5-3 閉じ込めちゃった

授業がろくに耳に入らないまま放課後になった。

わたしはバタバタした足取りで教室を出て、

ナルくんに手紙で指定した場所に向かう。


最初にナルくんを呼び出した手紙を書いたコンビニだ。

コーヒーを買ってイートインスペースでチビチビしながら待つ。


ソワソワソワソワ、落ち着かない。


わたしは早々にコーヒーを飲み干しちゃって、

氷もずずずっとしてた。


それもお腹と喉に悪いので雑誌を眺める。

こういうとき立ち読みできないのが恨めしい。

その流れで買いもしないプリペイドカードを眺めているとようやく、

目的の男の子はやってくる。


「よう……」


どんな顔をすればいいか分かっていない、

怖がらせるような、期待しているような、

変な顔のナルくんがわたしを見た。


「えへへ、来てくれた」


テレテレしちゃった。

ナルくんの顔に警戒のシワができる。


「そりゃ、あんなこと言われたら行くしかないだろ……。

 新幹線の整備工場に憧れるみたいなもんだ」


「そこはもっとかわいく例えてよ。

 パティシエさんの調理場とか、

 芸術家のアトリエとか」


「俺のセンスが怪文書呼ばわりされてるの知ってるだろ。

 諦めてくれ」


「だよねだよね。

 ナルくんが興味持ってくれたのは分かったし、行こっか」


わたしはナルくんに先導してコンビニを出た。

買うものはない。きっちり全部準備がある。


「ホントにこっちなのか?

 だってこっち百々瀬の家がある方じゃ――」


「わたしのお家知ってるの?」


「あ、いや、ほら、

 俺が家庭教師してる中学生に、

 コーの友達がいるんだよ。


 それでこの辺に百々瀬たちの家がある

 って聞いてるからその……」


「なるほど、コーくんの……」


コーくんの情報がどこから来たのかなんとなく分かって、

わたしは口を丸くした。


コーくんのゲーム仲間『SC同盟』

なんて厨ニっぽい呼び方をしてる友達のことだと分かる。

でもSCってなんのことか教えてくれないんだよねぇ。


そんなことを考えていると

ナルくんはズルズル足を重くする。


「やっぱり、百々瀬の家に連れ込んで、

 俺に妙なことするんじゃないだろうな?」


「それはないよー。

 わたしがナルくんをお家に連れ込んだら、

 コーくんがナルくんにすごいことをするかもしれないからねー」


「まあ、うん、そうかもだが……

 うん、コーならそうかもな」


ナルくんはもんもんと煮えきらない言い方で納得した。

まるでコーくんのことを分かっているような言い方だ。

わたしはナルくんの顔を覗き込む。


「なんで『そうかも』なんて思ったの?

 えっちなASMRの情報交換でもしてる?」


「いや、姉と同じでおもしろいヤツだって聞いてるからな」

「おもしろいヤツかー。えへへー」


「褒めたつもりはないんだがな」

「十分褒められてるよー」


「やっぱ変なヤツだ」

ナルくんは呆れたように、

静かな住宅街に響くため息を着いた。



数分とほとほして、

わたしたちはケーちゃん師匠のお家にやってきた。

ナルくんはぴたっと足を止めてケーちゃん師匠の家を見る。


「普通の家だな……。防音室は後付してるのか」

「そうだよー」


わたしはそう答えながらカチャカチャ鍵を開けた。

普段はケーちゃん師匠に開けてもらってるから、

自分の家みたいに振る舞うのはちょっと変な感じ。


わたしもぎこちないけど、

ナルくんもギグシャクしてる。


緊張気味なのは多分、

恋愛的な意味じゃなくて、

ケーちゃん師匠に会えるからとかだと思う。


ちょっと妬いちゃったから、

ナルくんの後ろに回り込む。


「さ、遠慮しないで入って入って」

「後ろに回り込むな」


「有名なスナイパーみたいなことを言わないのー」

「なんでそんなの知ってるんだよ」


「そういうのコーくんが好きだからねー」


言いながらナルくんをぐいぐいと

ケーちゃん師匠の家に押し込んだ。

玄関に入るとナルくんはかしこまった声で言う。


「お邪魔します……」


「ケーちゃん師匠は後で来るよ。

 防音室の見学はご自由にって言われてるからどうぞ」


かちゃ。


わたしはまたナルくんを先導して短い廊下を歩いた。

ナルくんは肩のちからを抜いてわたしに着いてきてくれる。


「これがASMRの収録現場……。

 って普通の部屋みたいだな。

 目立つのはあのダミーヘッドマイクくらいか」


ナルくんは防音室を見るなり、

拍子抜けした声を出した。


わたしはナルくんの視界に入って、

目を吊り上げる。


「よく見て、ううん、歩いてみて。床にカーペットが敷いてあるでしょ? 余計な足音が聞こえなくなってるんだよ。足音が必要なときはわざと立てるか、カーペットをめくって収録するんだ。それとあのエアコンは全然音を出さないすごいのなんだよ。つけてみるね……ほら、リモコンも音が出ないでしょ。それと置いてある道具のほとんどは木でできてるんだよ。これは木製の道具は音を吸収するから収録に影響が出にくくって、それでいておしゃれでモチベアップも期待して用意したんだって。ぬいぐるみもケーちゃん師匠やわたしが好きだから置いているんじゃなくて、音の吸収を期待してるらしいよ。置いてあるもののこだわりはもちろんだけど、この防音室は台形の形になってて、音がよく聞こえるようにしてるんだよ。他にもパソコンは水冷で――」


しまったしゃべりすぎちゃったかも。

これじゃオタクくんみたいだ。


わたしはこういうの聞くのすっごい好きだし、

だからこそナルくんの長文レシート怪文書も好きなんだけど、

これを別にオタクってわけじゃなさそうな

ナルくんにするのは良くなかった。


それにこれらは全部ケーちゃん師匠のこだわりで、

それを自称弟子であるわたしが解説するのはどうかな?

