5-4 ASMRらしくしちゃった

せっかく(?)ナルくんを閉じ込めたけど、

わたしは防音室のドアを開けた。


するとナルくんはスマホを取り出す。

助けてほしいって連絡……じゃない、

帰りが遅くなるって連絡かもと思ったけど、

ナルくんのスマホは真っ暗になった。


わたしは不思議そうな顔でナルくんを見つめる。


「なんだよ?

 これからASMRしてもらうんだから、

 映画を見る前みたいに電源を切るのは当然だろ?」


「あ、そんなふうに真剣に聞いてくれるんだ……」


わたしは胸からきゅーっと音がするのを感じた。

これがナルくんのASMRを聞く作法かな?

ううん、スマホの電源を落としたらASMR聞けないよね。


フウリの言うことを思い出した。


大切なのはこの場を楽しむこと。

マナーや作法はそのためにある。


だからこれはナルくんが

わたしのASMRを楽しもうとする気持ちの現れなんだ。


どう考えても嬉しい解釈しかできないよぉ。

「んじゃ、わたしも電源きろーっと」


ウキウキでわたしはスマホを取り出して、

電源を落とした。

そして近くに常備されている布団を持ってくる。


「ふ、布団って、それもわざわざ準備したとか?」


「ううん、これは寝かしつけASMRに使ってるお布団だよ。

 カーペットの上よりお布団のほうがいいよね?」


「持つよ。俺がしてもらうんだから」


「えへへー、ありがとー。

 他の準備もあるからお布団敷いておいて」


わたしは照れた顔をお布団で隠しつつ、

ナルくんに渡した。


それから手早く冷蔵庫へ。

冷えたミネラルウォーターのペットボトルとグラスをふたつ持ってくる。


「の、飲み物まで……至り尽くせりってやつか?」


防音室に戻ってくると、

ナルくんはせっかく敷いた布団から離れて

ちょこんと正座をしていた。


また緊張でかしこまってるのかな?

かわいい。


わたしはグラスを見せながら答える。


「これ? ASMRに使うから持ってきたんだよ?

 前にもやったじゃん。水が注がれる音」


「あ、そっちか」


「ケーちゃん師匠は喉を傷めないように、

 冷たいお水は避けてるんだよ。

 飲む用のお水とか欲しかったら言ってね」


言いながらわたしはグラスを木のテーブルに置いて、

ASMR耳かきセットの箱も持ってきた。


ナルくんはまるで

入っちゃいけない場所を見るような目でわたしを見ている。


「せっかくお布団敷いたのに、なんで離れちゃうの?」

「いや、先客がいて……」


ナルくんの目線の先をわたしも見た。


するとそこにはモアイ像みたいで、

この部屋の持ち主で、ケーちゃん師匠の彼氏で、

神様仏様みたいに置いてあるダミーヘッドマイクがある。


「そっか、ごめんね。

 ちょっとお部屋の隅に行ってもらおっか」


「あと、目――はなさそうだけど、

 顔をそらしておいてもらえるとありがたい」


「ん、いいよ」


いつもなら『ナルくんってば恥ずかしがり屋さんだね~』

くらいは言った場面だけど、

わたしはそんなからかい言葉を飲み込んだ。


ナルくんに頼まれた通り、倒れたり、

コードを痛めたりしないよう

ダミーヘッドマイクをゆっくりと動かす。


そうしてようやくナルくんが

落ち着けそうな場を用意できた。


わたしは耳かきを手に取り、

布団の上で女の子座りをして、

ふとももをぽんぽんする。


「おいで」


まるでASMR作品のジャケットみたいなことをした。

多分絵にしてもらったらかわいいんだろうなぁ。


でもナルくんはわたしを見たまま動かない。

見惚れてる……ではないよね?


「枕は?」

「ここに」


「それは膝枕というものでしょうか?」


「うん、ASMRの定番だよね?

 クーちゃんのASMRはみんなそうだったじゃん。

 誰にも見られてないよ?

 言い忘れてたけど監視カメラもないし」


「そんなの言うまでもないだろ。

 とはいえ……見えたりしないか?

 その、下着とか」


「ちゃんとショートパンツはいてるよ。

 あ、ショートパンツかスカート、

 脱いだ方がいい?」


「そのままで結構です」


わたしがスカートに手をかける前に、

ナルくんは恐る恐るわたしの方に寄ってきた。


本当にちょっとずつ。

わたしに許しを求めるように寄ってくる。


ホントに遠慮しないでいいんだけどなぁ。

でもがっつくナルくんも違うし、

今はかわいいナルくんの様子を眺めることにする。


「し、失礼します」

「はい、いらっしゃいませ」


ついにナルくんの頭がわたしのふとももに乗った。

今日も髪がジョリジョリしてくすぐったい。

わたしは思わずもぞもぞ動いて笑みをこぼす。


「やっぱ枕が必要か?」


「いいの。ASMRに使う枕なんて用意がないし、

 ケーちゃん師匠が寝るときに使ってるのか、

 それともケーちゃん師匠が演じた

 アニメのキャラの抱きまくらしかないよ?

