3 連鎖

 ヴィルヘルムの乗っていた馬車の中にはシトラスの香りが広がっていたが、それがシトラスの香りであるということがわからないほどにアレクシアは緊張して座っていた。

 彼女の目の前にはヴィルヘルムが、その隣にはアレクシアの腕を掴んでいた執事が座っている。


「お、お話とは……」

「実は、リッチェル王国の王室から私のところに王室通知が届きまして。それによると、シュヴァルツェンベルク市から献上されているワインに、異物が入っていたとか。それの調査をしにここまで来たものでして」

 エルザが話していた内容と同じものだ。しかし、その詳細をアレクシアは知らない。

「その件は聞いたことがあります。でも、詳しくは何も知らなくて……」

「なるほど。なら……」

 ヴィルヘルムは一瞬口を閉じてから続けた。

「『精霊の棲む古城』についてはご存知ですか?」


 アレクシアは、目の前で真剣な眼差しをしているヴィルヘルムが口にした言葉を知っている。そして、それが何かも知っている。

 が、彼がそれを聞いてくる理由がわからない。

「それとワインの件に、どのような繋がりが……?」

 それを聞いて、ヴィルヘルムは隣の執事からある文書を受け取り、アレクシアに差し出した。

「これが、王室から届いた王室通知です」

 見たことのない上質な紙を受け取った彼女は、恐る恐る文書を開いた。


 丁寧に書かれた文書には、最初にワインの事件のことが書かれていたが、その続きにはアレクシアも驚く内容が書かれていた。すなわち、今回の事件は、シュヴァルツェンベルク市にある「精霊の棲む古城」にいる歌姫なら解決できるだろうということ。

 アレクシアは王室通知を丁寧に折り直してから、ヴィルヘルムへと返した。

「ヴィルヘルム・ハンス侯爵、申し訳ございません。私はあまり知らないものでして……」

 その答えを聞いて、ヴィルヘルムは肩を落としつつもアレクシアを馬車から降ろした。


 しかし、降り際、アレクシアは振り返って問う。

「……今回、どうして私を尋ねて来られたのですか?」

「この教会の地下には、かつての『最期の末端都市』時代に、アイヒベルガー家の末裔が身を隠したとされる孤児院があるでしょう。そして、その末裔こそがリヒテンベルク家——つまり、アレクシア様の家系……」

「おっしゃるとおりだろうと拝察しますが、それでも、私をお尋ねになったのは……」


 ヴィルヘルムは、丘の上にたたずむアイヒベルガー城に視線を移動させた。その瞳はひどく希望を失ったような、……あるいは、その先の未来に何か良からぬことが起こると予期したような、そんな色をしていた。

「アイヒベルガー家と神の最後のちぎりをリヒテンベルク家が継いだかと思ったのですが……」

 ヴィルヘルムは最後に「足止めして失礼しました」と付け加え、アレクシアはまた教会の前に戻ってきた。


    ◇◆◇


 ヴィルヘルムと別れてから、アレクシアは急いでエルザの店へと向かった。エルザはちょうど昼食のパンを食べているところだったが、店に駆け込んできたアレクシアを見るなり彼女の元へ歩み寄ってきた。

「どうしたんだい、アレクシア。そんなに焦って」

「エルザお婆さん、このミルククッキー、何か異物が混入したとかありませんか?」

「異物?」

 しかし、エルザは首を捻るばかりで、そんなことはないはずだという表情をしている。


「孤児院の子どもが、これを食べてから倒れてしまったんです……。この中に、何かあったのではないかと思ってしまって」

「そんな、そんなことないよ。あり得ないよ」

 犯人扱いされたとばかりにエルザは言葉を連発する。が、アレクシアがその言葉を鵜呑みにすることなど、できるはずもない。


 アレクシアはミルククッキーの袋を商品棚に戻した。

「これはお返しします。返金はいりませんから」

 エルザの返事を聞くこともせずにきびすを返してその場を立ち去ろうとしたが、それを止めたのはやはりエルザだった。

 ——いや、正確には、エルザが倒れた音だった。

「えっ? エ、エルザお婆さん!?」

 振り返ったアレクシアは床に倒れ込んだエルザを揺すり、何度もその名前を呼んだ。しかし、エルザはうずくまるばかりだった。その様子は、どこか、マリーに似たものがあった。


    ◇◆◇


 昼過ぎになり、アレクシア、マリー、エルザの姿は、教会の近くに位置する病院内にあった。といっても、マリーとエルザはベッドに横になっているのみで、医師と話しているのはアレクシアのみ。

「あれは、魔法によるものですね。毒ではありません」

「魔法によるもの……」

 アレクシアは医師の言葉をぼんやりと復唱したものの、その言葉が意味することを半ば理解できないでいた。

「魔法で人に害を及ぼすなんて、そんなこと……」


 リッチェル王国に住む人々は全員魔法を使うことができる。しかし、魔法と言っても何か大きなことをできるわけではなく、物を動かしたり字を書いたりなど、ごくごく簡単なことしかできないものだ。

 そのため、魔法で人に何らかの害を及ぼすなど、アレクシアの考えが及びもしないものだ。


「ええ、おっしゃるとおり、なかなか考えられないことです。しかし、もし『最期の末端都市』時代の虐殺を逃れた人がいたならば……」

 そのようなこともあり得るかもしれない、と言いたいのだろう。

 アレクシアは思わず俯き、顔に両手を当てた。その指の隙間に、ほんのわずかな涙が滲んでいた。

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