5 契り

 元々、空気中に魔力は存在するものだ。また、魔法使いが亡くなればその魔力は空気中にかえるし、新しく魔法使いが生まれれば空気中の魔力はその子に注がれる。

 しかし、大量虐殺が行われた時のように急に大量の魔力が空気中に放出されると、魔力同士で干渉してしまい、身体の中に魔力を宿している魔法使いに影響が出てくるというわけだ。

 したがって、空気中の魔力量を適切にコントロールする必要がある。


「……だから、私は、地表付近にある空気中の魔力を天に飛ばすということをしています。それが、毎日日付が変わる時の祈りです」

「なるほど、天に飛ばした魔力は、また徐々に地表付近に落ちてきますから、毎日続ける必要があるということですね。……アイヒベルガー家と神とのちぎりというのは?」

 ヴィルヘルムは、やや理解しきれないでいるといった表情を見せている。顎に手を当てているのがその証拠だ。


「魔法は、物体を動かしたり火を起こしたりといったことに使うことができますが、直接魔力を操作することはできません。しかし、虐殺があってからは、空気中に魔力が大量に放出されるわけですから、魔力を直接操作する力が必要でした」

 アレクシアの説明に、ヴィルヘルムは深く頷きながら応える。同時に、時折彼女の瞳に視線を向けるが、すぐに目を逸すということも続けていた。


「そこで、アイヒベルガー家は神様とちぎりを交わし、魔力を操作する魔法をいただくことになったのです」

「その力がアイヒベルガー家の末裔であるリヒテンベルク家にも引き継がれ、今に至るというわけですか……」

 はい、とアレクシアは頷きながら、ようやく馬車が中央広場に辿り着いたのを認識した。


    ◇◆◇


 中央広場には誰の姿も見当たらない。しかし、どこか静かすぎるような気もする。

 アレクシアはヴィルヘルムの目を見つめた。ヴィルヘルムの注意も彼女に向けられる。

「……そして、力の代価は、私たちの声でした」

「歌を歌え、ということですか?」

 アレクシアは頷いたが、「それと」と続けた。

「私たちの声、そのものです……」

 ヴィルヘルムは、詳しく教えてほしい、と告げた。


「歌を歌うと同時に、私たちは私たちの声を神様に捧げています。神様は元来声を持っていません。だから、人間から声を取得し、私たちに話しかけるのです。……要すれば、神様は、毎日日付が変わる時に魔力をコントロールする力をやるから、代価として歌を歌って声を授けよ、と先祖に命じたのです」

「……とすれば、つまり、アレクシア様は、毎日歌を歌っては、あなたのあの美しき声も神に捧げているというわけですか」

 はい、とアレクシアは悲しげに頷いた。


 ヴィルヘルムは、知っている話と知らなかかった話があるものの、ここまでの話をまとめていた。


 シュヴァルツェンベルク市には、昔、たくさんの優秀な魔法使いが住んでいた。王室は、辺鄙へんぴなこの地で暮らすその魔法使いたちが、いつか暴走するのではないかと疑ったわけだ。

 それを未然に阻止するため、シュヴァルツェンベルク市民の大量虐殺を行うこととした。それが、俗に言う「最期の末端都市」時代だ。

 しかし、これに伴って、シュヴァルツェンベルク市では大量の魔力が空気中に溢れ出た。

 人体に影響を及ぼす魔力をコントロールするため、この地をべていたアイヒベルガー家は神と契約をした——毎日零時、魔力をコントロールする力と歌声を取引するという内容だった。


「……アレクシア・リヒテンベルク様は、大地も魂も燃やされるような真夏から、感情すら凍らせてしまうような真冬まで、毎日、あの場所で祈りを捧げてきたのですか?」

 ヴィルヘルムの言葉に、やはりアレクシアは頷いて応えた。

 侯爵としてベッカー州の中心地で穏やかに過ごしてきた彼にとって、彼女のその責務、いや、運命は想像を絶するものであった。これまで彼が経験してきたこと、聞いてきたこと、それらのすべてが比較にもならない程度のものであると理解した。


「アレクシア様、あなたは教会の地下にある孤児院で、子どもたちを大切に育てていらっしゃると聞いています。それに、この街の人々からの人望も厚いと。そんなあなたが、その素敵な声……精霊のような声を失っていいはずがありません」

「……でも、…………これが私の使命なのです」

 しかし、アレクシアの歌声やその姿に十分に魅了されているヴィルヘルムが、そうですかと納得することはできない。


 彼は少し語気を強めて続けた。

「もしよろければ、……もしよろしければ、なのですが、その使命を、……私が代わって受けることはできないのでしょうか」

 強く語りかけるヴィルヘルムに見つめられたアレクシアは、ふとその視線の先にある感情を垣間見ることができたような気がした。

 ——この人は、自分の境遇に同情してくれているのかもしれない——


 アレクシアは幼い頃に一度だけ、母親に「祈りはもうやりたくない」と言ったことがある。しかし、その時の母親の表情は……、

「何を言ってるの!? 祈りを拒むなら、あなたは私の娘じゃないわ!」

 そのように罵倒しては、怒り狂った虎のような顔をしていた。おまけに頬を平手で叩かれ、その後しばらく片耳が聞こえなかったことがある——鼓膜が破れたのだ。


 そんな彼女からして、自ら使命を代わると告げられることは、あまりにも新鮮で、どこか信じがたい気持ちがあった。

 視線と視線が触れ合う、その時間は異様に長く感じられた。

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