 それでよければ持ってくるけど」


「なんでそんな選択肢しかださないんだよ。

 マジ膝枕以外択ないし」


「分かっていただけてなにより。

 それじゃ、耳かき始めるね。


 眠たくなったら寝ていいから、

 リラックスして、癒やされてね」


ナルくんは恥ずかしそうに頭をころっとして、

右耳をわたしに向けてくれた。


ASMRのリスナーらしく声の返事はないけれど、

耳かきしていいという許可だとわたしは感じる。


「まずは外側からきれいにしていくね。

 ナルくんの耳、前にしたときはきれいだったけど、

 今はどうかなぁ……」


わたしは耳かきでナルくんの右耳の溝をなぞり始めた。

ずりずり……ぞりぞり……かさかさ……。

ナルくんは肩にちからを入れる。


「生ASMRの音はどうかな?

 耳かきがそもそも気持ちいいもんね。

 今日はかりかり……って感触も楽しんでね」


ASMRでダミーヘッドマイクにするように、

わたしはナルくんに優しく囁いた。


さわさわ……こすこす……。

耳を動かさないようにしているからか、

代わりにまぶたや口にちからが入ってる。


「落ち着かないね。

 もしかして、くすぐったい?」


「慣れてないだけだ……。

 なにせ自分じゃない誰かに耳かきされるなんて、

 何年ぶりだよ」


ナルくんは我慢しきれなかったのか、

恥ずかしそうにぽろっとつぶやいた。

わたしは耳かきをちょこっと離して言う。


「最近わたしがしてあげたじゃん」

「俺が寝てたからノーカンだ」


「も~、ツンデレなんだから」


「デレを見せたことないだろ。

 いいからその……、耳かきを続けてくれ」


ナルくんは目をぎゅっとつむって言った。

ナルくんの顔が赤く、

熱くなってるのをわたしはふとももから感じる。


確かに、今までデレを見せたことなかった

(とナルくんは言う)けど、

その直後に明確にデレを見せてきた。


やだ、あざとい、かわいい。


そんなにクーちゃんのASMRが好きなんだ。

嬉しいがすぎる。


わたしは呆れた演技に被せて、

落ち着くために深呼吸をした。

それからナルくんの右耳に口を近づけて、


「ふ~。それじゃ続きやるね……」


耳ふ~をされたナルくんはゾクゾクっと体を動かしてから、

耳かきを待ちわびるように大人しくなった。

それを見てからわたしは耳かきをナルくんの耳にゆっくりと入れていく。


「今度はお耳の中へ……ずずずっと」


するとナルくんの目がぎゅっとなった。


口元が少し上がってるので具合が良さそう。

前にしたとみたいに気持ちよくできるかもと、

あのときと同じ自信が戻ってくる。


「お待ちかねのお耳の中かりかり……。

 お返事しなくていいから、

 きもちー感覚と音を楽しんでね……」


「ん……」


「……ふふっ、呼吸もゆっくり。

 リラックス……リラックス。

 わたしの息遣いと、かさかさ……ってオノマトペで、

 気持ちいい気分になって」


楽しい。すっごく楽しい。

ううん、幸せって言ったほうが正しいかも。


好きなひとに耳かきをしながら、

優しい言葉をかけるって、

この世の幸せを詰め込んだみたいなことだ。


変にいろいろするよりも、

これが一番よかったんだ。

ナルくんもこれがいいみたい。


でなきゃこんなにゆったりした息遣いを

聞かせてくれないと思う。


「……っと、ナルくん相変わらず耳きれいだね。

 耳垢、全然取れないよ」


「そりゃ、ワイヤレスイヤホンが汚れるから、

 耳を清潔にしてるんだよ。

 きれいな耳を見せないとクーちゃんに失礼だろ」


ナルくんはプライドが高そうな

キリッとした目をわたしに向けた。


わたしはそんな男の子のプライドっていうのが分からず

右に首をかしげる。


「えー、それじゃ耳掃除の意味ないよー。

 それに配信聞くなら別に関係ないと思うなー」


「ある。気持ちの問題だ」

「じゃあ、左耳はしなくていい?」


わたしは首を左に傾けた。

するとナルくんはしょんぼりと眉を潜めて、

「それとこれとは別だろ。して……ください」


物欲しそうに言った。

本当にかわいいなぁ。

耳かきされたい欲に逆らえないんだねぇ。


これを言うとまた落ち着かないやりとりをしちゃうから、

煽ったりいじったりはほどほどに。


わたしは首を真っ直ぐにして、

コクコクとうなずく。


「素直に言えて偉いね。よしよし……」


わたしは優しくナルくんの頭を撫でた。

煽ったりいじったりじゃなくて、

今日はわたしも素直になってナルくんに優しくしたい。


ナルくんはこれもいいらしく、

顔を赤くしつつも、

黙ってわたしに撫でられている。


「なぁ、これもASMRのつもりでやってるんだろう?」

「うん、もちろんだよ。生ASMRって感じだね」


「……ならASMRらしくさ、

『顔こっち向けて』みたいなの、やってくれよ」


ナルくんはこっちを向かずに、

口をとがらせて言った。


わたしはそれを聞いて口をぽっかり。

なるほどと首をコクコクコクコクさせる。


「そっかぁ。ASMRらしく……」


おねだりとも言えるナルくんの頼みを聞いて、

わたしはウキウキしちゃいそうだった。


でも息遣いを整えて、

かわいい声やセリフで

ナルくんのリクエストに答えようと少し考える。


「次は左耳をかりかりしたいから、

 ごろんって右を向いてほしいな。

 はい、ごろーん」


わたしもおねだりするように言ってみた。

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