4-6 師匠がヘンタイになっちゃった

一週間ほど経ってからのこと。


「コーくん。わたし行ってくるよ。

 ケーちゃん師匠に教わり直してくる」


そう言ってクーは家を出た。

コーの返事も待たずに家を出たので

『いってらっしゃい』の一言も言えず、

コーは固まって家の廊下を見つめる。


(ナル先輩とバッティングしそうにないしいいか)


今日もナルが家庭教師として家に来る予定だ。

コーはその準備のためにリビングに教科書やノートを広げる。


すると恐る恐る押したようなチャイムがなった。

コーはすぐに玄関に向かいナルを出迎える。


「よ、よぉ。今日も家庭教師に来たぞ」


「クー姉ちゃんはいませんよ。

『騙して悪いが』もありませんので、

 上がってください」


「あ、ああ、お邪魔します」


コーはリビングに案内して、

ナルをイスに座るよう促した。

早速勉強が始まる。



一時間半後、

予定していた内容をあっさりと終えて、

ナルは赤ペンを置いた。


「――わかったかどうか聞くまでもないな。

 コーは勉強がんばってるみたいだが、

 どこの高校受験するのか聞いていいか?」


「クー姉ちゃんとナル先輩と同じ学校です」


即答した。

きょとんとしつつナルはコーに進路を勧める。


「もっといいところ目指せそうな気がするが?」


「いえ、クー姉ちゃんが推薦で受けることになったとき、

 おれも推薦で受けたいって決めたので、

 他の選択肢はないです」


「……なら百々瀬姉に勉強を教わったらどうだ?」

「あの姉がまともに教えてくれると思えますか?」


「それ、俺が認めていいやつか?」

「いいです。クー姉ちゃんはそういうひとなので」


「……まあ、俺はバイト代もらえるしいっか」

「そういうことにしておいてください」


勉強と問答を終えたがコーは、

まだ質問があるとナルを見つめた。


ナルは少し首を引いて、

コーの観察をするような顔に聞く。


「俺の顔になんかついてるか?」


「クー姉ちゃんと学校ではどうしてるかなって、

 気になったんです。

 教えてもらえます?」


「なんもないぞ……。

 いや、なんもないのが不自然ってくらいか」


「詳しく」


コーは威力偵察の勢いで顔を伸ばして聞いた。


コーとしてはクーのことを聞くことが本命だ。

勉強はそのついでにできて、

高校受験を安定させたいだけ。


コーが勉強より意欲を見せたからか、

ナルは眉を潜めて答える。


「俺にいたずら?を仕掛けてこなくなったな。

 前にASMRの道具を忘れたとかなんとか言ったっきりだ。

 飽きたか?と思ったけど、

 動画もアップされてるし、今日も収録だろう?」


「そんなところです。

 おれもASMRのことは詳しくないので、詳細はなんとも」


「興味ないのか?

 俺はASMRの収録現場とか興味あるんだが」


ナルは何気なく言った。

コーはそれを聞いてピキィンと

『ひらめき』が発動したときの音を、

頭の中でならす。


(ナル先輩は、ASMRの収録現場に興味がある。

 これは使えるな)


「なんだその『これは使える』って顔は?

 姉弟揃ってなにかを企んでるのか?」


「いえ、企むなんて悪いことを考えてるわけじゃなくて、

 クー姉ちゃんが迷惑かけてるお詫びをずっと考えてるんですよ」


コーは守りを固める硬い顔を作って答えた。


信じて貰えないのは分かる。

逆だったら自分も信じないとコーは思う。

それを認めたようにナルはさらに眉をひそめる。


「迷惑だといいすぎっていうか、

 いきなり寝かされたり、

 昼寝した分だけ睡眠のリズム崩されて困るっていうか、

 俺は落ち着いてASMRを聞いてたいんだよな」


「困ってることはそれだけです?」


「えっと、実のところ、

 配信とか動画越しに聞いてる『クーちゃん』と、

 学校で隣の席にいる『百々瀬クウ』の違いに慣れないんだよな。


 よく聞くだろ?

 ネットで話した印象と、

 実際に会ってみた印象は一致しないって」


「分かります。

 おれの仲間――SC同盟もそうですね。

 あいつらゲームのボイチャだと英雄なのに、

 学校だとただのオタクですし」


「どういう仲間だよ……。

 SCってなんの略だ?

