4-7 ASMRしてたら思いついちゃった

というケーちゃん師匠の期待に応じられるような台本を渡された。

台本と言っても、びっちりセリフがあるわけではない。


こういうことを、こういう感じで、

このくらいの時間でしてほしいというスケジュール表みたいなもの。


でもそこにはケーちゃん師匠のこだわりが含まれている。


「おねむの時間だね。

 クーちゃんのとこにおいで。ぎゅ~」


ダミーヘッドマイクから少し離れたところから始めて、

そっと抱きしめた。


シチュエーションが曖昧な理由は、

聞くひとが好きに想像できるようにするためだと、

台本にメモがある。最初に抱きしめるのは、

ケーちゃん師匠の趣味。


「よしよし……今日もリラックスして寝られるように、

 なでなで……クーちゃんが癒やしてあげる」


いつも以上に優しい声で囁いた。


ワイヤレスイヤホンから返ってくる自分の声も

いつも以上に優しいと分かる。


これくらい優しければ、

いままでイジワルしちゃった分だけ、

ナルくんに優しくできるかな。


もっと優しくしたいかも。


「よちよち……

 クーちゃんの気持ち、受け止めてくれてありがと」


使ったことないオノマトペを口にして、

ナルくんの頭を撫でたときのことを

思い出しながら、ささやいた。


感謝の言葉は自然と出てきた。自然と口が緩む。


「えへへ、ぎゅってしてると、

 クーちゃんも癒やされるかも」


まるで自分の言葉で癒やされているみたいだった。


ASMRがうまいひとは、

自分のASMRを聞いて寝るらしい。


自分へのダメ出しとかストイックな理由もあるらしいけど、

自分にも聞くほどの効果があるのかもって、思えてくる。


「……寝ちゃいそうだね。

 膝枕したげる。おつかれだったら、

 クーちゃんの膝でねんねしてほしいな……」


わたしはちょっとマイクから離れて、

ぽんぽんと自分のふとももを叩いた。


でもダミーヘッドマイクは

自分から膝枕に乗ってくれない。

音を立てないようにダミーヘッドマイクを横向きにする。


「いしょっと……」


このアーム(頭を載せてるのでネック?)は

リアルタイムで動かしてもあまり音がしないし、

音がしても編集とかでごまかしが効く優れもの。


実際返しの音からはわたしの声と息遣いしか聞こえてこない。


ダミーヘッドマイクがわたしの膝に乗った

(という感じに聞こえる位置に来た)ら、

頭の中にナルくんの寝顔が浮かんだ。


マイクを通じて、ナルくんがあのときと同じような

かわいい寝顔になってほしいと思い、おでこを撫でる。


「えへへ、いらっしゃいませー」


調子のいいことを言って

ダミーヘッドマイクを見つめた。


さっきからわたしの脳が

ダミーヘッドマイクとナルくんの顔を勝手に合成しているせいで、

ナルくんと見つめ合っているように感じる。


「なんか見つめ合っていると照れくさいね。

 寝ちゃうから大丈夫?

