るりこパラレル 3/5

 あまりにも突拍子もないセリフ。


 普通なら自分がおかしくなったか、彼女の正気を疑うかの二択だろう。


 だから僕は正しい反応として精一杯をしてみせた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。君がもう一人の瑠璃子? こことは別の世界からやってきたってどういうことだ?」

「どういうこともなにも、いまそう言っただろ。ヤバい薬でもキメてんのか? それともお前の知能指数はエベレスト並みに乱高下するのか?」


 虫ケラを見るような引き気味の反応をされて思わず悲しくなる。


 ツッコミとして辛辣すぎるだろ。

 僕じゃなかったら泣いてるぞ。


「ピンときてないようだから特別サービスだ。もう少しイメージしやすくしてやろう」


 そんな心の内の思いが届くはずもなく、別世界の高鷲瑠璃子を名乗る彼女は続けると、僕の首元に突きつけられていたカッターを引っ込めた。

 僕は自由になった首に手を当てて立ち上がる。


 このタイミングで凶器を自ら下げるなんてどういうつもりだ。


 こちらを油断させるつもりか、それともいつでも殺せるという確信があるのか。

 少なくとも僕は自由の身だった。


 行動の意味を考える中、彼女はスタスタと黒板に向かいチョークを手に取ると二つの正円を描いてその中をまだらに塗りつぶす。


「なぁ、並行世界、あるいは並行宇宙って知ってるか?」

「……なんとなくは。映画とかドラマでたまにあるやつだろ。この世界と並行して別の世界があるっていう」


 僕は以前見たことのある作品の知識を引き出して答える。

 距離も開いたことで本格的に逃げ出せそうだったが、そうはしなかった。


 彼女自身に興味はないがこの現象と彼女の行動目的そのものには興味がある。

 少なくともそれを知るまではこの場を立ち去るべきではなかった。


 ジッと見つめる僕に彼女は続ける。


「それで十分だ。無数に分岐した世界が並行していくつもあるっていう考え。そして俺はこことは別の世界からやってきた」


 彼女は丸い円――二つの地球の間に矢印を描く。

 どうやらもうひとつの、並行世界の地球が自分がやってきたことを示す図のようだった。


 まず思ったのはスケールが大きすぎる、ということだ。


 フィクションならともかく、現実としてこの話を信じるには時間か証拠が必要だった。

 これをすぐに信じることができる奴はよほどの馬鹿か夢想家だろう。


 向こうもそれは思っていたようで真面目な顔からうっすらと自嘲的な笑みを浮かべる。


「まぁ、信じられないよな。嘘だと言われても仕方ないし、それを覆せる証拠も俺は持ってない」

「……信じるよ。少なくとも僕の知ってる高鷲瑠璃子はまったくの別人を演じられるほど芸達者じゃない」


 高鷲瑠璃子は才能には溢れていたが嘘や何か偽ることは不得手だった。


 付き合ってみてそれは実感していた。

 不安そうな顔をする彼女に僕はさらに告げる。


「それに信じられないとしても信じないと話は進まないだろ。だから嘘だとしても信じる。話をすべて聞いてから判断する。まずはそこからだ」

「お優しいね。だからこそこっちの世界の俺も好きなったのかもな」


 さっきまでカッターを向けていたとは思えない柔和な表情を見せる彼女。

 僕は一瞬口を噤んだが、切り替えとばかりに少し咳払いをする。


「とりあえず、なんとなくはお前のことは分かった。それで本題だ。お前は世界を飛び越えてまで何をしに来たんだ」

「あぁ、そうだった。忘れてた忘れてた。そこが一番の肝だったな。ちなみにお前は何だと思う? 俺がこの世界に来た理由」


 授業の合間に雑談でもするように彼女は教卓に前にして訊ねたが、出来の悪い僕は首を横に振った。


「見当もつかないな。理由を推理しようにも情報が少なすぎる。もう少しヒントをもらわないと」

「ヒントねぇ……強いていうならさっきまでの状況が行き着くとこまで行き着いた結果かな」


 言葉の意味がわからず首を傾げる僕に彼女はカッターをチラつかせながらさらに噛み砕いて説明する。


「俺がさっき、このカッターを少しでも動かせばお前はどうなった?」

「それはもちろん僕の命が――」


 そこまで言ってから僕は彼女が何を言いたいのかようやく理解する。

 確かに先程の状況から考えれば自明でわかりきった答えだ。


「お前は、僕を殺しに来たのか」


 僕の言葉に彼女は祝福するように指をパチンと鳴らした。


「正解だ。俺はお前を殺しに来た。もっと正確に言うなら俺の目的は、お前の魂をいただくことだ」

「魂をいただく……? まるで悪魔や死神みたいだな」

「ある意味そうだな。だがこの場合、得をするのは俺だけだからどっちかというなら一方的に命を刈り取る死神の方がイメージとしては合ってるだろうな」


 そんなことを一人呟く彼女に僕はややウンザリする。

 必要なのはそういうところではない。


 なぜ他所の世界に来てまでそんなものを必要とするのか、もっと簡潔にいうならなにがそこまで彼女を突き動かしたのか。

 それは一番知りたいところだった。


 だから僕は急かすように質問を重ねる。


「どうして僕の魂が必要なんだ。そもそもそんなもの手に入れて何をする? たとえ殺されるとしてもそこがわかってないと死ぬにも死にきれない」

「そう焦らなくても教えてやるさ。冥土の土産ってことで。あぁ、でもこれを言うならメイド服で言ってやった方が印象深かったかな。彼女にメイド姿で冥土に送ってもらえるなら本望だろ」


 どうでもいいよ。そんなこと。

 さっさと核心を話せよ。


 そう感情を込めて無言で睨みつけると彼女は今度こそわかったとばかりに両手をあげる。

 そして何かを迷うように一瞬黙り込んでから言葉を発した。


「お前の魂が必要なのは、俺の世界の酒々井京介を救うためだ」

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