6 思い出話

 アレクシア・リヒテンベルク。

 アイヒベルガー家の末裔に当たる彼女は、シュヴァルツェンベルク市を守るため、ひいてはベッカー州やリッチェル王国といった大きい規模の人々を守るため、たった一人負担を強いられていた。

 偶然にもアイヒベルガー家が神と話すことができたために、その時に交わされた神とのちぎりが受け継がれ、まだ若き彼女のことを痛みつけている。

 しかし、努力した者が報われるのか、あるいは使命を従順に全うし続けた者が報われるのかはわからないが、彼女は今、神よりも尊いものに抱かれようとしている。


「私の代わりに、……使命を……?」

「はい、そうです」

 アレクシアの弱々しい声と対照的に、少し前とは打って変わってはっきりとした声で告げるヴィルヘルム。その筋のある声は、決心を表しているとも言えようか。


 ……しかし。

「ヴィルヘルム様、そのようにお気を遣わせてしまって、大変申し訳ございません。……侯爵様にそのようなことをしていただくには、あまりにも恐縮です……」

「そうではありません。私は、ただ……」

 ヴィルヘルムが反論しようとするが、アレクシアは被せて続けた。

「それに、これは神様との契約なのです。……私が、声を授けるというものなのです……」


 ヴィルヘルムは、「そうですか……」と呟きながら視線を落とした。

 神と交わしたちぎりの内容、それは、リヒテンベルク家の者が歌を歌い、声を授けるというもの。したがって、それに代わってその他の者が声を授けるのであれば、……神と相談する必要がある。


 それに、たとえ契約内容を変更できるとしても、アレクシアがヴィルヘルムにお願いすることはあり得なかった。

 この使命がどれだけ辛いのか、アレクシア自身が一番よく知っている。それを、つい昨日会ったばかりの人間に代わってもらうなど、到底考えられなかった。それは、ある意味、この使命の犠牲者を増やすようなものであって、アレクシア自身が救われたとしても、そのために誰かが負担を強いられるということに他ならないからだ。


 したがって、アレクシアがヴィルヘルムの提案を断ったのは、単に神との契約内容による仕方のない結果だったわけではなく、必然的な結論だったわけだ。


    ◇◆◇


 ヴィルヘルムは少しの間ぼんやりと地面を眺めていたが、やがて顔を上げてくると、アレクシアの顔を見た。二人の視線が、再び触れ合った。

「非常に申し上げにくいのですが、アレクシア様は、今までの人生を楽しまれていたのでしょうか。……楽しいこと、幸せなことはあるのでしょうか」

 その質問を聞いて、アレクシアは「うーん」と数秒程度考えたが、わずかな微笑みを作っては口を開いた。

「日々の生活は、楽しいですよ」


 彼女の答えを聞いて、ヴィルヘルムは少し安心して彼女に微笑み返した。

「よかったです。アレクシア様が楽しいと感じられる時間があるなら、私にとっても嬉しい限りです。……まだ少し時間があります。よければ、楽しい話を聞かせてください」

 もちろんですよ、とアレクシアは簡単な思い出話をした。


 ある日には、孤児院にいる子どもたちとカードゲームをして全部負けてしまったり、別の日には追いかけっこをして結局最後まで鬼のままだったり。

 また、シェーンベルクにワイン畑を持っている幼馴染とブドウの成長を観察したり、発酵後のワインのおり引きを手伝ったり。

 街の商売人などとも仲がいいと言う。中には商品を割引してくれる人もいるとかで、彼女がどれだけ他人に好かれているのかがよくわかる。


「失礼ですが、アレクシア様がそのように前向きにお話しされているのを見て、……少しだけ安心しました」

 ヴィルヘルムがそう笑うものだから、アレクシアは赤くなった頬を両手で隠しながら答える。

「今、そんなに話していましたでしょうか……。お恥ずかしい………………」


    ◇◆◇


 それにしては……。

 ヴィルヘルムは、ふと思い立った疑問を口にすることにした。

「たとえば、もしアレクシア様がご結婚なさらず、子どももできなかったとします。そうすれば、一体、誰がその使命を引き継ぐのでしょう」


 しかし、ヴィルヘルムのその質問はあまりにも容易い内容だったのか、アレクシアは表情ひとつ変えず即答した。

「その場合、誰も使命を引き継がず、シュヴァルツェンベルク市全体、いや、リッチェル王国全体が空気中の魔力の影響を受けるかもしれません。それを防ぐために、私の先祖は本意でなかったとしても結婚し、子どもを授かってきました」


 彼女は、ため息をこぼしてからさらに続けた。

「実際、私の母親はリヒテンベルク家の血を引いていますが、暴力ばかり振るう男と無理に結婚し、望まない妊娠をして、私を出産した直後から私に厳しく歌を教え込み、間も無くクレマー川に身を投じました。対する父親は今も失踪したままです」

 それほど重たい話が来ると思っていなかったのだろう、ヴィルヘルムは完全に言葉を失い、二人の間には暫時ざんじ沈黙が続いた。

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