2 事件

 アイヒベルガー城のある丘から街中まちなかにやってきたアレクシアの姿は、中央広場の菓子屋の中にあった。どうやら、この店で自慢のミルククッキーを買いに来たようだ。

「アレクシア、いつもありがとう」

「いえいえ、エルザお婆さんのミルククッキーは本当に美味しいですから。いつも持って帰ったら、みんな本当に大喜びなんですよ」

 アレクシアにそう言われ、エルザは恥ずかしそうに顔をほころばせた。


 しかし、次にアレクシアが放った言葉によって、その顔がかげることとなった。

「……あれ、今日はいつものワインは置かれていないんですか?」

 言いながら、アレクシアは店内をキョロキョロと見回す。しかし買うつもりはないのだろう、エルザから受け取ったミルククッキーの袋を片手に、コートのポケットから取り出した幾らかの小銭を渡したところだ。

「一時間ほど前だったかな、州警察の人が来てね。この街のワインに、異物が混入していたって」

「そうなんですか!?」


 大層驚いたのだろう、アレクシアが本当に目を丸くするものだから、エルザは「まあまあ」となだめてから続けた。

「詳しくは聞いていないんだけどね、そんなようなことを言っていた。でも、シュヴァルツェンベルク市のワインなんだから、想像もできないって言っておいたよ」

 そうであればいいのですが、などとアレクシアは答えつつも、どこか不安げな表情のままだった。それを見て、エルザはさらにもう一言続けた。

「気にしなくていい。何かわかったらアレクシアにも伝えるよ。だから、早くみんなのところに行っておいで」

 アレクシアは端的に返事をして、この店を離れた。

 彼女が向かった先は、街で一番大きな教会の地下にある孤児院だった。


    ◇◆◇


「アレクシアお姉ちゃん! こっちに来て! 早く!」

 孤児院の入り口の扉を開くと同時に、アレクシアを待っていたのであろう子どもたちがわらわらと彼女の足元に集まってきた。中には、彼女の手を引っ張ろうとする子どももいた。

「どうしたの!?」

「マリーちゃんが倒れちゃって!」


 子どもたちに引っ張られながら到着したのは、孤児院の奥にある談話室。要すれば、子どもたちが集まって自由に話すことができる部屋だ。子どもたちの寝室からカーテンで仕切られただけの部屋でもある。

「何があったの?」

 綺麗とも言えない床でぐったりしているマリーの背中をさすりながら、アレクシアは囲むように立っている子どもたちへと問いを投げかけた。すると、

「椅子に座って普通に話していたら、急に倒れちゃって……」


 アレクシアは背筋を伸ばし、部屋の中央に置かれている椅子とテーブルへと目をやった。テーブルの上には、先ほど部屋に入った時に置いた、アレクシアが買ってきたミルククッキーの袋と、子どもたちが使っていたのであろういくつかのマグカップ。

 そして、——アレクシアが買ってきたものとは別に、袋の口が開いたままになっているエルザの店のミルククッキーの袋が置かれていた。

「……クッキーを食べたのは?」

「マリーちゃんだけ」

 集まっている子どもたちのうちの一人が、弱々しい声で応答した。


 アレクシアはマリーの背中から手を離して立ち上がり、テーブルに置かれているミルククッキーに手を伸ばした。

「これが……、まさか……」

 ミルククッキーはいつもと同じ色、同じ香りがするが、この中に何か毒でも盛られていたのだろうか。また、そうであるならば、犯人はあのエルザなのか。


 アレクシアは答えを見つけ出せないまま、子どもたちにクッキーを食べないように言いつけ、買ってきたミルククッキーの袋を乱暴に手に取っては部屋から飛び出した。


    ◇◆◇


 教会から飛び出したところ、見たこともないほど豪華な白い馬車から降りてくる一人の男性が目に入った。その馬車にはベッカー州の貴族、ハンス家の家紋が描かれている。

 黒髪の短髪で、身長はアレクシアよりも頭ひとつ分ほど高いその男性は、立ち止まっているアレクシアに気が付くと、笑顔になって声をかけてきた。


「……アレクシア・リヒテンベルク様?」

「えっ、……ええ」

 どうして自分の名前を知っているのかと、アレクシアは目を丸くして立ち止まっていたが、やがて手にしているミルククッキーのことを思い出しては、馬車の横を駆け抜けて行こうとした。

 が、スーツ姿の執事が行手を阻み、アレクシアを制止した。


「はっ、離してください! 急いでいるんです!」

「いかがいたしましょう?」

 執事はアレクシアの腕を掴みながら、貴族の男に尋ねた。

 すると、彼は羽織っていたコートをサッと脱いで別の執事に預けては、アレクシアに向かって丁寧にお辞儀をした。

「申し遅れました、私はハンス家の者で……」

「……ヴィルヘルム・ハンス侯爵?」

 アレクシアはわずかに頭の片隅に残っていた名前を口に出した。それを聞いて、ヴィルヘルムは顔を上げてきた。


「まさに。……アレクシア・リヒテンベルク様に、少しお聞きしたいことがありまして」

「わ、私に……?」

「ええ」

 焦る気持ちはあったものの、侯爵に話があると言われた以上、無視することもできない。アレクシアはヴィルヘルムに促されるままに、馬車に乗り込むこととなった。

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