4-4「結構なお手前で」って言っちゃった

 わたしは教室に入った瞬間、

「あっ」

 と声を上げてしまった。


するとわたしの間抜けな声を聞いて

『ん?』とナルくんがこっちを見る。


なんだか不思議そうな顔だった。

思わずわたしは顔をぷいっとそらす。


だって、ナルくんのことを好きだって教えられちゃって、

どんな顔をすればいいか考えてなかったんだから。


わたしも知ってて、

コーくんの好きなロボットアニメなら

『笑えばいいと思うよ』なんて言うんだけど、違うの。

わたしの心境は白い子じゃなくて、赤い子に近いの。


「えっと、お、おはよう」


結局わたしはすっごいギクシャクした声で挨拶をした。


ASMRでもこんなシチュエーション演じたことないし、

少女漫画だったらどうなるんだっけ?


そもそもナルくんは少女漫画のイケメンじゃない。


ナルくんはわたしのことを

『おもしれー女』なんて言ってくれず、

こうして眉をひそめるという当然の反応をする。


「おはよう。

 なんだよ、忘れ物でもしたような顔をして」


「そ、そうそう。

 ナルくんの顔を見て思い出したんだよ」


「今日俺にするASMRの道具を忘れたか?

 いや、されたいわけじゃねーし、

 なにもしなければ平和だしいいんだが」


「えへへ、ごめんね。期待に添えられなくてー」


「されたいわけじゃないって言っただろ」


ナルくんはいつもどおりのツンツン反応だ。

わたしはぺろっと舌を出して席に座る。


実際忘れてた。

ナルくんのことが好きだと実感させられてから、

わたしの頭の中がてんやわんやし続けているんだもん。


これから今日一日思いやられるよ……。


「クーちゃん、

 なんか心ここにあらずだね……どうしたの?」


するとフウリはわたしを気にしてか、

ふんわりと声をかけてくれた。

わたしはため息まじりに答える。


「うん、ちょっとね。

 ここだとアレだし、積もる話になっちゃうから、

 お昼に聞いてもらえる?」


ちらりとわたしは目線をナルくんに向けた。


ナルくんは中学生の教科書を眺めていて、

わたしに気が付かない。

家庭教師のバイトのことを考えているんだと思う。


するとフウリはなにかを察したようにうなずいて、

和菓子のような甘い笑みをする。


「いいよ。あ、また茶道部の部室借りよっか」

「ありがと」



お昼休みにわたしとフウリはお弁当を持って、

茶道部の部室にやってきた。


ちょこんと畳の上に座り、

お弁当の包や封を開けながらわたしはフウリにお礼を伝える。


「ありがとね。

 教室じゃ話せない悩みだったから」


「やっぱりそうだったんだね。

 あまり私から聞くのも悪いから、

 クーちゃんのペースで話、聞かせて」


「うん。わたし、

 ナルくんのこと好きになっちゃったみたいで……」


「あ、やっぱりそうだったんだ」

「驚かないの?」


フウリがさも当然のような言い方をしたので、

わたしは逆に驚いちゃった。


フウリは箸を動かす手を止めて、

考えながら答えてくれる。


「うまくは言えないけど、

 風井くんにいろいろしてるクーちゃんって、

 すっごく楽しそうだったから……


 なんとなく、風井くんに

 特別な気持ちを持ってるのかなって思っただけ。


 それが恋心かどうかは、

 私には分からなかったから」


「弟のコーくんにも

似たようなこと言われちゃった。


わたしって、そんなに分かりやすく、

ナルくんのこと好きになってたんだ……」


なんか呆れちゃう。

わたしはアハハと乾いた声で笑った。


フウリはそんなわたしを見て

すぅっと優雅な仕草で立ち上がる。


「お茶、淹れるね」


そう言ってフウリはテキパキと道具を持ってきて、

チャチャチャっとお茶を点て始めた。


なんだかASMRみたいで、

茶道具の音にわたしは耳を澄ませる。


「今の茶道は……

安土桃山時代に千利休さんが発明したなんて言われてるの。


けど、お茶を楽しむ文化はね……

奈良時代か平安時代にはあったものなんだ」


わたしがASMRなんて思ったからか、

