第4話 【回想】萩恒家の若い当主はとても優しい
【過去編】四年前~三年前。さぎり十六~十七歳、崇史十八~十九歳、希海三~四歳。
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十六歳だったさぎりは、一人、
いつでも可愛い主人のため、笑顔を絶やさず、その世話をする。
そんなさぎりを、
「さぎり。まだ決心はつかないか」
「まだというより、ずっとつきませんよ」
「さぎり!」
「私が希海様から離れたら、お困りでしょう?」
柔らかく透けるような茶色の髪、緋色の瞳をした見目麗しい十八歳の主人は、苦しそうにその顔を歪め、さぎりを見る。
この優しい主人は、さぎりに、ここから逃げろと言っているのだ。
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崇史は以前、さぎりが首まで広がる火傷を負ったとき、土下座をして謝ってくれた。治癒の異能を持つ
けれども、さぎりがそれを断ったのである。
「当主になって、まだ二ヶ月ではありませんか、旦那様」
「……そうだ、当主だ。俺が頼めば、龍美家だって」
「若輩の当主に、一族の者はただの二人。衰退しかけの家にございます」
「萩恒家を愚弄するか」
「今、弱味を見せるわけにはまいりません」
真っ直ぐに見据えるさぎりの蜂蜜色の瞳から、目を逸らしたのは、崇史だった。
崇史もわかっているのだ。
六大公爵家の中で、今最も危ういのは、この萩恒家だ。
他の家が口を出してきた瞬間、この家は乗っ取られるだろう。
そうならないのは、五家が互いに睨みを利かせているから。
しかし、萩恒家から、龍美家に助けを求めるならば、話は変わってくる。
「龍美家は、正直、良い噂はお聞きしません」
「……だが」
「今、あの家を頼ることが、萩恒家にとって何を意味するのか、旦那様はご存知のはずです」
「さぎり」
「お気持ちだけいただきます。旦那様、有り難うございます」
そうして、申し出を断ったあの日から、崇史は諦めず、何度もさぎりに問うてくる。
逃げるつもりはないのかと。
治癒を受けるつもりはないのかと。
そして、さぎりは断る。
これもいつものことである。
それを繰り返したある日、崇史は、縁側で、希海に膝枕をしながら、さぎりに尋ねた。
「さぎりはなぜ、ここに居てくれるのだ」
暖かい陽気の中、サラサラの髪を揺らし、すやすや眠る、四歳になったばかりの希海を見ながら、さぎりは笑う。
「幸せだからです」
虚を突かれたように目を見開く崇史に、さぎりはただ、穏やかに微笑んだ。
眠る希海の髪を撫でると、希海は寝ぼけているのか、嬉しそうに、くふふと笑っている。
「この家は、何も持たない私に沢山の物をくれました。その中でも大きなものが、お二人の健やかな様を見守ることです」
「……さぎり」
「この穏やかな時が、私には何にも替えがとうございます。ですから、私のことは、気にされなくても大丈夫です」
希海を愛おしげに見つめるさぎりに、崇史は緋色の瞳にじわりと涙を滲ませると、さぎりの肩に頭を埋めた。
さぎりは驚いたけれども、崇史が泣いていることに気がついて、そのまま彼の頭を、希海にするように優しく撫でる。
「大丈夫。大丈夫ですよ、崇史様」
なんとなく、旦那様とは言いたくなかった。
十八歳にして、頼るべき大人達の居ない中、当主に祭り上げられた人。
彼は、さぎりなんかより、ずっとずっと大変な筈なのだ。ずっと辛い筈なのに、その誠実さ故に、さぎりなんかのために、更に苦しんでいる。
この人が肩に背負った物を取り払ってあげたいと、心からそう思ったのだ。
「崇史様は、一人ではありません。頼っていいんですよ」
そう言うと、崇史はさぎりを抱きしめてきたけれども、さぎりは抵抗しなかった。
嗚咽の中、済まないと、孝史はずっと、さぎりに謝っていた。
力がなくて済まないと。
何もできなくて申し訳ないと。
「済まないより、有り難うの方が、私は好きです」
そう伝えると、崇史はふと、笑うような声で言った。
「……さぎりに好かれたいから、有り難うと言うことにする」
耳を掠めるように言うのは、なんだか卑怯ではないだろうか。
幸せを噛み締めていたさぎりは、不自然に早鐘を打つ心臓を抑えながら、そのことだけは、不服に思ったのだった。
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