第5話 疑問

 玄関先から、ばあちゃんの得意料理である芋の煮物の香りが漂ってきた。

 ぼくは、ガラリと音を立てサッシの古い玄関扉を横に引いて開けた。


「ただいま……」

「おかえり。達也、ご飯できてるよ-」

 ばあちゃんの声が台所から響いて来る。


 ぼくは台所を覗くと、

「うん。今、お腹あんまり空いて無くてさ。後で食べるじゃ駄目かな」とばあちゃんの小さな背中に向かって言った。


「そうなの? そりゃ、後でもいいけどさ」

「どうした達也。熱でもあるのか?」

 じいちゃんの心配そうな声も聞こえてくる。


「いや、そうじゃなくてさ。ちょっと食欲が無くて」

 ばあちゃんとじいちゃんにそう答えると、ぼくは自分の部屋に行き、すぐにベッドに潜り込んだ。


 ずっと、混乱していた。

 あれは一体何だったんだ。アイは何かの力を使ったのか?

 黒田たちの暴力に屈してしまった情けなさと、アイへの違和感が心の中心に居座っていた。

 アイは黒田たちに何をしたんだ?

 ぼくは改めてあのときの状況を詳細に思い出していた。


 ぼくが黒田に馬乗りのような格好で押さえつけられ、殴られているとき、アイが突然現れ、「止めなさいっ! なんでこんなことをするのっ!?」と叫んだのだ。


 黒田はアイに構わず、拳を鉄槌の形で打ち込んできた。

 ぼくが痛みに耐えようと、目をつぶり、歯を食いしばったとき、何かを打つような音が響いた。だが、それはぼくに黒田たちの攻撃の到達した音では無かった。


 目を開くと、みんな背中を向けて向こうへ歩いて行くところだった。

 なぜ、あんなにいきり立ち、達也を攻撃することに夢中になっていたはずの少年たちは大人しく帰っていったのか?


 アイが転校してきた日、最初に教室で黒田が絡んできたときも、そんな感じがあった。絡んでくる黒田をアイが睨みつけた後、ざわめくクラスメートの方を見回して一瞬手を振ると、不思議なことにそれは直ぐに収まったのだ。あのときも、突然、二人に興味を失ったかのような周りの態度に、ぼくは違和感を感じたのだった。


 そう考え始めると、高原たかはら麻奈実まなみをはじめとしたクラスメートたちが寄ってきたことも気になった。いつもは目も合わさないのに、アイが側にいたとは言え、それだけであんなに寄ってくるものなのか――


 考え始めると、疑問が止まらなくなっていく。

 ベッドの中で考え込んでいると、

「達也。お腹空いて無くても、とりあえず下りておいで!」と、ばあちゃんの声が一階からふすま越しに聞こえてきた。


 ばあちゃんが中々下りてこないぼくに心配して、声をかけてきたのだった。

 思考を中断されたぼくは、「いらない」と言いかけ、思い直すとベッドから出た。余計な心配をかけてもいけないと思ったのだった。


 ぼくは、階段を下りる途中も考えていた。

 思い出すに、アイとの出会いそのものが不自然と言えば、不自然だった。それは最初から気づいていたことなのだ。あんなふうに幾つもの外国語を話したことや、公園の芝生の上で今にも死にそうになって倒れていたこと……事情は理解していたつもりだったが、冷静に考えてみると、やはりおかしいような気がしてしょうがない。


 どこかで真相を訊くべきなのかと思いつつ、きっと本人を前にしたらそんな問い詰めるようなことはできないだろうな、とも思った。昔、親友だった海にも散々言われたし、自覚もあるのだが、肝心なところで意気地がなくなるところがあるのだ。


 ぼくはガリガリと頭を掻きながら、一階に下りた。居間の前に着くと、ガラスの格子戸がはまっている引き戸を開け、中に入る。


 食卓に座ると、

「あら。そのあざ、どうしたの? 口の周りも怪我になってない?」

 ばあちゃんは殴られた痣のある顔を見て、訊いてきた。


 やば、忘れてた。と、内心慌てつつ、

「いや。ちょっとドジってさ。学校の階段でけちゃったんだ……」

 苦笑いをしながらごまかす。


「でも、転けてそんな怪我になるはずが……」

「まあ、いいじゃないか。男の子はこれくらい元気がある方がいいのさ」

 心配するばあちゃんをじいちゃんがいさめた。


「まあ、大したことがなければいいんだけど」

「大丈夫だよ。ばあちゃん」

 ぼくはにっこり笑ってそう言った。

 

