第14話

「いったた………………」

 前転を何度もしてやっとのことで勢いを止めた。

 そこで、どっと今までの疲れが押し寄せてきた。

 仰向けに寝転がると、今自分が落ちてきた崖が視界の端に見えて、それ以外は青空だった。

――なんだこれ。僕は何をしにやってきたんだっけ。

 疲れて動かない頭を動かして、やっとのことで思い出す。

――ああ、そうだ。僕は彼女に会いに来たんだ。

 仰向けから体を横に向けて、疲労を押しのけるように立ち上がろうとする。

「よっこら――」

そこで僕は初めて、周りの状況を確認した。

「…………え?」

 後ろは崖で、前には森が見えるが、ここ一帯は開けて広場のようになっている。

 そしてこの広場には、恐らく紅葉や銀杏であろう木の小さな若木たちと、いくつかの落ち葉の山。

 そして、何人もの女性が転がっていた。

「な、なんだこれ……」

 転がっている女性は皆目を瞑り、眠っているかのような表情をしている。年齢は皆大人に満たないくらいで、一番幼い子で中学生くらいに見える子もいた。

 そして皆一様に、程度の差はあるものの、体の半分くらいが無くなり、本来体があるはずのそこには、落ち葉の山が置かれていた。

「ここは……、どういう――」

 そこで言葉が止まる。

 ついに僕は、発見したからだ。

 急いで駆け寄る。息もからがらだったが、鞭を打って駆け寄った。

「ひ、ひ…………。檜扇ちゃん……?」

 そこには、ずっと見たかった彼女と。

 落ち葉の山が置いてあった。

「檜扇ちゃん!!」

 周りの女性と同じように、彼女の体も半分くらいは落ち葉に置き換わっている様に見えた。

 彼女の体を抱きかかえる。首の後ろに通した腕は、途中から落ち葉の中をすり抜けた。異様に軽い彼女の体を、僕は抱きかかえた。

「檜扇ちゃん!!」

 まるで壊れた機械のように彼女の名前を呼んでいた。疲れで頭が働かなかったこともあるし、異様な状況に頭が混乱していたこともあると思う。

 でも何より、彼女の名前を呼んでおかないと、取り返しの付かないことになる気がした。

 いや、正確には。もう取り返しが付かないんだけど、僕に出来る事は名前を呼ぶことだけな気がした。

 だから僕は、名前を呼び続けた。

 ずっと彼女の名前を呼び続けた。

 声が枯れるくらいまで。

 喉が壊れるくらいまで、名前を呼んでいた気がする。

 走るよりずっと長い間、名前を呼んでいた気がする。

「――もう、どうしたんですか」

 彼女は急に。何の前触れも無く。

 半分しかない口で話し始めた。

「ひ、ひおうぎちゃ――」

「なんでこんな場所まで来てるんですか。誠一君」

 呆れたように君は笑った。そして、子供をなだめるような声で僕に話した。

「な、なんでって……」

「来ちゃ駄目だって言ったじゃないですか……。早く私のことなんて忘れてって、書いたじゃないですか。

……もう、ほんと。困った人ですね」

 その声は懐かしくて。でも、昨日も聞いた事がある気がする声で。

 僕の声は枯れていて。だから嗚咽しか漏らせなかった。

「なーんで泣いちゃうんですか。久しぶりに再会したのに。こういう時は相手の顔、見ないと駄目なんじゃないですか」

 ふざけて怒ったように、そう君は言う。

 その全てが懐かしくて、寂しくて。僕は君に泣きついた。

「ごめん……。ごめん……!」

「なーんで謝ってるんですか。」

「ごめん……。ごめん……」

 どうしてかしらないけど、僕は彼女に謝り続けた。

「謝らなきゃいけないのは、私の方ですよ。……今まで妖精だって嘘ついて、すみませんでした。誠一君。

――だから、早く私のことなんて忘れて、現実でちゃんと、人間の良い人を見つけてください」

 それが君の本心なんだろうと、それだけは理解できた。

 今のこの状況は。なんでこうなっているのか。自分はどこにいるのか。自分はどうすればよかったのか。君は何をしたのか。君はどうなるのか。何一つ理解出来ないけれど。

 それが君の本心だということだけは、痛いほど伝わってきた。

「ね。早く。早くしてください。そうじゃないと――」

「嫌だ!!」

 反響するほど、僕は大声を出した。

 その大きさに君はびっくりしたように目を丸めて、でもすぐいつもの穏やかな顔に戻って。

「……どうしてですか?」

 その問いは、本当に分からないという調子で。どうして僕が拒んでいるのか、どうして僕が君と一緒にいたいと言っているのか、本当に分からない調子で。

 でも、分からない訳が無くて。君は自分の気持ちを隠すのがきっととても上手で、だからこそ人の気持ちを感じることはきっと苦手なんだろう。

 今でもそんなはずないって、思っているのだろう。

 僕がここにいるのは間違いだって、きっと思っているのだろう。

 だから僕はその現実を、彼女に叩きつけるしか無いんだ。

「好きなんだ! どうしようもなく君のことが好きで、君と一緒に居たくて……。

――秋以外の季節でも、君と一緒に居たいんだ……」

 その言葉は、ずっと僕が隠していた、逃げていた本心だった。

 それは停滞で、諦観で、冷静だった二人の関係で。

 どうしようもなく幼稚じみていて、大人ぶっていた二人の気持ち。

「――――――」

 それを聞いた彼女は、本当に驚いた様子で。

 そしてしばらく硬直した後、唐突に涙を流した。

「どうする。檜扇」

 その声は、荘厳な声だった。

 なんというか形容するのが難しいんだけれど、あえて形容するのなら荘厳な声以外の表し方が無いような、そんな声だった。

 声がする方向を向こうとすると、弱弱しく檜扇ちゃんが僕の手を掴んだ。

 それだけで、なんとなく。振りむいちゃ駄目なんだと思った。

「私は……。この人と一緒に生きたいです」

 その声に、檜扇ちゃんは答えた。

 まるで親に意見を言う時のような弱弱しい声で、彼女は言った。

「そうか……。おい、そこの人間」

「は、はい……!」

 荘厳な声に話しかけられて背筋が伸びる。好きな子の前で、なんて情けないんだろうと己を恥じた。

「そこの檜扇というモノは、碌に男を誑かせず、肩入れして自分の成長を止めてしまうような出来損ないだ。

――お前はそれの一生を背負えるか?」

「は、はい――」

「勘違いするなよ男。一生を背負うということを人間の尺度で考えるなよ。それは人間でない。お前が背負えば人間となるが、出来上がるのは空っぽの人間だ。一生かかって、お前はそこに世界を教えることになる。

――世界の美しさを、人に教えられるか。男」

 僕は息を飲んだ。

 それは僕が、生まれてこの方ずっとできなかったことだからだ。

 それだけが出来なくて。ただそれだけが出来なくて。

 僕はずっと、それから逃げてきた。

――でも、今なら言える。

 こんな無茶苦茶な世界を見たからこそ、僕はきっと言えるんだ。

「……はい。教えられます。彼女の一生を背負って、僕が教えます」

 世界は何よりも美しいと――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る