第3話 転校生

 アイと運命のような再会を果たした次の日。

 ぼくはいつものようにバスを降り、市民公園を通り抜けたが、アイには出会えなかった。


 昨日、またねって言ったのにな。

 ぼくは心底がっかりして、でも夕方に会えるかもと期待を持ちながら、学校へ向かった。


 ぼくの通う私立しりつ愛徳学園あいとくがくえんは、この地域では、いわゆる進学校といわれる普通科の高校だ。


 ぼくは一年生でクラスはB。中にはちょっと不良みたいな生徒もいるが、真面目な生徒が大半で、男女の比率は半々だ。一年生の途中、六月くらいから一斉に無視されるようになった。今が十月だから、もうかれこれ四か月は続いていることになる。


 真面目な生徒がほとんどの中で、みんなが、一斉に無視を始めたことに違和感を感じたが、特に理由もきっかけも思い当たることはなく、今でもなぜこうなったのかは、さっぱり分かっていない。


 学校に着くと、登校してきた生徒で混雑する中、玄関で靴箱に靴を入れ、教室へと向かった。

 二階へ上って、1-Bの教室を目指す。


 いつものことだが、教室に入って、机に座っても、誰も話しかけてこないし、寄っても来ない。今日も同じ一日が始まるなと思っていると、朝礼の時間になって、驚愕の出来事が起こった。


 担任の田原たはら先生――五十代のぽっちゃりした地味目な国語教師なのだが、その先生の後から一緒に入ってきた女の子が、なんと女子の制服を着たアイだったのだ。


「規律、礼、着席」

 当番の生徒が号令をかけ、一斉に着席した途端、ざわざわと騒がしくなった。


 アイがニコッと笑い、ぼくを見た。

 ドキッとして、思わず下を向く。顔を戻すと、アイは真っ直ぐ前を向いていた。


 アイがぼくに向かって笑顔を向けたと思っているものはいなさそうだった。クラスのみんな、まさかあれがぼくに向けた笑顔だとは思わないのだろう。それよりも、アイのあまりのかわいさにざわめいているという感じだった。


「転校生の紹介をします。彼女は、お父さんの仕事の関係で外国のいろんな所に住んでいて、久々に日本に帰ってこられました。日本語は大丈夫とのことです。それでは自己紹介してもらいましょうか」


 田原先生がアイに自己紹介するように促すと、アイは自分の名前を黒板に書いてから一礼した。


「私の名前は双葉ふたばアイです。年は皆さんと同じ十七歳。父の仕事の関係で、イタリアやイギリス、スペイン、中国……いろんな国で過ごしました。日本には小学四年生まで住んでいたから、言葉も大体分かると思いますが、変なことを言ったら教えてくださいね」


 アイの挨拶を聞いて、クラスのみんな笑い声を上げた。昨日、最初に感じたぎこちなさは全くなくなっていて、日本で生まれた日本人と全く変わらない話し方だった。


「かわいい」「めちゃ、美人やん」「イタリアとかスペインだって、すごいね」

 そこら中から、アイのことを話しているのが聞こえてくる。


「彼女は外国暮らしが長かったのだから、日本の風習とか習慣を教えてあげてくださいね」

「はーい」

 田原先生の言葉にみんなが声を揃えて返事をすると、そこでアイの自己紹介は終わった。


 そうだったのか。と、ぼくは最初に会ったときのことを思い出しながら、頷いていた。たぶん、あの時は日本に着いたばかりで、突然のことに日本語が出なかったんだろう。


 アイは後の空いている席に案内されると、そこに座った。

 ぼくは前を向いたまま一時限目の教科書を開いた。最初は、そのまま田原先生の国語だった。


 あっという間に一時限目の国語が終わり、休み時間になると、アイの周りには人だかりができていた。アイは、クラスのみんなときちんとコミュニケーションをとって、話をしているようだった。


