「さとし、やるなあ」


 私の話を聞くなり、母はそう言った。


 久しぶりに寝言を聞いたものの、父の布団に入るのはきつかった。父はもう以前の父ではない。けれど、母に話さないといけないこともある。


 私は渋々、いつもより距離を取り、目を閉じたのだ。


「……で、どんな人?」


 死んだらそういうのは気にならなくなるのかと思ってみたけど、そんなこともないのか……。


「名前は、ちとせさん……」


 私が言い淀むと、母は前髪をあげつつ、私に額を合わせてきた。母の匂いを感じる。目を閉じて、ふうん、そうか、なるほどと言う。私の記憶を覗いている様子だった。


「大丈夫、その人、いい人。ふうちゃんを大事にしてくれるから」


 まるで占い師みたいな口調で言ってみたものの、少し寂しそうに母は吐息を漏らした。


「ふうちゃん、どんどん食べてよ」


 私はうつむきながら、心を口にした。どういうわけか、甘さと温かさがいつにも増して身に沁みた。


 父の夢の中にこうやってテントを張っているのだから、未練がないとは言いきれない。今更ながら、ちとせさんのことを話さなきゃよかったと思えてきた。


「ごめんなさい、お母さん」


「ふうちゃんが謝ることじゃないよ。怒ってもないし」


 母がここから出ていってしまう、そんな予感がしていた。もしかしたら、今夜が最後? 途端に辛くなって、私は母に抱きついた。


「お母さんのことは気にしないで。その人に心を許してもいいのよ」


 私は首を振った。


「ふうちゃんの心、もう一つもらうね」


 母は私の頭を撫で、もぐもぐとやった。


 視線の先に満月。それはおぼろに霞みつつ、黄金色に染まっていた。


 その光の向こうには、心が逝くべき別の世界がありそうな、そんな神秘的な輝きを放っていた。

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