第1話 運命の出会い

 ぼくは呆然と流れ星の消え去った夜空を見つめた。

 何事も無かったかのように静まりかえる空の様子に、今しがたの出来事が夢か幻だったかのように思えてくる。だが、あの落ちてくるときの音や匂いは、幻覚にしてはあまりにリアルだった。


 ぼくは混乱していたが、車の走行音と排気ガスの臭いで我に返った。いつの間にか公園を抜け、バス停の近くに来ている事に気づく。向こうから大きなバスが近づいて来るところだった。


 キキィッ、プシューッ――

 バスが停止する音が響いた。


 息を吐き、バスに乗り込むと、空き座席を見つけて座った。周りの会話に聞き耳を立ててみるが、乗客の中に流れ星やUFOのことで騒いでいる人はいなさそうだった。


 念のためスマホでも検索してみるが、どこにもそんなニュースは出ていない。

 やっぱり、気のせいだったのかな――と思う。

 窓の外では、民家の灯りや自動販売機の灯りが前から後に流れていく。ぼうっとそれらを眺めている間も、頭の中には先ほどの光景が繰り返されていた。


 ――と、ブレーキ音が響き、体が前のめりに動いた。

 窓から見慣れたバス停が見える。ぼくはそこが家から最寄りのバス停であることに気づき、慌てて下りた。


 この辺りから高校に通っているのは自分くらいで、他に下りる者は誰もいなかった。家はたくさんあるのだが、住人は高齢者が多いのだ。


 いかにも昭和に建てられた感じの家が建ち並ぶ住宅街を抜けていくと、小さな家の前に着いた。


 ばあちゃんの作る芋の煮物の匂いが外まで漂っている。匂いを嗅いだ途端に、流れ星のことが頭から消えた。


 腹の音を鳴らしながらサッシの玄関戸を横に引いて、家へと入る。すると、

「おう。お帰り」と、祖父のたかしが声をかけてきた。


「ただいま。じいちゃん」

 ぼくはそう応えると、玄関に飾られた父母の写真に軽く頭を下げ、家へと上がり込んだ。

 父方の祖父母の家――。父母が亡くなってから、ぼくの育った家だった。


      *


 次の日の朝。

 ぼくは人気のない公園の中を歩いていた。いつもは、ジョギングしている人や犬の散歩をしている人に会うのに、今日に限って誰にも会わない。


 昨晩の流れ星は、朝になっても何の騒ぎにもなっていなかった。テレビのニュースやインターネットのニュースサイトを見たが、何も報じられていないのだ。


 やっぱり、幻覚か気のせいだったのかと思いながら、頭の中ではあの光景が浮かんでは消えた。


 欠片かけらでも落ちてたりしてな、なんてあり得ないことを考えながら歩いていると、目の前の芝生に人らしきものが横たわっているのが見えた。


「えっ。嘘だろ……?」

 思わず呟いて、近づく。


 それは髪の長い少女だった。最初はマネキンかと思ったが、すぐにそうではないことが分かった。


 生成りのワンピースに黒髪のロングヘアー、そして真っ白な肌。柔らかそうで生物感のある質感は、明らかに生きている人間だ。髪の表面には朝日が反射し、きらきらと輝いている。


 ワンピースの胸は大きく盛り上がり、腰のくびれからお尻、そして足の方へなだらかに美しいカーブが描かれていた。白い足はなぜか裸足だ。


 何と形容すればいいのか分からないくらい綺麗で、ぼくは息を飲んだ。


 一瞬、死んでいるんじゃないかと思ったが、胸が緩く上下しているところから見て、生きてはいるようだった。


 死んでないんだったら、大丈夫かな――安堵の息を吐いて、少女をそのままにして一回通り過ぎる。


 面倒ごとに巻き込まれそうな気がしたからだったが、すぐに戻ってくると少女の傍らに膝をついた。息をしているからといって大丈夫だとは限らない。危険な状況なら、救急車を呼ぶ必要もあるかもしれないのだ。


 芝生についた朝露が膝を濡らすが、目を閉じた少女の顔を見ていたら、ますます気が焦った。


「ねえ。大丈夫ですか?」

 ぼくは肩を揺らして声をかけた。

 激しく動かさないよう気を遣いながら何度か繰り返すと、長い睫毛まつげ縁取ふちどった少女のまぶたがゆっくりと動いた。


 その目を見たぼくは、息が止まりそうな衝撃を受けた。青みがかった大きな黒い瞳に目が吸い付いて離れない。


 ぼくはしばらく固まっていたが、ふと我に返った。

 気のせいでは無く、小さな音が聞こえてくる。


 少女をよく観察してみると、本当に微かに唇が動いていた。

「な、何ですか? どうしました?」


 思わず少女の手を握って問いかけたが、握り返してくる力は弱々しいものだった。


「何か……どうしたら……」

 ぼくは気が動転しかけていたが、ふと、少女の唇がカサカサに渇いていることに気がついた。


 慌てて背負っていたリュックを下ろすと、コンビニのペットボトルの水を取り出す。たまたま、バスに乗り込む前に買ったばかりのものだった。


 キャップをひねって開けると、飲み口を少女の唇に付けた。

 直感でそうすべきだと思ったのだ。


 すると、少女は喉を鳴らして水を飲んだ。そして、達也が持っていたペットボトルをひったくるように取り上げると、最後の一滴まで一気に飲み干した。


 飲み終えたペットボトルが少女の手を離れ、芝生に投げ出される。


 少女に現れた変化は顕著なものだった。さっきまで死にそうだったのが、突然内側から精気が溢れ出てきたかのようだった。まるで、しおれた草花が一杯の水で蘇ったかのように、生き生きとしている。


 長い黒髪と真っ白な肌はピンとしたハリを取り戻し、大きな黒い瞳からは磁力のような力が出ているかのようだった。


 先ほどまでも美しかったが、溢れ出るような生気と相まって、この世のものとは思えないほどの美しさだ。

 ぼくは、ふと昨晩の流れ星を思い出していた。


 この少女はあの流れ星に乗ってやってきたんじゃないか。そう考えてしまうほどに現実感のない美しさだったのだ。


 すると、少女が目を素早くまたたいた。何度も、何度も瞬き、その間中、大きな瞳がくるくると素早く動いた。


 わずかの間のことだったが、不自然なその動きにぼくは驚いた。


「ど、どうしたの?」

 そう訊いたときには、普通に戻ったその瞳でぼくの顔を見つめていた。少女はぐぐっと顔を近づけ、ぼくの顔を見つめ続ける。


 そして、そのままぼくの腕に触れてきた。その途端、何かに気づいたような顔になった。


 微かな声が聞こえた。

 少女が何かを言っている。小さな声だが、今度は何を言っているかは聞こえる。


「……ダ、ダ、ンケ…………グ、グラシ、アス……」

 途切れ、途切れに聞こえてきた声は、確かにそう言っていた。


 ぼくが驚いて呆然としていると、

 さらに「サ、サンキュー」と呟いた。


 最後のサンキューでお礼を言われているのだと気づく。ぽかんとした顔をしていると、少女は頭を下げて立ち上がった。


 少女はにっこりと笑うと、

「ツァイチェン……」と、今度は比較的はっきりとした声で言った。そして、公園の向こうへ走り去っていった。


 空を雀がさえずりながら飛んでいく。

 ぼくは我に返ると、首を振った。


 日本人じゃなかったのか……?


 走り去る少女の後ろ姿を眺め、心の中で呟いた。そして、名前も連絡先も聞けなかった自分の意気地のなさを呪った。


 学校には三十分は遅れて着いた。乗らないといけないバスを乗り過ごしたせいだった。案の定、遅刻したことを担任に怒られ、クラスメートからは、冷たい反応しか返ってこなかった。だが、彼女の笑顔を思い出すと不思議と耐えられた。


 そして、その日はあっという間に過ぎていったのだった。

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