第7話
「で、運ばれてきた患者を見たらたまたま誠一君だったって訳。めっちゃびっくりしたよほんと。十年以上経ってるのに分かるもんだね、見ただけで」
僕の初めての彼女であり唯一の元カノでもある彼女――
「……そんなことって」
「いや、こっちのセリフだよ。働いている病院に元カレが運ばれてくるなんてどんな偶然だよっつー話」
彼女はテキパキと僕の身の回りの世話をしていた。その姿を見て、そういえば彼女はやけに容量が良かったことを思い出した。
「あんまじろじろ見ないでくれる? 人が働いているとこさ」
「あっ。ご、ごめん……」
「いや別に、謝られることでも無いんだけど」
なんとなく気まずくなって病室の窓から外を見る。雲一つない晴天の空が広がっていた。秋晴れの例として教科書に載りそうなくらい、どこまでも広がっている青空だ。
――あれから。
――檜扇ちゃんが僕の目の前に現れなくなったあの秋から、丁度三年が経った。
その時から僕はずっと、僕を続けている。
そうあるべきだった僕を。普通であるはずの僕を。ずっと続けていた。
「誠一君さ、過労でぶっ倒れたらしいじゃん」
一仕事終えたのか、病床の横にある丸椅子に腰かけて亜希はそう言う。
「……患者のプライバシー保護とかさ。なんか、そういうの無いの?」
「まぁまぁ。小さい病院だし。で? ほんとに倒れるまで働いたの?」
特に悪びれる感じも無く彼女は聞き返す。歯に衣着せぬ物言いをするところは、昔から変わっていないようだった。
「……まぁ、そうだよ。やること、多かったから……」
あれから僕は。彼女がいなくなってから僕は、ただ仕事をこなすことに徹し続けていた。他のことを何も考えず、寝ても覚めても仕事のことを考え続け、誰にも何も言われぬよう、徹底的に目の前の仕事をこなしていた。
デスクの上の資料を見過ぎて自分の体の不調にも気づかなかった。まさか自分が倒れるなんて、今でもそんな感覚だ。
「倒れるまで仕事、ねぇ…………」
何かを思案するようにそう呟いて、彼女はナース服のポケットから煙草の箱を取り出す。
「…………いやいや、おい」
「んー?」
手慣れた動作で箱の中から一本だけ抜き取っていた。
「んー、じゃなくて。おい、ここどこだと思ってんだ」
「小さい病院だからいいんだよ。あ、ライターどこやったっけな……」
火の付いていない煙草を咥えながら彼女はライターを探している。そんな姿に僕は呆れてしまって、小言が止まらなくなる。
「……はぁ。お前なぁ……。そういうのってバレたらまずいんじゃないの?」
「院長がやってたから私もやってんの。誠一君、別に肺とか悪くないっしょ? あ、あった」
どうやらライターを見つけたらしい彼女は、再び病床の横にある丸椅子に座った。僕と窓の間に、彼女がいる形だ。一応、吸うのは窓の近くで、らしい。最低限の配慮のつもりだろうか。
そして彼女は、煙草に火を着けながらこっちを見もせずに僕にのたまった。
「振られでもしたの?」
「…………はぁ?」
突拍子も無いことを言われたので聞き返し、彼女の言葉を待つ。
「はァー…………」
彼女は気長に、窓の外に煙を吐き出す。ゆっくり、ゆっくりと白い煙を吐き出す。袖の先から見えている綺麗な手首がいやに色っぽい。
そして一しきり吐き終わった後、再び喋り出すのだった。
「いや、さ。なんか、過労で倒れるって、イメージ違うなぁって。
そう思っただけ」
待っていると出てきたのはそんな言葉で、でもそれは彼女なりに色々思案したのであろう含みを持っていた。
「なんだよ、イメージって」
間の悪いタイミングで話しかけてしまったせいで彼女が煙を吐き終わるまでまた待たされることになる。どうやら、僕との会話を優先するという思考は無いらしい。
「いや、イメージっていうか、なんていうかさ。なんか、あん時から妙に冷めてたじゃん。誠一君って。だから、仕事とかそこまで頑張るの意外だなって。
……なんか、何かから逃げようとしてるのかなって」
少し言いにくそうに亜希はそう言う。
それは。
その言葉は。
「……。別に……」
さすが元カノと言わざるを得ないほどの、完璧な洞察で。
「そんなんじゃ――ないよ」
僕は彼女の顔を見ることが出来ず、自分の手を見ながらそう言った。
「…………」
その沈黙が煙草によるものなのかなんなのか僕は分からなくて。
「そっか」
そして彼女は、しばらくそこで煙草をふかしていた。
僕は初めて。
あの人のことを好きだったことに気付いた。
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