第2話 【回想】そして誰も居なくなった


【過去編】

四年前。さぎり十六歳、崇史十八歳、希海三歳。



    ―✿―✿―✿―


 世界の中で東に位置するこの和楊わよう帝国には、貴族制度がある。

 高い順から、王族、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。

 王族以外のそれは基本的に功績によって与えられるものでもあるが、何より重視されるのは、異能の力であった。


 その中でも特に大きな力を持つとされるのは、六大公爵家の者達である。


 水を司る豹堂ひょうどう家。

 天を司る龍美たつみ家。

 地を司る与茂蔵よもぐら家。

 火を司る萩恒はぎつね家。

 木を司る猿渡さるわたり家。

 それから、異端の象徴、音梨おとなし家。


 彼らは、その能力の高さが故に、人ではないと揶揄されることもある。

 そんな彼らの能力は主に、この和楊わよう帝国にはびこる妖怪退治に使われることが多かった。


 そして、問題が起こった。

 火を司る萩恒の一族が、十八歳の嫡男・崇史たかしと、三歳の姪・希海のぞみを残して、全員が妖怪に襲撃され、命を落とすという事件が起こったのである。


 彼らの命を奪ったのは、間違いなく妖怪であった。

 けれども、なぜ突然、萩恒の一族の者の周りに、強力な妖怪が同時に現れたのか。


 原因の究明は、十分に行うことができなかった。

 なぜなら、当の萩恒家は、それどころではなかったからだ。


 十八歳の崇史はすぐさま当主として立つことになった。そのことはまだいい。


 問題は、希海の異能の才が、百年に一度と言われるほど、稀有なものであったことだ。


 希海が笑うと、狐火が舞う。

 希海が泣くと、狐火は熱を持ち、周りのものを排除する。


 狐火は狐を害するものではないため、崇史を害することはない。

 古くから狐火対策を行ってきた萩恒家の屋敷も、燃えることはない。


 しかし、希海の世話をする人間は、そうはいかない。


 母を失い、親族を失い、当主となったばかりの崇史も、慣れない仕事に追われて希海の世話を全て賄うことはとてもできない。

 よちよち歩く狐火の化身、いつ泣き出すかわからない爆弾のような娘に、使用人達は恐れおののき、次々と萩恒家を去っていった。


 そして、希海の世話をする使用人として残ったのは、萩恒家に勤めて三年が経過しようとしていた、十六歳の侍女メイドのさぎりだけだった。


「さぎりー」

「はい、なんでしょうか。希海様」

「あまいの、たべたい。あまいの!」

「あらあら。さっきおはぎを食べたばかりでしょう?」

「たべたいのー!」

「ほら、希海様。こっちにきて、おもちゃで遊びましょう?」

「やーの!!!」


 小さな主人は、ぷるぷると頭を振りながら、肩口で切りそろえた黄金色の髪を振り乱し、緋色の瞳に涙を浮かべている。

 そうして駄々をこねる希海の周りに、狐火が浮かび上がった。

 こういうときの狐火には、熱がこもり、さぎりを焼く。

 痛みはもちろんある。けれども、さぎりはおだやかな笑顔を絶やさない。

 そのまま、さぎりは、特別に渡されている萩恒家秘蔵の狐火封じの玉を使い、狐火を封じつつ、希海をなだめた。


 泣きつかれて眠ってしまった希海を見ながら、さぎりは狐火封じの玉を庭に持ち出し、空に向かって火を放つ。

 この狐火封じの玉は万能ではない。

 許容量を超えると割れてしまうし、玉の中に狐火を封じておくことができる時間も短い。それでも、この狐火封じの玉があるから、只人であるさぎりが希海の傍に居ることができる。


 ある日、先輩侍女の稲が、さぎりに謝ってきた。


「さぎりちゃん、ごめんね」

「稲さん?」

「あたしゃ、怖いんだよ。この萩恒家に長年勤めてきて、恩義にかけて、なんとかこれからも仕えていたいと思っている。だけど、怖いんだ。あの狐火が……」

「そんなの、普通ですよ」

「あたしだけじゃない、みんな怖がってる。なんでさぎりちゃんは、平気なんだい?」

「……」

「そんなふうに、若い肌に傷をつけて」


 泣きそうな顔をしている稲に、さぎりは柔らかく微笑む。


 希海の近くに控えるさぎりの体は、常に火傷だらけだった。

 狐火封じの玉は、常に発動させていることはできない。希海が狐火を出した後にすぐさま起動させてはいるけれども、火傷をしてしまうことは多々ある。

 一番酷かったのは、希海が母を亡くしたばかりの時期だろう。あの頃は希海のかんしゃくが酷く、さぎりは首元まで大きく火傷を負ってしまった。


 さぎりだってもちろん、狐火が恐ろしくない訳ではない。痛いのも嫌だし、これ以上体に痕を残したくはない。

 けれども彼女は、希海から離れようとは思わなかった。


「私には、何もないんです」

「さぎりちゃん」

「家族も、何も。だけど、こんな私でも、希海様をお助けすることができます」

「『こんな私』だなんてことはないんだよ」

「ふふ。稲さんは優しいですね」


 微笑むさぎりに、稲は慰めの言葉を言おうとして、けれども何も言うことができなかった。


「あんなにいとけなくていらっしゃるのに、傍に誰も居ないなんて、悲しいことです」

「さぎりちゃん」

「どうせ私なんて、嫁の貰い手もないんですから。お嬢様のお役に立てたら、それでいいんです」


 そう言うさぎりに、稲は泣きながら、頭を下げた。



    ―✿―✿―✿―


 その稲も、ほどなくして腰を悪くし、息子の家に引き取られていった。

 そうして、だんだんと、萩恒家の使用人達は数を減らしていく。


 けれども、幼く可愛い主人に、さぎりはいつも笑顔だった。

 たまに屋敷の中に現れる子狐も、さぎりによく懐いてくれている。


 幸いなことに、希海に直接関わることのない仕事についていた使用人達は、おおよそが残ってくれている。

 だから、屋敷の中はいつでも清潔に保たれていたし、希海の食事だって十分に賄われている。

 あと数年もすれば、希海も異能の力を自由に操れるようになるだろう。

 それまで、ほんの少し、さぎりが耐えれば済むことだ。


 けれども、そんなさぎりを、複雑な面持ちで見ている者がいた。


 十八歳にして萩恒家の当主となってしまった、希海の叔父の崇史である。



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