとってはそれよりも不可解な点があった。
「フランツさんはご存知だと思いますが、毎日日付が変わる時刻、私はアイヒベルガー城で神様に祈りを捧げています。これによって、『最期の末端都市』時代に空気中に過剰に放出された魔力が、シュヴァルツェンベルク市内に滞留しないように管理しております。それなのに、なぜ、人体に影響が出るほど、クレマー川に魔力が溶解しているのでしょうか?」
フランツは、足元から地図を取り出してきた。シュヴァルツェンベルク市を中心として、その周囲が少しだけ記されたものだ。
フランツは、地図をアレクシアの方に向けて、クレマー川の下流から上流に向かって指でなぞった。そして、指が止まったのは、シュヴァルツェンベルク市の東側にあるヴルフ市の上。
「ここ、ヴルフ市で、ちょっと悪いことが起こっているんですね」
なるほど、ヴルフ市が犯人だったのか、と簡単には納得いかなかった。
「ヴルフ市でクレマー川に魔力が溶解されているとして、その影響はシュヴァルツェンベルク市のみならず、さらに下流に位置するハーゲンドルフ市などにも及ぶ可能性があります。それを承知で……?」
「ええ、そういうことですよ」
フランツは、やはり、至って当たり前のような顔をして、アレクシアの問いに淡々と答える。
「……クレマー川に魔力が過剰に含まれていて、その水を使って製造されたミルククッキーやワイン、その他の食料品を食べた方が亡くなっているということですね……」
「アレクシア・リヒテンベルク殿のおっしゃるとおりです」
フランツはそう答えながら一時的に奥の部屋に姿を隠し、次に現れた時には、両手にティーカップを持っていた。
「えっ……」
「大丈夫ですよ。シュヴァルツェンベルク市の飲料水はすべて、山からの雪解け水か雨水由来。これを飲んで死ぬことはありません」
アレクシアの心境を察したように答え、彼は静かにカウンターにティーカップを並べた。アレクシアはそれをほんの少しだけ口に含み、味を確認した。
口いっぱいに渋みが広がるフルーティーな味。……無論、違和感を覚えることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます