第4節 カンジョウヘビ
幻生生物一般において、その形態を著しく変化させるものは少なく、変化したとしても可逆的なものである場合がほとんどである。ましてや、「成長」や「老化」をみせる幻生生物はまったく見つかっていない。それゆえ、彼らの存在は、われわれの住む世界における「時間」とは無関係なものであると考えられてきた。
しかし、カンジョウヘビの発見によって、その定説は破られることとなった。カンジョウヘビは時間によってその体が不可逆的に変化するだけでなく、カンジョウヘビの変化そのものが時間であり、この世界で唯一の絶対的な時間の尺度なのである。
また、人類がこれまでに一度たりとも南極点への到達を叶えられていないのは、カンジョウヘビの存在がそれを許さないからに他ならないのだが、それはこの生物の時間呼応性とは別の理由からである。
現在、カンジョウヘビは南極点を中心として半径約18 kmの範囲を縄張りとしている。そして、その縄張りの境界線そのものがカンジョウヘビの実体である。カンジョウヘビは、胴体がひとつながりの大きな環状になっており、頭部と尾部をもたない。その長さは現時点で約110 kmに及ぶのに対し、胴体の断面は直径15 cmに満たない。
1911年、日本の笠下南極観測隊は、カンジョウヘビを踏み越えて「内側」(注1)に侵入した隊員4名の消息が絶たれたことにより、南極点到達を断念した。隊長の笠下は当時の様子をこのように語った。
「一見すると、蛇のこちら側とあちら側で外見上のいかなる違いも認められなかった。しかし、隊員の1人があちら側へ行った途端、彼の姿は見えなくなった。その蛇は、私たちから彼に関する一切の情報を遮断した。彼を追いかけて蛇を踏み越えた3名の隊員も同じだった。勇気のない私にできたのは、残りの隊員に撤退の命令を出すことだけだった」
カンジョウヘビの収縮が示唆されたのは、発見から20年が経った後だった。オスカーン・ハンプシュタインは、ユルニ測定法によってカンジョウヘビの環の半径が年間6 mmの割合で減少しつづけていることを示した。この生物は、絶えず微かな蠕動運動を行いながら、南極点に向かって「進行」しているのだ。
この運動の解釈に関しては、北極星を信仰するジャーノン教の教典に詳しい。ジャーノン教では、この世の生命は神の落とした一個の指環から始まる。指環は蛇のようにうねりながらその内側に原初の生命を宿す。そしてしだいにその環を拡げながら生命に多様性を与え、人間には特別な知恵と愛憎の感情を授ける。指環が神の眼と同じ大きさ(注2)に達すると、今度は収縮に転じ、生命が犯した全ての罪を憂いながらその環を閉じる。
この指環こそがカンジョウヘビなのだとすれば、北極点で発生したカンジョウヘビは少しずつ拡大を続け、赤道に到達した後は収縮に転じたのだという解釈が成り立つ。
つまり、私たちが住むこの世界は、カンジョウヘビの「内側」(注3)であり、笠下隊長のいう「あちら側」は、まだ生命が定義づけられてもいない「外側」なのである。このことを認めれば、一般的な意味での生命を持たない幻生生物は「外側」から「内側」に漏出してきたはぐれものであるとの推論も成り立つ。幻生生物は、棲処を追われたことにより、こちら側の世界に「しかたなく」やって来ているのかもしれない。
カンジョウヘビは、約300万年後に南極点に達し、消失すると見られている。これを地球の生命の果てとするならば、カンジョウヘビの運動は砂時計の砂に等しく、目に見える「時間」そのものなのである。
また、カンジョウヘビに接近した場合にも、一切の幻覚作用は見られなかった。幻覚作用領域が「あちら側」であれ「こちら側のすべて」であれ、それを確かめる術はない。
(注1)
ここでは、南極点があるとされる領域を「内側」と呼称している。
(注2)
ジャーノン教における神の眼は地球そのものの象徴であると考えられている。教典第13章には、月食を「神の失明」として畏怖の対象とする表現がみられる。
(注3)
ややこしいが、ここでの「内側」は南極点を含まない領域である。
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