Ⅱ 久利川隆一

「よかったのかよ、そんなやつとばったり会っちゃって」

 パートナーの拓哉が言った。

「うん、いいんだ」俺は車椅子を拓哉に向ける。

「いずれ、会って話がしたい、と思っていたんだ。会うのは、運命なんだ、俺にとってはね」

 拓哉はため息をついた。

「オレが心配してるのはその、裕一、って言ったっけ、そいつと会って隆ちゃんがつらくなるとか、そういうのないのかって、心配だから話しているんだけどな」

 はっはっは。つい、笑い声が漏れる。

「十年以上経てば、そんなことはもうないよ。それに、あいつは悪くない。悪いのは俺の方なんだ」

 そう、拓哉に嘘をつく。正確には、十年以上経てば、じゃなく、、なんだけどな。

「よし、いい機会だと思う」

「何がさ」

「十三年前のあの時、裕一と俺との間に何があったのか、全部話しておこうと思う。聞きたいか」

「聞きたくねぇよ」

「聞いてほしいんだよ。それに、俺のことを心配してくれているんだろう?」

「心配なんかしてねぇよ。してねぇけどさ」

「けど、何だい」

「オレに話してどうすんだよ」

 拓哉は俺に、何とも表現し難い微妙な表情を見せる。確かに、拓哉の言うことももっともだと思う。昔好きだった男の話かもしれないことは、何となく察しているようだった。

「それは、話してから適当に判断してくれればいいよ」

「適当って何だよ」

「聞いていてくれればそれでいいんだ」

「じゃあ聞くよ!」

 分かったよもう! とイライラした表情をしながら、車椅子に手をかける。

「どこに座りたい?」

「俺の部屋に連れて行ってくれ」

「分かった」


 俺と裕一は同じクラスだった。

 裕一はクラスの中では随分な嫌われ者で、コミュ障で、よくいじめられていた。体操靴隠されたりする小さないじめから、どつかれる、からかわれる、殴られると言った露骨なものまで。まぁ、可哀想なやつだった。女子には近づくだけで、近寄るな変態! と罵声を浴びせられるようなやつだった。

 そんなあいつが、今思えば哀れだった、のかもしれない。席が近かったし、授業も分かりきった話ばかりで退屈だったから、日中ほとんどの時間をあいつの観察に費やしていたよ。

 そうすると、だんだんあいつのことが分かってきたんだ。あいつは滅多に後ろの席をしっかり振り返ろうとしない。いつも無愛想なのか、丁寧なのか分からない仕草で後ろにプリントを回すんだ。そして、その後ものすごく貧乏ゆすりが激しくなる。

 後ろの席の女に恋をしていると理解するまでに時間はかからなかったよ。名前は河合有希。有希は基本的にすぐに白黒ハッキリさせたがる性格の女だったから、俺とはどちらかというと気が合う方だったんだろう。あの女、隣の席になって割と早い段階で、俺に告白をしてきたんだ。一旦、断ったけどね。

 それでも諦め切れないのか、事あるごとに俺のプライベートに干渉してきて、デートの誘いをするようになってきたんだ。鬱陶しかった。俺が女に興味がないことを言えば完全に離れてくれただろうけど、そのことは口が裂けても言えなかった。それに、周りがこそこそ、俺と有希が付き合っていること前提でちょっかいをかけてくるのも鬱陶しかった。

 だから、こう考えたんだ。俺が裕一と有希を結ぶキューピットになれれば、この鬱陶しい日々もある程度終わってくれるんじゃないかと。

 それで、プライベートで公園を散歩(まぁ、向こうとしてはデートってところだろうな)を承諾することを条件に、提案してみたんだ。前の席の白川ってやついるだろ、あいつ、お前のこと好きだから、俺なんかよりよっぽどデートに誘えば付いてくるぞ、って。そしたら有希はさらっとこう言ったんだ。

「あいつはダメ。いくらなんでもあいつと付き合いでもしたら、あたしの株が激下がりするのは目に見えているわけだし」

 スクールカースト、ってやつだな。当然、裕一は底辺中の底辺だ。付き合ったら最後、クラスのいじめの輪に巻き込まれてもおかしくない。だがそれ以上に、河合有希という女がそんなことで裕一に興味を持とうとしないことに俺は腹が立った。こんな汚れた心を持った俗物、世間体女に裕一を渡したくない、と思ったんだ。

