第4話 秘めた力

 高橋麻奈実は、ぼくとアイはいつ知り合ったのか、結構しつこく訊いてきた。アイみたいなかわいい子と、ぼくみたいなクラスで無視されている奴が仲が良さそうなのが、合点がいかないのだろう。


 アイは「引っ越してきたその日に、偶然出会って、この辺りのことを教えてもらったの」と半分本当で、半分嘘な話を平然とした。あまりにも堂々と言うものだから、麻奈実もそれ以上突っ込むことができず、この話はそれで終わった。麻奈実がそれを本当のことと思ったかどうかは定かでは無いが。


 それから休み時間になっても、アイは近くには来なかった。途中で何回か目が合ったが、同じようなことがあってはいけないと思ったのかもしれない。目が合っても、にっこりと微笑むだけだった。


 アイの所には変わらず人だかりができていたけど、ぼくの周りからは人はいなくなり、ぼくは平和で静かな、だが孤独な時間を学校が終わるまで過ごした。


 最後までアイは近くに寄ってこなかったが、おかげで気楽に過ごすことができた。いつものように掃除当番を代わり掃除を終えたときには、アイはいなくなっていた。こうして、いつものように、帰り道を一人で帰ったのだった。


 だが、公園へと向かう途中、川沿いの道で事件は起こった。

 五人の人間に囲まれたのだ。


 辺りは暗く、最初は誰だか分からなかったが、そいつらは一年生の不良っぽいグループの奴らだった。中心に黒田浩一がいる。


 周りには犬の散歩をしている人が二、三人いたが、黒田ともう一人が達也の両腕を抱えると、河川敷の方へと連れて行った。黒田以外は、見かけたことはあったが同じクラスでは無いはずだった。


「ちょ、ちょっと」

 声を上げると、

「静かにしろ……」

 黒田が犯罪者のように凄んだ。


 河川敷まで下りると、他に人はいなかった。

 川面を通り過ぎた生温なまぬるい風が体に当たる。


「こんなの……止めてくれ」

「止めるわけ無いだろ」


 黒田はそう言うと、突然、鳩尾みぞおちにパンチを放った。

 不意を突かれ、その場にうずくまる。鋭い痛みが胃に突き刺さり、涙がにじんだ。


「お前。俺のことを笑ったろ?」

 うずくまっているぼくの髪を掴んで、顔を持ち上げると、ねじ込むように視線を合わす。

 ぶん、ぶんと、首を振ると、


「調子に乗んなよ」

 もう一人の奴が、ぼくの太ももにつま先で蹴り込んだ。


 急所に突き刺さった蹴りの痛みに、ぼくは悲鳴を上げ、転がった。

「な、なんでこんなことを? ぼくは笑ってなんかない……」


 地面を転がりながら離れようとするが、

「おらあっ! ぎゃはは!」少年たちは、奇声を上げながら追いかけてきた。


 別の奴が腹を蹴り上げ、さらに転がったところで黒田がぼくの襟を掴んで引き上げる。

「アイさんのことか? 仲良く話していたのが気に入らないのか?」

 ぼくが訊くと、


「お前さ。前から思ってたけど、なんか気持ちわりーんだよな。本当は近寄りたくも無いくらいだ。そんなやつが、アイちゃんと仲良くできてるのが気にいらねえっつうかさ。まあ、早い話、お前ごときが偉そうにすんなよって感じなんだよ。分かる?」