 ぼくは少しだけ、そちらを見て、直ぐに前を向いた。アイが変な風に思われてはいけない。冷静に考えれば、自分はこのクラスの嫌われ者なのだ。


 息を吐いて、ぼくはアイの座る方から目を離した。変に話しかけてアイに迷惑をかける訳にはいかなかった。


 しばらくして、次の授業が始まった。次は数学だった。

 数学の教師の上坂かみさか先生が長めの前髪をかき上げながら、入ってきて、アイに目をとめると「おう」と言って、口をぽかんと開いた。


「話には聞いていたが、本当に美人だな……」

 上坂は、聞く人によっては失礼に当たるようなことを堂々と言うと、頷きながら教科書を開いた。


 国語の授業もそうだったが、終始、上の空で達也は授業を聞いた。アイの座る方を見たいが、見るわけにはいかない。数学の授業は国語の時と違って、中々、時間が進んでいかなかった。


 やっと、数学の時間が終わり、次の休み時間。

「ねえ。タツヤ……」

 アイが話しかけてきた。


 ぼくはビクッと体を震わせ、アイの顔を見上げた。アイは輝くような笑顔でこちらを見ていた。


 少し、周りの反応が気になる。

 ぼくもぎこちなく笑顔を返したが、周りから、ざわざわと話す言葉が聞こえてきた。きっと、あまりいいことじゃないはずだ。少しだけ顔をしかめ、アイと目を合わす。


「なに?」

「ううん。びっくりした?」

「うん。少しね」


 ぼくは何気ないふうを装いながら、冷や汗をかいていた。どうするのが一番いいことなのか分からない。そして、周りの視線を痛いほどに感じる。


 すると、

「ちょ、ちょ、ちょっ……」

 と、言いながら、黒田浩一という奴が、ぼくとアイの間に入ってきた。チャラチャラしていて自分に自信があるタイプだ。いつもクラスの中では輪の中心にいて、やんちゃなグループに属している。


「アイちゃん。何かあったの? 二人、知り合い?」

「タツヤは私の友だちなの。少し前に知り合ったのよ」


「それなら深い友だちってわけじゃないんだよね。こんなやつと話しても、何もいいことなんかないぜ。それより、俺たちとあっちで話そうぜ」


「ん? なんで、そんな嫌なこと言うの? あなたが同じようなことを言われたらどう思う?」


 アイはストレートに黒田に訊き返した。

 瞳が一瞬青く光ったように見え、ぼくは眼を瞬いた。


 アイは何も言い返さない黒田を睨みつけながら、

「タツヤ、こいつは敵なの?」

 突然、冷徹な口調で言った。


「い、いや……敵って、そんな大げさな」

 黒田は頭を掻きながら、へらっと笑った。だが、アイが冷たい表情を崩さないのを見て、


「お、俺は、別に、そんなんじゃ……ないからな」

 と、口ごもりながら、自分の机へと戻っていった。

 アイにそんなことを言われると思っていなかったのだろう。顔が真っ赤になっていて、ばつが悪そうだった。


 周りが一層ざわざわとざわめいたが、アイがみんなの方をぐるりと見回し、一瞬手を振ると、不思議なことにそれは直ぐに収まった。


 突然、二人に興味を失ったかのような周りの態度に、ぼくは違和感を感じながら、アイを見た。


「ごめんね。あんなことまで言わせて……ありがとう」

 そう言うと、

「ううん。なんてことないわ。それよりも元気を出してね」

 アイは笑顔で首を振った。


「うん……。ねえ、このクラスに来たのは偶然なんだよね?」

「そう。たまたまよ。この学校に入学することは決まってたけどね」

「へえ」


 そんな会話をしていると、

「なんで、二人はそんなに仲いいのよ!」

 クラスでも明るくて人気者の女子、高原たかはら麻奈実まなみが声をかけながら近くに寄ってきた。


 すぐに、他の女の子も寄ってきて、あれこれと話しかけてくる。

 アイは先ほど、黒田に大した態度とは全く変わってにこやかに対応をしていた。


 ぼくは、アイがそばにいるとは言え、なぜこんなにみんなが集まってくるのか、不思議に思っていた。

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