3-8 ナル、(こっそり)来訪

今日はケーちゃん師匠のお家でASMRの収録をする日だ。


とはいえ、ナルくんがわたしのASMRで寝てくれなくなってから、

どうしてもわたしのモチベは高くない。


もちろん収録はするよ。


モチベは0じゃないし、

ナルくんだって多分わたしの

ASMRを楽しみにしてくれるし、

ナルくん以外にもわたしのASMRを

楽しみにしてくれてるひとはいるんだからね。


わたしは家を出る前にふとリビングを見る。

コーくんが勉強の準備をしているのが見えた。


今日はここで勉強するんだと気になったけど、

それよりナルくんのことが気になって、

そっちを聞いてみることにする。


「コーくん、例の件のこと、

 どんな感じか聞いていい?」


なんだか怪しい会話をするみたいな

聞き方をしちゃった。


コーくんはそれでも特に気にすることなく、

わたしに答えてくれる。


「調べは進んでる。

 早ければ明日にでもなにか話せるかもしれない」


「ホント!?

 もっと時間かかると思ったけど、

 もう分かっちゃうの?」


「そんな過度な期待はしないでくれよ。


 でも、クー姉ちゃんはいつもどおり

 ASMRしてほしいから、言ったんだ。


 おれの仲間もクー姉ちゃんの動画見て

『いい声』って褒めてたし……

 その、なんていうか」


コーくんはペン入れのファスナーを

じーじー開けたり締めたりと、

落ち着かない動きをしながら言った。


恥ずかしがり屋さんのコーくんなりに、

わたしのこと元気づけようとしてくれてるんだ。


わたしは嬉しさで胸がポカポカしてきて、

コーくんの頭を撫でる。


「ありがと、コーくん。

 おかげで明るくASMRできる気がしてきたよ」


「別に褒められたり、

 感謝されたくて、言ったんじゃないし」


「それでもわたしのためになったから、

 ありがとだよ。

 コーくんも勉強がんばって」


わたしは優しくコーくんを撫でて、

気持ちを素直に口にした。

コーくんは顔の水を飛ばすようにブルブルと首を振る。


「こういうのはおれじゃなくて、

 収録でやるべきだろ」


「減るものじゃないからいくらでもしてあげるのに。

 でもこうしてたら勉強できないもんね」


ニヤニヤとしながら

わたしはコーくんの頭から手を離した。


コーくんは赤くなった顔を隠すようにうつむいて、

上目遣いで言う。

「もうすぐ七時だ」


「そうだね。行ってくるね」

わたしはそう伝えてささっと家を出た。



(七時までに家を出てくれたか、

 早速段取りがパーになるところだった)