それっぽくフウリは語りだした。


わたしは返事をするのは違う気がして、

コクコクするだけにする。


「いろいろな作法、

 考え方、マナー……時代を重ねるごとに

 いろいろな考え方ができて文化になった。


 ……でもね、ひとつだけ、

 どの時代でも守られてきたことがあるって、

 私は思うんだ」


「どんなこと――」


思わず聞いてしまい、

わたしはばっと口を手で抑えた。


フウリは騒がしいわたしの疑問語もお茶請けにするような、

余裕の笑みをわたしに向ける。


「いいんだよ。

 ここにはクーちゃんとわたしだけ。

 堅苦しいマナーなんて気にしないで。

 それより大事なものがあるからね」


「どんなこと?」


わたしは抑えた口を開放して、

抑える前と同じ言葉を口にした。


フウリは安土桃山時代から積み重ねた

歴史を感じる声で答えてくれる。


「私のように……おもてなしをするひとは、

 お茶の場を楽しんでもらうこと。


 クーちゃんのように……お茶をいただくひとは、

 お茶の場を楽しむこと。


 それが一番大事なことだと思うの」


フウリは語り終わると、

わたしにスッとお茶碗を差し出した。


わたしはどう手にとっていいか分からず、

おいしそうな緑色を見つめる。


「間違ってても、変な動きをしちゃってもいいの。

 わたしはクーちゃんに落ち着いて

 お茶を飲んでほしかっただけだから」


「うん……フウリが言うなら、いただきます」


擬音語もたてないように、

静かな動きでお茶碗を両手で取った。


顔に近づけるたびに、

上品な香りがわたしの緊張をほぐしていく気がする。


ゆっくりと口をつけた。

香り通りの上品さと、思った以上の濃さと、

三口で飲んでしまうほどのおいしさに、

わたしはつぶやく。


「結構なお手前で……」


「ちょっと頭の中がバタバタしちゃってた

 クーちゃんが落ち着いて、

 楽しんでくれたならなによりだよ」


フウリはわたしの知ってる中で

一番優しい笑顔を見せてくれた。


こう例えると茶道の偉いひとに

怒られちゃうかもしれないけど、

今のフウリは全肯定ASMRのような雰囲気だと思う。


「そっかフウリはわたしに落ち着いてほしかったんだ」


わたしはフウリに聞くというより、

なにかを掴んだ気がしてつぶやいた。


もちろん自分のことなのに『なにか』は分からない。


フウリはわたしが考えているのを邪魔しないよう

黙って見守ってくれているようだ。


全肯定なフウリに甘えて、

わたしは気兼ねなく考えを巡らせる。


この差し出されたお茶は『おもてなし』とか

『楽しませたい』とか『癒やしたい』という

気持ちのこもったご奉仕みたいなものだ。


わたしがなんとなく

全肯定ASMRみたいって思ったように、

ASMRに大事なものは同じじゃないのかなって思った。


ナルくんを好きになったって教えられて、

どうしようどうしようってずーっと考えてた。


そんなの決まってて、

わたしのしたいことをするだけ。


そのわたしのしたいことっていうのは、

ナルくんにASMRしたいっていうこと。


誰かにASMRするっていうのは、

誰かを癒やしたいとか、

快適に寝てほしいってこと。


「ありがとうフウリ、

 ちょっと頭すっきりしたかも」


「どういたしまして。

 私の入れたお茶が役に立ったなら嬉しいよ。

 ちなみに、本当の茶事だと

 お茶を出す方が喋ることがマナー違反で、

 お茶をいただく側もクーちゃんの言った

『結構なお手前で』も言わないんだ」


「えっ、そうなの?」


「うん、おいしかったら、

『美味しゅうございます』みたいな、

 特別じゃないけどていねいな言葉でいいんだよ。


 相手に気持ちを伝えるのは、

 型にはまった方法じゃなくても、

 自然なやり方や方法が一番。


 クーちゃんが自然にできることをしてほしいな。

 私のおせっかいはここまで、がんばって」


フウリは同い年なのにお姉さんみたいに偉そうに笑った。

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