 急いで夕ご飯をかき込むと、食器を流しに片付ける。

 じいちゃん、ばあちゃん、ごめん。

 心の中で謝りながら、ぼくは部屋へと上がっていった。ぼくは、自分の態度に嫌悪感を覚えるが、今はアイのことで頭がいっぱいだった。


 部屋に入ると、机の上にある父母の写真を眺めながら、引き続きアイのことを考えた。


 最初に会ったとき、流れ星に乗って来たんじゃないかと思ったが、気のせいじゃないのかもしれない。本当に宇宙人か、異世界人なのか。そうじゃないと、色々なことに辻褄つじつまが合わない。それか、実は強力な催眠術の使い手だったとか……。


 そこまで考えて、やはり本人に直接聞くしか手は無いのだ、と思い至った。

「だけど、その勇気は中々出ないぞ……」

 ぼくは独りごちた。

 まさに堂々巡りとしかいいようがない。頭の後ろで手を組むと天井を見上げ、大きなため息をついた。 


      *


 翌朝早く。

 ぼくは学校のクラスの花壇で、植栽してある花に水をやっていた。


 学園では、それぞれのクラスの花壇があるのだが、花壇の当番が真面目に世話をしないため、二日に一回程度、自発的に水やりをすることにしていた。ある日、しおれかけた花を見てたまらない気持ちになったからだった。


 雑草を抜き、じょうろに溜めた水を根元にかけていく。作業を終え、隣のクラスの花壇を見ると、そちらも元気が無いのが気になった。


 じょうろに水を汲んできて、引き続き水をやっていると、

「おはよう」と声をかけられた。


 心臓がドキンと跳ね上がる。

 アイだった。

「おはよう」ぼくは作業を続けたまま、挨拶を返した。


 ぼくは平常心を保とうとしていたが、頭の中は昨日から続く疑問が駆け巡っていた。


 黒田たちへのあれはどうやってやったんだ? 君はどこから来たんだ? 地球人じゃ無いんじゃ無いか?

 実際に訊こうと思うと、やはり突拍子がなさ過ぎて、口から質問が出ない。


「ね、ねえ。な、なんでぼくのことを気にかけてくれるの? みんな、ぼくのことを避けてるんだ。仲良くしてたら、アイさんも嫌われちゃうよ」

 代わりに違う質問が口を突いていた。


「そんなこと関係ないわ。タツヤはあの朝、私を助けてくれた。だから、あなたのことを大切に思っているの。それだけよ」

 アイは真っ直ぐにぼくの目を見つめて言った。


 ぼくは顔が火照るのを感じていたが、意を決して口を開いた。

「あ、あのときは、おとといも言ったけど、自然に体が動いたんだ。うまく説明できないけど、ほうっとけなかったから。今更だけど、アイさんは……なんで、あそこで……気絶してたの?」


 アイと視線が絡み合う。

 ぼくはゆっくり唾を飲み込んだ。

 

「実はね、私、持病で貧血がひどいの。あのときは、それで気絶してしまって……だから、助けてもらったときも少し様子がおかしかったでしょ」


 そのとき、一瞬、首筋に微かに何かが触れたような気がした。

「あっ、そ、そうだったんだね」

 首筋の後ろを手で払いながら、頷く。


 突然、アイの説明がに落ち、素直にすっと胸の中に入ってきた。

 確かに貧血だったらあり得る。気絶から突然、目が覚めたら、とまどってあんな行動をすることもあるのかもしれないし――

 天啓のように閃くその考えに、ぼくは何度も頷いた。


「納得した?」

「う、うん。なんか、ごめん……」

 ぼくは思わず謝っていた。さっきまで思い悩んでいたことが、ちっぽけでどうでもよかったことのように思える。


 アイはぼくの言葉には答えず、足下にあった移植ごてを手にした。そして、誰かが踏んだのか倒れている花を植え直す。結構そんな花があり、上手に土を掘って植え直しているアイを見て、ぼくはほっこりしていた。


「いつも、花の世話をしているの?」

「ううん。二日に一回くらいだよ。水をやったり、雑草を抜いたりするくらいだけど」

「そっか」

 二人でそんな話をしながら、花の世話をし終わり、花壇を見ると、いつもよりも元気になっているように感じた。


 さっきの植え直したやつなんか、くたっとして今にも枯れそうだったのに、あんなに生き生きしてるよ。やっぱり不思議な娘だ。


 ぼくはアイと花壇を見つめ、そう思った。

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