第2話 再会
翌朝――
ぼくは学校に通うため、公園行きのバスに揺られていた。頭の中はあの少女のことで一杯だった。
家に帰ってから、少女が口にした言葉をスマホで調べた。最後にサンキューと言っていたことから、様々な国のありがとうの言い換えだろうと見当を付け、翻訳アプリで調べていくと、すぐに分かった。
ダンケはドイツ語、グラシアスはスペイン語、サンキューはもちろん英語だった。
最後のツァイチェンはテレビか何かで聞き覚えがあり、中国語だろうと思って調べたらやっぱりそうで、これだけはありがとうではなく、さようならという意味だった。
あくまで彼女の様子を見て受けた印象だが、ここで通じる言葉が分からず、当てずっぽうで地球で多く使われている言語を使ってみた……そんなふうに思えた。やっぱり、彼女は流れ星でやってきた別の星に住む宇宙人。もしくは、
荒唐無稽な想像にぼくは思わず笑った。
「大体さあ。宇宙人って言ったら頭が大きくて体の小さい灰色のやつなんじゃないの。あと、目が大きい……」
思わず独り言を呟いていると、ブシュウッとブレーキのエア音を響かせてバスが止まった。
市民公園前のバス停に着いたのだった。
首を振りながら立ち上がると、バスを降り、公園に入っていく。
宇宙人説はとりあえず忘れることにして、彼女の姿を探した。
もしかしたら、また会えるんじゃないか。
少し……というか、かなりそんな期待を持っていた。昨日の帰り道も期待しながら公園を通ったが、会えなかったのだ。
だが、公園を突っ切って、通学路に出るまでの間、結局少女に出会うことはなかった。
「やっぱ。いないか……」
ため息をついて、公園を振り返る。
ひょっとすると、もう会えないのかもしれない。ぼくはあの時、あれ以上話しかけられなかったことを後悔しながら、とぼとぼと学校へと向かった。
学校に着くと、待っていたのはいつもと同じで変わり映えのしない孤独な日常だった。誰も話しかけてこない一日が終わり、最後に「掃除当番を代わってくれ」といつものようにクラスメートに頼まれる。
ぼくは曖昧に頷き、掃除を終わらせると、いつものように近道の公園を目指し歩いた。公園に着くと、中を突っ切っていく。
少女に会いたかった。心の底から。だけど、もう会えないだろうとも思っていた。きっと、これから先も希望の無い暗い毎日が続いていくのだと思うと、気が滅入ってくる。
目線を落とし、足下の地面を見ながら歩いていると、
「あ、あの……」
聞き覚えのある声が話しかけてきた。
反射的に顔を上げる。
心臓が跳ね上がった。
長い黒髪が目の前で揺れ、大きな瞳がぼくを見つめていた。
そこにいたのは、あの少女だった。
大げさではなく、少女のいるそこだけが光っているかのようだった。
右肩にかけていたリュックが、ずるっと足下まで滑り落ちる。
まさか、会えると思っていなかったぼくは、その場に固まって少女を上から下まで見つめた。
やった。また、会えた――
ぼくは緊張で固まっていたが、必死になって
「こ、こんばんは……」と挨拶した。
こんなチャンスはもう二度とないかもしれない。その一心だった。
すると、
「こ、こんば、んは」と挨拶が帰ってきた。
ぎこちないが、日本語だ。
すかざず、
「体は大丈夫ですか?」と訊くと、
「だ、大丈夫よ」と返ってきた。
やはり、すこしぎこちない。どこか、機械的な話し方のような気もした。
話が途切れるが、少女はにっこりと笑ってこちらを見ている。
「え、と。変なことを訊きますが、日本人ですか?」
「え?」
少女がきょとんとした顔をする。
「あ、いや……いいんです。お名前は?」
「な、名前……? わ、たしは、フタバ、アイ、です」
失礼なことを訊いてしまったかと思い、どさくさにしてしまった質問に少女はあっさり答えた。
アイ、フタバアイ。
心の中で
そう思っていると、
「あなたは?」と、アイが訊ねた。
「あ、ぼ、ぼくですか……ぼくは、タツヤ、アイザワ、タツヤです」
慌てて答えると、アイはまたにっこりと笑った。
たまらなくかわいい笑顔だった。
「な、名前は、どんな漢字なの?」
ぼくは訊いた。きょとんとしている彼女の顔に、何かまずいことを訊いてしまったかとドキドキする。
すると、
「フタバは植物が生えてくるときに最初に開く二つの葉。二つの意味の双という字に葉っぱの葉よ。アイはカタカナ」
アイは微笑みながら答えた。気のせいか、少しずつ話し方が滑らかになっているように感じた。
「へえ」
ぼくは、その漢字がアイのイメージにぴったりあってるなと思い、頷いた。
「ここを通り抜けると、バス停までの近道なんだ。双葉さんの家はこの近く?」
「アイ、でいいよ。そう。この近くっていうか、最近引っ越してきたの」
「そうなんだ……」
もう、すっかり普通に話しかけてくる。さっきまでの話し方は何だったんだろう。緊張でもしてたのだろうか。そんなことがあるはずは無いが、少しずつ日本語が上達して言っているような印象を受ける。
ぼくは、そんなことを思いながら、ふわふわとした足取りでアイと一緒に歩いた。
顔が、耳の先まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。何のことはない。一番緊張しているのは自分だった。
自分の名前の漢字も教えた方がいいかなと思いながら、でも口で説明するのは難しいし、などと考えていると、
「タツヤ。改めて、あの日はありがとう」と言われた。
「うん。でも、当たり前のことだよ」
ぼくはアイの顔を見た。
「そう? でも、誰でもあんなふうに助けてくれるとは思えないの。なんで、あの日私を助けたの?」
確かに、改めてそう訊かれると、いつも引っ込み思案で気弱な自分にしては、思い切った行動だったような気もしてくる。
「自然に体が動いたんだ。うまく説明できないけど、ほうっとけなかった。正直言うと、息をしているのを見て一回は通り過ぎようとしたんだ。でも、ぼくが助けなきゃいけない。そんなふうに思ったんだ……」
「そっか」
そう返事をしたアイの方を見ると、下を向いていた。
何か変なことを言ってしまったか……と心配していると、
「私は、目を開いたとき、タツヤの顔が見えて、なぜだかほっとしたの……」
アイは顔を上げにっこりと笑った。
そして、
「今日はここまで。また、会おう」
と言って、ぼくの手を掴むと握手した。
「うん。また」
握り返した手をアイが離す。
柔らかい手の感触が離れていくのが、名残惜しかった。
アイが背中を向け、公園の方へと走っていく。
「ご、ごめん。ぼく、何か変なこと言った!?」
ぼくは思わず、大きな声でそう叫んでいた。
すると、アイがこちらを振り返ってもう一度大きく手を振った。
手を振り返すと、
アイは弾けるような笑顔で、
「ううん。変なことなんて言ってないよ。大丈夫だよ」
と、大きな声を返して、背中を向けた。
心臓が、大きく脈打っている。
想像もしないことが次々に起こりすぎだ。何が何だか分からないけれど、ぼくが彼女のことを好きなことだけは間違いなかった。
混乱したまま、そう強く思う。そして、公園の奥へと消えていくアイの後ろ姿を、ぼくは見送ったのだった。
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