 いやいい、話さなくていい」


「はい。正式名称は秘密なので。

 それよりナル先輩とクー姉ちゃんのことです。

 クー姉ちゃんがいつも聞いていたASMRの主だって分かって、

 イヤになりました?」


「そういうわけじゃない。

 ぶっちゃけクーちゃんのASMRは気持ちよくて

 好きだっていうのが本音で……」


言っている途中でナルは顔を赤くして口をつぐんだ。

コーはナルが恥ずかしいことを言ったのだと察し、

うなずいてナルに言う。


「大丈夫ですよ、

 クー姉ちゃんには言いません。

 男と男の秘密ってやつです」


「助かる」

顔の赤いナルは音を立てて両手を合わせた。コーは、


(ナル先輩がクー姉ちゃんのASMRを

『気持ちよくて好き』ってところ以外は言うけど)

と思った。



「――というわけでケーちゃん師匠、

 わたしにASMRを最初から教えてください」


わたしはナルくんのことを好きになったので、

ナルくんを快適に寝かしつけてあげるために

初心に帰ってASMRを学びたい、

でもそこにはコーくんに聞かれた、

わたしが得することについて

答えはないことも素直に説明して、

ぺこーっと頭を下げた。


ケーちゃん師匠は少し間を置いてから、

満足気に言う。


「コーくんも難しいこと言うわね……。

 でもいいわ、師匠と呼ばれるのは照れくさいけど、

 クーちゃんをASMRに誘ったのは私だし、

 クーちゃんはASMRではない問題に気がついた。

 ならここは責任持って担当分野については教えましょう」


「ありがとうございますっ!」


頭を上げて、もう一度下げてお礼を言った。

ケーちゃん師匠はおもしろくなってきたと

言わんばかりにテンションを上げる。


「私の指導は座学じゃなくて実践あるのみ。

 そして大事なのはリアリティよ」


説明をされながら、

ケーちゃん師匠の家にある防音室にスタスタと通された。


初めてここを見たときのことを思い出しながら、

小さな部屋を見渡す。


ぬいぐるみがあったり、おしゃれな木箱があったり、

柔らかそうなカーペットが敷いてあるけど、

これはプロの現場だ。


ひとつひとつに意味があって

それはケーちゃん師匠の言うリアリティに繋がっている。


「そう固くしないで。

 クーちゃんはリアリティを持ってるもの」


「えっ? どういうこと?」


「ナルくんを好きって気持ち、

 ナルくんを癒やしたいって気持ち、

 いっぱい寝てほしいって気持ち、

 ここから出た気持ちでダミーヘッドマイクに囁いてあげれば、

 それはリアルに最も近いリアリティよ。


 ただし、ナルくんの名前を呼んじゃったら、

 それは他のひとにとってリアリティじゃなくなるから注意ね」


「そんなことして、いいのかな?

 やりすぎじゃないかな?」


わたしはぽろっと不安を口にした。


そう、わたしはやりすぎちゃったんだ。

ナルくんはどんなASMRが好みなのか、

どうしたら寝てくれるのか、

それが知りたいばっかりにイタズラみたいにしちゃって、

ナルくんを困らせちゃってる。


コーくんにも注意するよう言われたのにね。


やりすぎちゃった理由は、

ナルくんのことが好きだからっていうのは今だから分かる。


だからこそ、同じようにしちゃよくないって考えた。


ケーちゃん師匠はわたしの顔を見て、

ちょっと恥ずかしい話をするようにモジモジと言う。


「私はね、ASMRをするとき、

 このダミーヘッドマイクを本気で好きになって演じるの」


すると彼氏を紹介するように、

モアイのようなマイクの頬に触れた。

さらに腕を絡めるようにぎゅーっと抱きしめる。


「恋人は、マイク……?」


わたしはまるで、

ケーちゃん師匠の特殊な性癖を知ったように聞き返した。


ケーちゃん師匠の手付きはいやらしくて、

だんだんと変態に見えて、ドキドキしてくる。


「ちょっと、引かないでよ。

 私だって恋愛するならのっぺらぼうじゃなくて、

 ちゃんとした男の子がいいんだから」


「う、うん――じゃなくて、はい、分かりました」


「ホントに分かったのかしら?」


「分かってますよ。

 ケーちゃん師匠は変態さんじゃないです。

 そして大切なのは気持ちってことですね」


「ん~、前半はカタコトに聞こえたけど、

 ともかく収録してみましょう」


そう言ってケーちゃん師匠は、

恋人だったダミーヘッドマイクからねっとり離れた。


名残惜しそうに見えたのは

気のせいということにしておきたい。

わたしは代わりにダミーヘッドマイクに近づく。


マネキンよりも無表情なダミーヘッドマイクを見て、

表情豊かなナルくんの様子を頭の中で合成した。


初めてナルくんに耳ふーを直接して

寝かせたときのことを思い出す。


あのときは逆で、

ナルくんの頭をダミーヘッドマイクみたいに愛でた。

なら同じことをすればいいかも。


「ナルくん……いいこいいこしたげる」


なんだか愛おしく思えてきた。

なでなでして、ぎゅってしてあげる。


「クーちゃん、まだ収録用のパソコンも

 起動してないのに、ノリノリね。

 見てるこっちがドキドキしてくるわ」


「あっ、そうだった。ごめんなさい」


わたしはナルくん――じゃなくて、

ダミーヘッドマイクから離れてケーちゃん師匠に謝った。


ケーちゃん師匠の顔が赤くなってるけど、

わたしも顔が熱くて赤くなってきたのを感じるよぉ。


「いいのよ。

 聞いてて恥ずかしくなるくらいの

 ASMRになりそうで、楽しみだわ」

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