第9話

 しばらく療養して退院した後、僕は久しぶりに自分の部屋に帰ってきた。ずっと寝ていたはずなのに妙に疲れて、自分の部屋の布団の上に横になる。

「はぁー…………」

 これからどうしようとか、着替えなきゃいけないなーとか、色々考えながらも目を瞑ってしまう。段々と微睡みの中に吸い込まれそうになって、ふとここで長い時間を過ごした彼女のことについて思い出した。

「………………」

 檜扇という女性。僕がずっと、考えないようにしていた女性。そして、僕がずっと好きだった女性。

 どうしようもない時に、誰のためにもなれなくて、世界の何かになりたくなくて、何も出来なくて、ただ最低だった僕の寂しさという穴を埋め続けていた彼女。

 もう出会えないであろう彼女について考えを巡らせていても仕方が無いと思いながらも、ついつい考えてしまう。ずっと生き方の分からない人生なので、暇の潰し方も分からない。グダグダと彼女のことを考えていた。

 そんなことを考えていても仕方が無いのだけれど、起き上がりたくも無い気がして、まぁそれでもいいんだけれど、でも良くない気がして。

 誰かに怒られそうな気がして。

 誰かに怒られたい気がして。

 でも誰も怒ってくれないから仕方なく、僕は体を起こした。気分をリフレッシュしようと窓を開けると、部屋に秋が流れ込んでくる。

 その涼しい風は、どうしようもなく君を想起させた。

「………………」

 ぐるりと部屋を見回す。あれだけ一緒にいたんだ。十年も一緒にいたんだ。もうその三分の一も君の居ないここを過ごしたけど、でもそれでも。

 まるで振られた男のように、亜希が表現した情けない男の様に部屋を見回して、彼女の形跡を探す。記憶を思い起こして、何か無かったかと探すのだけれど、びっくりするほど何も見つからなかった。

 何も残さない。それも妖精のルールだったのだろうか。彼女なりのルールだったのだろうか。

 記憶を思い起こす。未練タラタラであることを自己肯定して、開き直って彼女のことを思い出す。

 何故かずっと思い出そうとしなかった彼女のことを。

「…………」

 そして僕はなんとなく。

 本当になんとなく、体温計をしまってある引き出しを開けた。

「あ…………」

 きっとそれは、見つけない方が良かったもの。

 引き出しの中には簡素な封筒が置いてあった。

「…………これ」

 恐る恐る封を切ると、中からこれまた簡素な、少しだけ水玉がプリントされた便箋が出てきた。

 それはきっと見つけてはいけなかった類のもので、もっと言えば書いてしまってはいけなかった類のもので。見つけてもその水玉の意味を考えなければよかったもので――。

 それでも僕は、彼女が書いた字を初めて、見ることにしたのだった。

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