第3話

 それはもう、白黒の記憶と言って差し支えない程遠い時の記憶で、現実だとぼんやりとしか思い出せないのだけれど、でもどうしてか夢の時ははっきりと体験しているように思えるようなそれだった。

「誠一君は優しいね」

 時刻は夕方くらいで、明りをつけていないと部屋は仄暗い。そしてその暗さは段々と増していくのだろう。夏も終わりに近づいていたその季節では、夕方と夜の境界が曖昧になりやすい。

「そうかな。そんなことないと……」

 いいかけた僕の手をぎゅっと握って、彼女は顔を覗き込んでくる。その彼女の顔もはっきりとは思い出せないのだけれど、でも、何故か最近見た顔つきのような気がする。

「私のこと好き?」

 彼女は唐突に。それで僕の言葉を遮る。

 僕は少し面食らいながらも、それに返した。

「なんだよ。……好きだよ」

「ほら、優しい」

 そんな中身の無いような会話を彼女は好んだ。言葉の使い方としては正しいのかもしれないのだけれど、全く捻りの無いその感情表現を、それでも僕はそんな物なのだろうと受け入れていた。

 いつまでも他愛もない、表面だけを変えたような単調な感情表現を続けていく内に部屋は暗くなっていく。そして決まった時間が来ると彼女は口を尖らせて言うのだ。

「あーあ、現実なんてつまんないもの。無くなっちゃえばいいのに」

「……何言ってんだよ。ほら、そろそろ門限だろ。送っていくから」

「えー、優しくしてよー」

「さっき優しいつってたろ」

「もー」

 僕は起き上がって彼女を送る準備をする。その間も彼女はそこでぶーぶーと言っていた。それでも呆れたように彼女を見ていると、ゆっくりと彼女は立ち上がって、そしていつも小さな声で言うのだった。

「誠一君と二人だけの世界なら良いのに」

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