わたしはナルくんの視界から抜けようと足を引く。


「ご、ごめんね。語っちゃって」


「パソコンは水冷って、

 冷却ファンがついてないのか?」


「あ、ううん、

 ついてるけどほとんど音がしないんだ」


わたしはナルくんの質問にキョトンとしつつも答えた。

あれ、ナルくん引いてない?

それどころか目を輝かせてる?


「すげぇ……。

 こんなにこだわってるとか、

 アブシンベル神殿かよ」


「エジプトの?」


思わずナルくんの例えを確認しちゃったけど、

それを聞きたいんじゃない。

でもわたしが聞く前にナルくんは答えを出す。


「この防音室、もっと見ていいんだよな?」


「うん、秘密にしなきゃいけないものはないから。

 あ、でもパソコンはつけられないかも。

 水冷でどれだけ音がでないか確認したいかな?」


「いい、話が聞けただけで十分だ。

 これがASMRの現場……。

 俺を癒やすものが作られてる場所なんだな」


言いながらナルくんは吸い寄せられるように

ふらふらとエアコンを見に行った。

耳を澄ませて、どのくらいの音が出てるのか確認してるらしい。


よかったぁ。

わたしはナルくんに聞こえないように、

少しずつながーいため息をついた。


わたしの語りはナルくんの聞きたい話だったらしい。

引かせちゃったかなと思ったけど、

ナルくんのためになったのならすっごい嬉しい。


ため息が終わって呼吸が整うと、

改めてナルくんに目を向けた。


お菓子の工場見学に来た子どもみたいな表情をしている。


かわいい。


わたしの生ASMRで寝てるときもそうだったけど、

周囲の目を気にしてないときのナルくんは無邪気で、

気持ちよさに素直で、

頭のいい高校生とは思えない。


もっとナルくんのかわいいところが見たい。

そんな欲が強くなってくる。

わたしはこっそりと防音室のドアを締めた。

どうしてもこれは音がする。


「ナルくん、こんな静かな部屋でASMR聞いてみたくない?」

「な……」


ナルくんは、散歩だと思っていたのに

連れてこられたのが病院だと知ったときの犬みたいな、

ショックな顔をした。


わたしはまさにドッキリ成功の顔を見せる。


「ごめんね、最初からこのつもりだったの」


「もしかして、

 ここは堂々ポップさんの家じゃないのか……?

 コーの言う『騙して悪いが』しやがったのか?」


「ううん、堂々ポップさん、

 ケーちゃん師匠の仕事場なのは本当だよ。

 でもケーちゃん師匠は夜まで帰ってこないの」


「おい、それ

『今日お父さんとお母さんは帰ってこないの』

って言ってるのと同じだぞ」


「そうだよ。ナルくん、わたしに、生ASMRさせて」

「……ASMR?」


「だよ。収録でもなければ、いたずらでもない、

 ナルくんに気持ちのいい眠りをしてもらうだけの

 ASMRをしたいの。


 そのためにここを借りたんだ。

 誰にも見られないし、

 外の音も聞こえづらくて、

 中の音が漏れたりしないここなら、

 ナルくんは気にせずにASMRを聞けるかなって思ったんだ」


わたしは出口を塞ぎつつも、

ナルくんに正面から、

恥ずかしさを抑えつつしたいことをはっきり伝えた。


これでわたしがナルくんに

恋しちゃったことが伝わってもいい。

ナルくんが勘違いして恋しちゃってほしい。


断られるイコール振られちゃったらまあ、

すぐにでも帰してあげて、

外に音のもれない防音室で少女漫画のように泣く予定だ。


この経験でシチュエーションボイスの台本を書いたっていいし、

ケーちゃん師匠に話して書いてもらってもいい、

このくらい考えてる。


そんな悠長に考えることができたほどの間を置いて、

ナルくんは答えてくれる。


「最近調子悪かったんじゃないのか?」


「悪かったよ。

 ナルくんが寝てくれなくなっちゃったほどにね」


「体調が悪いとかじゃなくて、

 ASMRのスランプで悩んでたってことか?」


「うん、そんな感じ。

今日こそナルくんが寝られるASMRをしてみせるよ」


意気込みを聞かせた。

オーバーな動きもなく、

真正面から堂々と、

ASMRをする側として自分の声ではっきりと。


ナルくんはカーペットに座って言う。


「よろしくお願いします」

「うん!」


外にもれないのをいいことに、

わたしは大きな声で返事をした。

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