 その辺からだろうな。裕一のことをだんだん好きになっていったのは。

 他の連中が気づかない裕一の良いところを沢山見つけようと努力した。今日はこんな良いところを見つけたぞ、あんなところが素敵なやつだぞ、と逐一有希に報告し続けた。最初は「またその話? 最近のくりくんおかしいよ。いくら授業が退屈だからって、なんであんなゴミ屑にそんな執着するわけ?」と言っていたのが、続けていくと「あー、はいはい」と軽くいなされるようになってきた。それがまた、嬉しかった。確実に、この女の興味は俺から遠ざかっている。計画通りだ。あとは、裕一の方に関心が向きさえすれば……。

 向きさえすれば、おそらく、裕一は俺なんかより有希の方を選んでしまう。

 裕一は、男である俺を決して選ばない。

 俺は、こんなにも裕一のことが好きになっているのに。

 全ての歯車が、狂ってしまったように感じた。そもそも俺は、裕一のことを好きになるつもりなんか、最初からなかったはずだ。なのに、どうして……。

 そんな悩みを一晩悩んだ後で、有希の告白を受け入れて、付き合うことにするまで、そんなに時間は掛からなかった、いや、時間を掛けなかった。

 計画を急遽変更した。俺と有希が付き合っていることは、裕一には伏せる。だが、仲の良い関係になっていることを演じた上で、「有希との関係のキューピットになる」名目で個人情報を聞き出し、あわよくば裕一を遊園地デートに誘う。それと同時に、有希とは性的な関係を持っておいて、要は裕一がズリネタとして使いそうな材料を揃えておく。それらをちらつかせ、時には握らせて、ますます俺なしでは有希との恋愛関係を考えられないようにする。いや、それは嘘だな。多分、いや間違いなく、俺は裕一がオナニーしている痕跡が欲しかった。裕一の性液がほしかった。それは、俺が興奮するためであり、俺のエゴイズムの極点なんだと思う。

 作戦自体は面白いくらいに成功したよ。だけど、その時点で、有希は俺のエゴイズムの最初の被害者になっていた。告白した時に、すぐに言われたもんだ。

「あたしはくりくんのこと、まだ好きだよ。でも、くりくんが今好きなのは、白川くんでしょう?」

 全部見抜かれていたよ。というかまぁ、ここまできたらもはや当然か。

「あたし、くりくんのためだったら裸にもなるし、何でもするよ。でも、言っとくけど、あたしは白川くんと付き合うのだけは絶対イヤ。だってあいつ、妄想のあたしに恋しているだけで、リアルのあたしの目なんか一ミリも見てくれないもん」