 そういう問題じゃないのー。

 乙女心ってやつだよもぉ……」


わたしは乙女チックなことを言って口を尖らせた。

今までのわたしのASMRより新鮮というか、

より自分の感情に素直になってASMRをしてる気がする。


もちろん今までASMRで聞かせてきたことが

ウソってわけじゃないよ。

よりわたしの気持ちを伝えてるって感じかな。


そんなことを言ってもダミーヘッドマイクは動いてくれない。

なのでわたしからすることを言ってあげる。


「じゃ~あ、耳かきしたげるから、

 左向いて……はい、ごろーん」


合図に合わせてダミーヘッドマイクを動かした。

これもほとんど音を出さずに動く仕組みがある。


「耳かきって聞いて素直に動いたね。

 えらいえらい……ん~っと」


わたしは木箱に手を伸ばして、

ガサガサとASMR用の耳かきを手に取った。


このときはわざと物音を立てると

何をしているのか分かるので、

なにか言わなくても間持つ。


「さぁって、今日もお耳かりかりで気持ちよくしたげるね。

 おねむだったらそのまま寝ちゃっていいから、わたしに任せて」


こんなふうに『寝ていい』とか『ちから抜いてて』

みたいなことを言ってあげると、

聞いているひとはリラックスしてくれるらしい。


でないと『全部聞くぞ』って

意気込んで寝てくれないとかなんとか。


「お耳しつれーしまーす。

 まずは外側からきれーにしていこーね」


ひとのお部屋に入るのと同じように、

ちゃんと言ってからわたしは耳掃除を始めた。


ダミーヘッドマイクは本物の耳とは質感が違う。

本物はもっとぷにぷにで、

ちょっとひんやりとしてて、

ちゃんと垢が取れる。


こうして意識してやってみると、

ナルくんにしたときとの違いが感じられた。

それは確認用のイヤホンからも音として聞こえる。


ケーちゃん師匠がどうしてリアリティにこだわるのか、

ちょっと分かってくる。


やってる側も聞いている側も、

本当にしているみたいで、

されてるみたいで楽しいんだ。


それと同時に、

ナルくんにしてきたことを思い出していると、うずうずする。


ナルくんに生ASMRをしたい。

今度はナルくんの反応が楽しいからじゃなくて、

ナルくんに癒やされて、

穏やかに寝てほしい。


今でもコーくんの言う

『わたしの得すること』はわからない。


だとしても、したいことはしたい。


さわさわ……こすこす……しょりしょり……。


「ねぇ、クーちゃんにどんなことしてほしい?

 リクエストがあったら教えてほしいな」


わたしはダミーヘッドマイクに口を近づけて聞いてみた。

もちろん答えは返ってこないから、

自分の考えをまとめるように語りかける。


「むにむに……っと今してる定番の膝枕と、

 ぞりぞり……っと耳かきは外せないよね。


 他にも……こりこり、

 体の緊張をほぐす肩もみもいいかも。

 すりすり……音のリクエストだったら、

 川のせせらぎかな?」


思い出して聞いてみた。

でも川は持ち運びできないから、

どうしても録音になっちゃうし、

それは生ASMRじゃないからなぁ。

ナルくんの微妙な顔が浮かぶ。


「そっか……場所かぁ。

 落ち着かない場所でしたら

 リラックスにならないもんね。ふ~」


優しく、ゆっくりと息を吹きかけた。

ぞわぞわ~っとしたナルくんの様子が頭に浮かぶ。


「こんなことされて変な動きするの、

 誰かに見られたら恥ずかしいもんね。

 次、耳の中お掃除するよ……ずぷぷ~」


わたしは耳かきを耳の中へゆっくりと入れた。

これは実際にやっても気持ちのいいやつ。


かりかり……こりこり……。


「お顔だらしなくなっちゃうの、

 我慢しなくていいよ。

 でも人目が気になる?」


ふっと手を止めて、

わたしのシミュレートするナルくんに聞いてみた。

わたしの計算ではここでナルくんはコクコクとうなずく。


「急に親凸されちゃったり、

 お外の音にピクってしちゃう?」


想像した答えを口にしてみた。

ASMRって機材も音も繊細で、

簡単にかき消されちゃう音を楽しむことが多い。


ましてやわたしがするみたいに睡眠導入、

安眠のために聞くASMRは騒がしいわけがないよね。


「ん~、そうだなぁ、

 どこか……誰にも見られず、

 何も気にすることなく落ち着けるところかぁ。

 今みたいに落ち着いて聞ける場所なんて――」


わたしは思わず手を止めた。

息も止まりそうになるけど、

そうしたらASMRが止まってしまうので、

息遣いはマイクに入るように呼吸を整える。


あった。

『今落ち着いてる場所』なら、

ナルくんも落ち着いて、

それでいて来てもらえるかもしれない。


でもこれは口にできない。

今は収録だから編集でカットできるけど、

編集をするケーちゃん師匠のお手間を取らせるわけにはいかず、


「――なかなかないよねぇ」

と続けることにした。

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