 黒田は吐き捨てるように言った。


「偉そうになんかして……」

 言い終わる前にもう一発腹に来た。


 ぼくはその見え見えの一発をガードしたが、続けてきたアッパーを顔面に食らった。鼻の奥につんと、血の匂いがする。


 ずっと無視はされてきたが、こんなふうに暴力を振るわれるのは初めてのことだった。


 ぼくは、力一杯に黒田を突き飛ばすと、後ずさった。

 少年たちから吹き出す暴力の雰囲気が、一気に沸騰するのが分かった。

 反射的に踵を返すと走り出す。


「こらっ。待てっ!!」

 黒田の怒声が響いた。


 直ぐ後を少年たちの足音が追いかけてきた。足音はどんどん近づいてくる。


 危機感を感じて振り向くと、すぐ後ろで黒田が渾身の右ストレートを打ち込んできたところだった。


 突然、頭の中心を痺れるような感覚が走った。体中の体毛が立ち上がり、空気の流れを感じる。


 黒田のパンチの軌道を空気の流れで捉えると同時に、パンチそのものの速度もゆっくりに感じた。


 ぼくは黒田の横へ身体を移動させると、体当たりして黒田を地面に転がした。無我夢中だった。


 地面からぼくを見上げる黒田の顔が真っ赤になっていた。

 後ろから来た飛び込むような体当たりを身体を回して避けると、左から来た蹴りを跳んで避ける。


 不思議だった。四人の攻撃が手に取るように分かり、その動きそのものもゆっくりに感じる。極限まで集中力が高まっているというのが、最も近いのかもしれない。


 次々に攻撃を避けていると、ふと足が大きな石に引っかかった。

 暗いのと雑草のせいで見えなかったのだ。

 よろめいたところを黒田のタックルを食らった。


 倒れたところに黒田が馬乗りになる。

「よし。マウントポジション、ゲット」

 嬉々とした声を響かせ、黒田がぼくにパンチを何発も打ち込んだ。


 ぼくは必死にガードをしてパンチを避けたが、横についた奴らがぼくの腕を掴んでガードをこじ開けようとする。


 絶望的な展開だった。

 黒田が悪魔的な笑顔を作ってパンチを振り上げた。


 すると、

「止めなさいっ! なんでこんなことをするのっ!?」

 突然、女の子の声が響いた


 思わずそっちを見る。

 まさか……だが、そこにいたのはアイだった。

 どこから現れたんだ?


 そう思っていると、

「あんたには関係ない。俺のメンツの問題なんだ。引っ込んでてくれ」

 と、黒田が言った。きっと、ここにアイが現れるだなんて思っていなかったはずだ。その声には驚きの響きが混じっていた。


「おい、お前ら。彼女が邪魔しないようにしててくれ……」

「おう。了解」

 他の三人はそう言うと、アイが動けないように周りに立った。


「じゃあ、手早くやるか。とりあえずもう少しボコボコにさせてもらうわ」

 黒田はニヤリと笑うと、こちらに残ったもう一人に目配せをした。


 そいつはぼくの頭の方にしゃがむと両腕を押さえて、ガードができないようにした。


 必死になってブリッジを作り、逃げようとしていると、

「おりゃっ」

 黒田が振り上げた拳を鉄槌の形で打ち込んだ。


 鼻血が噴き出すのが分かる。さっきまであった不思議なほどの集中力はどこかに去っていた。ぼくは、絶望感とアイにこんな様を見られている恥ずかしさで一杯だった。


 さらに黒田が鉄槌を振り上げた。

 ぼくは自分を襲うであろう痛みに耐えようと、目をつぶり、歯を食いしばった。


 ガッ、ボッ、ゴッ、と、何かを打つような音が響いたが、その蹴りはいつまでもぼくには到達しなかった。


 いつのまにか、ぼくの腕を掴んでいた拘束もなくなり、上に乗っていた黒田の体重もなくなっていた。

 そっと目を開くと、目の前にはアイが立って、ぼくに手を差し出していた。


 黒田もそれ以外の奴らも、みんな背中を見せて向こうへ歩いて行っている。

「え……な、なんで……?」

 ぼくは呟いた。


「もう大丈夫。あの人たちには分かってもらったわ」

 アイは言った。

 ぼくは、アイの差し出した手を握り立ち上がった。


「一体、何が起こった? アイさん。あいつらに何をしたんだ?」

「何もしていないわ。分かってもらっただけよ」


 アイの言葉をその通りに受け取ることはできない。どう考えてもおかしかった。得体の知れない力を目の当たりにした感じがして、理解が追いつかない。


「血が出てるわ」

 アイは近寄ってきて、ぼくの鼻の下を親指で拭った。

「い、いいよ」

 思わずそう言い返し、後ずさる。


 やられるがままに暴力を振るわれているところを見られた恥ずかしさと、今、起こったことに対する違和感が混じり合っていた。


 アイの悲しそうな顔が一瞬目に入ったが、ぼくはきびすを返すと走り出していた。

「待って!!」


 アイの声が聞こえたが、構わずに駆けていく。悔しさなのか、恥ずかしさなのか、自分でも説明のつかない感情が沸き起こり、知らず、知らずのうちに涙が流れた。


 なぜ、涙が――

 ぼくは戸惑った。

 混乱したまま、涙を拳で拭う。そして走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る