 そうも言っていた。これでもまだ表現としては辛辣じゃない方だと思う。

「ねぇ、白川くんの何がいいの? あたしじゃ、ダメなのかな?」

 一番、答えるのに困った。

 俺が男しか好きになれないこと。

 白川裕一の持っている素質が河合有希にはなかった。本当にそれだけなこと。

 でも、ゆくゆくは裕一は有希を選ぶだろうから、そもそも俺の恋は決して成就しないこと。

 それでも、裕一に触れたい俺のエゴのために、有希と付き合う選択をしたこと。

 全部はっきり言えればよかった。

「いつも言ってるだろう。あいつはガラス細工みたいに繊細な男で、綺麗な手をしていて、哲学者なんだ。人として尊敬するよ。だから、あいつが好きだ。

 裕一と仲良くなってほしい。そのために、ユッキーには俺のわがままに付き合ってほしいんだ」

 ゴマカシだらけの言葉を並べて、こんなセリフを吐いていたんだから、結局俺は裕一に殺されかけて当然だったんだろうなと思うよ。


「飲む? ココア」

 拓哉が話の途中でやおら立ち上がってそう提案した。

「うん、もらうよ」

「あと、タバコ吸って良いかな」

「いいよ。ベランダで話そうか」

「そーだねぇ」

 温かいココア二人分を拓哉が用意してくれた。ベランダに出ると、秋風が肌に染みた。

「はぁー、寒くなったねぇー」そう言いながらマグカップに入ったココアを握りしめて、小声で、アツ、アツ、と口走っている拓哉は本当に可愛い。

「正直な感想聞きたいな。俺の話聞いてどう思った?」

「そーだねぇ」拓哉はタバコを手で巻きながら、海辺の砂から貝殻を探すように一つ一つ丁寧に言葉にしてくれた。

「まぁ、オレはさぁ、隆ちゃんだけが悪いとか、そうは思わんしー、ゲイあるあると言えば、そうだしー、何だろうな、話聞いてると随所で隆ちゃんらしいなって感じがするというか、なんかそこまでのことやれるんだから大したもんだなっても思うし、いつもの隆ちゃんだなっても思うけど、やっぱりさ、裕一くん、だっけ? そいつがあんまりにもさ、報われなさ過ぎじゃない? 今の話だとさ。だから、何ていうかなー、誰が悪いとかそういうんじゃないんだけどさー……」

 そして、巻いたタバコに火をつけて、細い煙に重ねてつぶやくように言った。

「とりあえず、アンタらしいよね、とは思ったね、聞いてて」

「失望しなかった?」

「いやむしろ隆ちゃんらしい話ですね本当にありがとうございましたって感じよ」

「そうか」

 ほっと一息、口から漏れた。やっと話せた。やっと口に出して、整理ができた。聞いてくれた相手が信頼できるパートナーでよかったと、しみじみ感じる。しみじみ感じて、ココアを飲んでいるうちに、続きを話そうとしていたことまで、どうでも良くなってしまった。

「オレにもさー、友達とかさ、変に寄ってくる女とかにさ、話せないことの一つや二つはあったよねぇー」

「拓哉にもそういうことあるの?」

「あるじゃん。普通にあるから」

「お前基本クローズドだもんな」

「むしろレインボープライドの実行委員やる程度にはオープンな隆ちゃんが未だに信じられない件について」

「あぁ、それもね、裕一と関係しているよ」

「ストレートに向かって旗振ったって相手の性志向は変わんないでしょ」

「そういうことじゃなくて、さ」


 それは、偶然に偶然が重なり合った出来事だった。

 LGBTQ+の居場所づくりをやっている友人経由で、とある少年院を出所したゲイが講演するという情報をキャッチした。最初は、面白そうだし聞いてみるか、くらいの気持ちで参加してみたのだった。

 彼が講演で話していたのは、大まかに言えば「知れば間違いなく認識が変わることもある。だから、粘り強く声を上げていこう」というよくある話なのだが、彼が出所したという少年院の名前が裕一が行ったと噂の場所でリンクしていたし、少年院で出会ったというLGBTQ+の本を熱心に読んでいた読書好きの友人というのも、何か引っかかるものがあった。おまけに、詳しくは言えないですけれど……とその友人が犯した罪のことを話してくれたが、エピソードから言って、俺が裕一に病院送りにされて、脊椎損傷で車椅子生活を余儀なくされるきっかけになった、例の事件と重なる部分が多かった。

 いても立ってもいられず、講演が終わった後、つかぬことを聞くようですが、と声をかけた。その友人は、裕一という名前ではなかったですか?

「そっか、知ってんのか」彼は思いの外、正直な男だった。

「何、クラスメイトかなんか?」

「いえ、俺は彼に殺されかけた男ですよ。ボッコボコにね」

「あっ、そーなんだ、へぇ!」少し驚いた様子だったが、終始フランクな様子は崩さず、「じゃあ、絶対会ったほうがいいよ! 俺さ、あいつと仲良かったから、大体この辺に住んでるとか、全部知ってるしさ」

 彼、的場圭介がいなかったら、俺は裕一がどこで暮らしているのか分からないままだったし、「俺はここにいるんだよって叫べば絶対会えるって!」と背中を押されてレインボーパレードの実行委員になっていなければ、裕一にあの時あの瞬間偶然会うという奇跡もなかった。

 あともう一押し。俺が圭介とコンタクトを取れば、きっとまた裕一と会って話せる。


 俺には、裕一に会ったら伝えなければならないことが、二つある。

 一つは、俺のことで、もう罪の意識に苛まれないで欲しい、ということ。

 もう一つは、河合有希のことだ。

 有希はあの事件の後しばらくして妊娠が発覚し、高校を中退、女の子を産んだ。退学前の最後の日に、病院まで会いにきてくれて、俺に全てを話してくれた。

 この子の父親はね、裕一くんなの。

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