第13話
――ガシッと、間一髪。無意識に自分の腕が、上にある枝を掴んでいた。
「おい! 猪頭! 早く追いつけ! バランスを崩してるぞ!」
「しばし待て!!」
掴んでいる枝を頼りに、もう一度乗ろうとしていた枝に足をかける。焦りながらも、なんとか体勢を立て直した。
しかし、まずいな。やっぱりこのままじゃジリ貧だ。どうにか、もっと素早い速度で、なおかつ安全に枝を飛び移れないか。
そんな方法は無いかもしれない。でも、無かったら死ぬんだ。考えろ。考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!!
おおよそここまで来て、僕は一介の社会人では考えられない程体を酷使していたし、体力も消費していた。
でも、どうしてかここでは、そんなことを考えずにただ体を動かせていた。そこには何というか、一種の解放感のようなものがあったんだと思う。
どう考えても異様な、こんな場所で。変な何かに追われながら。
僕の体はどうしてか、懐かしさを感じていた。
「……!」
もしもこの場所に彼女がいて、そしてそういう奴らが住んでいる場所なのだとしたら。
ここは恐らく日本の妖怪や神の世界で。そしてここは自然が飽和している秋を凝縮したような場所で。
そんな中で僕はもしかしたら、自然の中に生きることを強要されているのかもしれない。
「……いける」
自分の中にもうわずかにしか残っていなくて、生きていて一生取り出す気のないそれを、ここでは無理やり引き出されるのかもしれない。
それなら多分、僕は出来る。
足じゃなく、手で飛び移ろう。
そう考えて、僕は早速行動に移した。
「――っ!」
一息に枝目掛けて飛んで、そして足ではなく手でそれに着地する。すなわち、枝に腕でぶら下がる。
自分の体の重みで、肩に激痛が奔る。慣れない動きをしたせいで、恐らく変な姿勢になったのだろう。
でも、いける。
右腕で枝にぶら下がった僕は、そのまま反動を付けて次の枝に飛び移る。今度は左腕で枝を掴んだ。同じく肩に痛みが奔るが、コツは掴んできた。
そのまま、枝にぶら下がりながら移動する。
右。
左。
右。
左。
慣れてくると反動を付けなくても、飛び移った勢いを利用して次の枝に飛び移れるようになってきた。
右。
左。
右。
左。
右。
左。
右。
左。
「お、おいおいおいおい……! なんだありゃぁ!」
猪頭の声がどんどん遠ざかっていく。気にせずに僕は進んでいく。
「い、猪頭! 降りて来い!! 見失うぞ!!」
右。
左。
右。
左。
右。
左……。
右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左――。
いつの間にか僕はこの移動方法を、歩くのと同じくらいの感覚でこなせるようになってきた。
「うおおおおおおおお!! おおおおい!! 降りて来いいいい!!」
僕の少し後ろから二人の声が聞こえる。それも特に気にしない。ひたすらに前に進むことを目指す。
降りしきる紅葉の中、千紫万紅の森の中、少しでも前に進むことを目指す。
ふと、何か黒い物が太い枝の上に横たわっている気がした。
「あ! お、おい天狗! そいつを捕まえろ!!」
気にせずそいつの横を僕は通る。
「ばーか。こっちは有給取って戻ってきてんだよ。頑張れよ地方公務員ー」
「我々をそちらの仕事で例えるな!! ……ちっ! 覚えていろ!」
後ろで何か言い合っている。不思議と天狗がいるということに驚きもしなかった。何も気にせず僕はただ前に進んだ。
途方もない時間、僕は前に進んだ。そして鹿頭と猪頭もずっと僕を追いかけてきていた。もはや彼達に友情のような何かを感じかけていたのだけれど、彼らの怒号を聞く限りそんなものは成立し無さそうだった。
瞬間森が開けて、川が見えた。大きな川で、何かが中で異様に犇めいているのが見える。様々な大きさの岩が川の中に転がっているので、それを頼りに進もうと思い、僕は久しぶりに枝から手を放し地面に五体を着地させた。
後ろから彼らが追ってきているが、もう大丈夫だ。
僕は自然の中で生きてきた、遠い先祖の記憶を思い出していた。
両足だけでなく両手を地面に付けながら、前へと走る。河原の上を走りそして、岩へとジャンプした。
少し苔でぬめぬめしている。慎重に跳んでいった方が良さそうだ。
「…………ああ、なるほど」
川の方に目を向けていると、
大量の鮭だった。
大量の鮭が、川を銀と紅に染め、遡上して埋め尽くしていた。
我よ我よと彼女達が進む方向は、ここよりもっと上流の方。遠くに、
鮭を見ながら岩の間を飛び次いでいると、平たい大きな岩の上で河童と天狗が向かい合っているのを見つけた。
「十四、八、猛牛でどうじゃ」
「んー、ちょっと待てよ……。ふむぅ……」
そんな妖怪達を横目に僕は進む。後ろで鹿頭と猪頭が河童たちに協力を呼び掛けているようだったが、今回も助力は得られなかったらしい。
川を渡り終え、再び山に入り、そして広大なサツマイモ畑を抜けて。
いまだ走り続けている僕の視線の、遠い先に、なんと崖が見えてきた。遠くには山々が見える。
「はぁっ……、はぁっ……! お、おい! そ、それ以上行くな!!」
もはや顔を忘れてしまいそうになっていた鹿頭の声が聞こえる。彼の一声で、僕は直感的に理解した。
やはりここまで進んできて、正解だったのだと。
ずっと何かが僕を導いてくれていたのかもしれない。そんなロマンチックなことを考えながら、眼前の崖に向けて僕はスピードを上げていく。
「あ、お! おい!!」
スピードを上げて、そして少しずつ前足を浮かせて。
二足歩行の全力疾走に戻り、崖先に足を掛け――。
最も飛距離が出ると思われる姿勢で、僕は崖の先へと跳躍した。
跳ぶ。跳ぶ。跳んでいる。
足どころかどこも地面に付かず、ただ、腕を振り回して前に落ちていく。
長い滞空時間を、何者にも邪魔されずただ一人で過ごしていた。
一人で進んで、進んで、前に進んだ。
やっと地面が近づいてきて。間に合わせの姿勢でなんとか受身を取る準備をして。
そして僕は、地面にぶつかった。
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