玄関のドアが閉まるの音を聞いて、

コーはため息をついた。

勉強道具の準備を改めて進める。


そうして数分後、

なんだか恐る恐る押したようなチャイムが聞こえてきた。

コーは足早に玄関に向かい、ドアを開ける。


「家庭教師に来た、風井です。

 百々瀬コウくんであってる?」


ドアの向こうには、なにか不安がありげな高校生男子が立っていた。コーはそんなナルを先輩だと分かっているので、ていねいな口ぶりで答える。


「はい、家庭教師受けてくれてありがとうございます」


コーはナルを招くため、

ドアを大きく開いた。


だがナルの足は遅い。

コーはナルの不安を察して

気になっているだろうことを伝える。


「姉のクーはいません。

 家庭教師の時間内には戻らないです」


「やっぱり、あの百々瀬の弟か」


「はい。姉がいつもお世話……

 じゃなくて、ご迷惑をおかけしてます」


ナルの不安を当てて、

コーはペコリと頭を下げた。


この『ご迷惑』は割りと本気で、

おそらくこれからも

迷惑をかけるだろうと言うお詫びの気持ちを、

コーは下げる頭で伝えたかった。


ナルは慌てた声を上げる。


「いやいや、

 百々瀬弟がそんなに悪く思うことないぞ。

 いきなり耳ふ――いや、言ってもわからんか

 とにかく一安心だし、お邪魔します」


「ナル先輩が姉に後ろから

 ナニカサレることはないですので、

 心配しなくて大丈夫です」


「そ、そうか。

 だがどんな話をしたのか気になるな……」


靴を脱ぎながらナルは別の不安をつぶやいた。

コーは真面目な顔を繕ってナルに頼む。


「姉のことでいろいろ話したいことはありますが、

 まずは勉強を教えてください」

そう言いながらコーはナルをリビングに案内した。



「――と、こんな感じだ。

 分かってくれたみたいだな」


「はい、ナル先輩の教え方が

 思った以上にうまいおかげです。

 ありがとうございます」


「いや、前のめりおせっかいだったら言ってくれ」


目をそらしつつナルは控えめに言った。

コーも同じ方を見る。


目線の先には時計があって、

針は八時に近づいていた。

コーはナルが気にしていることを察して聞いてみる。


「姉はまだ帰ってきませんよ。

 収録のときは七時前に家を出て、

 九時とか十時とかになるんで」


「クーちゃんのASMRって

 一時間くらいだけど、

 収録は何倍もかかるんだな」


「みたいです。

 ちょうどいいので、

 クー姉ちゃんのこと聞いていいですか?

 学校でどういう話をしてるとか、

 なにをされてるかとか」


「俺より百々瀬弟のほうが詳しいだろ」


まるでクー本人を前にしているかのように、

ナルは気まずそうな声で言った。コーは構わずに聞く。


「コーって呼んでもらっていいです。

 おれも勝手に『ナル先輩』

 って呼んじゃってますし」


「そうか、じゃあ改めて……

 俺よりコーが百々瀬姉のことは詳しいだろ。

 なんで聞くんだ?」


「高校入っていっしょにいる時間減りましたし、

 なによりクー姉ちゃんが

 ナル先輩のこと楽しそうに話すんで、

 気になるんです」


コーはツンツンとした言い方をしないよう気をつけたが、

どうしてもツンツン感が出てしまった。


このひとは自分の知らない姉を知っている。


ナルはまったく悪くないのに、

その事実から嫉妬心に火をつけてしまった。

ナルは逃げるように少し首を引いて答える。


「だいたいは多分百々瀬が話してるとおりだぞ。

 多分俺が話しても内容は変わらんと思う」


「なら踏み込んだ質問します。

 ナル先輩がクー姉ちゃんのASMRで

 寝なかった理由を教えてほしいです」


「ホントに踏み込んできたな……。

 そもそも俺が百々瀬のASMRで

 瞬時に寝る理由すらも分からんから、

 逆に寝なかった理由も分からん」


「じゃあ夜にクー姉ちゃんのASMRを聞いても、

 寝心地よくなくなったとか?」


「百々瀬は、俺が毎晩クーちゃんのASMR聞いて

 寝てることまで話してるのか……」


ナルは間の悪るそうな表情を見せてつぶやいた。


だがコーとしては姉のために

なんとかして聞き出したいところ。

コーはナルをじっと見つめて返事を待つ。


「正直に言うと、

 先日初めてクーちゃんのASMRを動画の終わりまで聞いた。

 今までは遅くても動画の半分くらいで寝てたんだけどな」


こちらも困っているといいたげな声でナルは答えた。

話の引き出し方を変えよう。

コーは相談に乗るような気を使った声で聞く。


「それはなんでか分かります?」

「心当たりはあるんだが……」


するとさっきとは違った

気まずさを感じているような声で、

ナルは言葉を濁した。


その目線は宇宙を漂うようだ。

コーはその理由に思うところがある。


(まるで姉に異性の話題を隠そうとする

 SC同盟みたいな顔だ。

 もっと安直に言うなら、

 浮気とかやましいことがありそうな顔って感じする。

 これは聞いても答えが出てこないかも)


「具体的には分からないんですね」

「あ、ああ、そういうことだ」


コーが捕まる場所を出してくれたので、

ナルは掴むように答えた。

そしてまたナルは時計を気にする。


「そろそろ失礼するぞ」

「はい、今日はありがとうございました」


学校の授業のように椅子から立ち上がって、

コーはペコリと礼をした。

ナルは眉をひそめて苦笑いを見せる。


「なんか、勉強がうまくできたというより、

 百々瀬の話ができて嬉しいって顔だな」


「違うとは言いませんよ」

コーは気持ちを隠しきれず、

照れくさそうに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る