3-6 お願いしちゃった

家に帰るなり、

わたしはブツブツと今日のひとり反省会だ。


風鈴を棚にしまってから、

リビングのテーブルで動画配信サイトの

マイページとにらめっこをする。


ナルくんのコメントを読み直した。

もしかしたらナルくんが

わたしのASMRで寝なくなった理由が

ここにあるかもしれない。


わたしのASMRにつけてくれた

長いレシートコメントを見つめる。


――自分はこの動画で初めてASMRを耳に入れました。

物を知らない青二才青三才どころか

赤ちゃんのような自分ですが、

あなたの世界に満ちる優しさを表現したような声や

異世界につれて行かれたように感じる音が、

とてもすばらしいものだということは分かりました。


――それは自分が心を手もみ洗濯されたように癒やされ、

競争社会に乱れていた睡眠の質や生活リズムを

整えることができたからです。


――受験が終わってからも

べっとりと疲れが抜けずにいたとき、

この動画にであったことを、

自分は運命の女神すら用意できなかった

運命とすら思っています。


――それからASMRというものに興味を持って、

どんな動画があるか調べました。


――ですが他の動画を見ようとしても、

まるで因果を操作されているように手が止まってしまいます。


――どうしてか、考えたとき、

あなたの声や音以外では自分を癒やして、

眠らせることができるものではない気がしたからです。

アカシックレコードに刻まれているのか、

量子力学のような最先端の科学的知見でも分からないと思います。


――なぜなら自分がこの動画を聞いて目をつぶると、

朝になっているからです。

自分はあなたの声で魔法にかかったかのように寝てしまったのです。

すぐに寝てしまいその間の記憶はまったくないのに、

とても心地がよく、快眠したという感覚はあります。

これでは説明も難しいのも納得いただけるでしょう。


――イギリスの大魔術師、世界樹で知恵を得た大神、

東方の三賢者ですらも超えることができない

すごいことだと自分は強く思います。


――これほどのことがあったら、

唯一神に逆らうように失礼ではありつつも、

何が起こったのか疑います。

知的好奇心と言ったほうがいいのか、

どちらにしても奇跡の御業を前にしても

それを認めない冒とく的な考えかもしれません。


――なので昨日も同じようにして

眠れるか確かめたのです。

まるで一昨日まで信じていたのは

天動説であったと思ってしまうほど、

眠ることができました。


――あなたの声が夢の中、

深層心理から癒やしされるように感じ、

あなたの作る音は発症前のがん細胞すらも

眠らせてしまうように思えています。


――眠りはひとの三大欲求のひとつとされますが、

ここまで眠りの時間を楽しみにしていることはありません。

人間であるがゆえに、

あなたのASMRのすばらしさを理解しますが、

人間であるがゆえに、

社会的な行動が義務とされているため、

あなたのASMRを一生聴いて寝ることが許されていません。

パラドックスとも思えますが、

世界のバランスをとっていると自分は感じました。

それほどのことがなければあなたのASMRと

世界秩序のバランスがとれないのです。


――これから毎日あなたのASMRで

自分の心と体を浄化し、

輪廻転生を終えたように

目を覚まして生活します。


何度も読んだけどわたしは

このコメントを読むたびに元気をもらえた。

もちろん書いてあることは難しくてわからないことも多い。


ケーちゃん師匠はオタクっぽい文章だといい、

コーくんは、

「また怪文書読んでる。

 知識はあるのに使い方が変なんだよなぁ」

と言った。


わたしは渋々声のした左後ろを向く。

「怪文書でも、わたしのASMRのこと褒めてくれた言葉だよ」


「それにしちゃ今のクー姉ちゃんは、

 なんか元気なさそうだ」


「さっすがコーくん、

 わたしのこと分かってるね」


コーくんに言われると、

わたしの表情筋がむにゅりと緩むのを感じる。


「姉弟だから当然っていうか、

 昨日までは調子に乗ってたのに、

 今日しょんぼりしてたら

 誰だってなんかあるって思うだろ。


 キー母さんもカー父さんも気にしてたぞ。

 それで話をいろいろ聞いてたおれが

 相談に乗れっていうから来ただけだ」


コーくんはサササッと早口で言いながら、

わたしの向かいに座った。

なんだかがっつり話を聞いてくれそうな様子のコーくんに、

わたしは目線を落として話を始める。


「ナルくんがわたしのASMRで寝てくれなかったの。

 それにびっくりして、

 ショックを受けただと大げさかもしれないけど……」


わたしはコーくんに学校であったことを説明した。


コーくんは口を挟むことなく

わたしが話し終わるまで聞くことに集中してくれる。


「クー姉ちゃんは、

 なんでナル先輩がクー姉ちゃんのASMRで寝るのか、

 分かる?


 そもそもASMRって、

 体とか脳のどこかに作用してるとか解明されてるのか?」


「ASMRの効果に科学的根拠はないよ。

 ASMRはリラックスするだけ」


「マジか……科学的根拠もないのに

 ASMRってあんなに人気あるのか」


コーくんは口をぽっかり開けてつぶやいた。

わたしはコーくんの驚いた顔を見て、

少しふふっとして自分の考えを説明する。


「世の中、ストレス社会なんて言われてるから、

 体に毒じゃないお手軽な癒やし、

 睡眠導入として流行ったのかも。

 動画配信サイトとかにもいっぱいあるし」


「なるほどなぁ……。

 じゃあ、ナル先輩にASMRが効かなくなったのは

『癒やされなくなった』とか考えられないか?

 例えば、慣れちゃったとか、飽きちゃったとか」


「どれだけ……好き、

 でもそういうことあるよね」


わたしはなぜか胸がぎゅっとなるのを感じつつも、

コーくんの言うことにうなずいた。

コーくんは少し以外そうに目を丸める。


「クー姉ちゃんのことだから反発すると思ったけど、

 意外とあっさり認めたな。

 心当たりがあるとか?」


「ううん、わたしには理由が思い当たらないから、

 急にナルくんが変わっちゃったように見えるのかも。

 こういうのは聞いても答えてくれないよね?」


「まあなぁ」


コーくんは腕を組んで首をくいっとひねった。

男の子は単純、なんて言われることあるけど、

全然そんなことないよね。


わたしはしょんぼりと肩を落とす。

するとしばらく沈黙が流れて、


「……しゃーない、おれが調べる」


「コーくんが?

 調べるってコーくんとナルくんって、

 知り合いってわけじゃないよね?

 探偵みたいなことするの?」


わたしはぱっと顔を上げてコーくんを見つめた。

コーくんはきりっとしてうなずく。


「そこはおれのコネでどうにかする。

 だけどその『どうにか』は秘密だ」


本当に探偵みたいな口ぶりでコーくんは言い出した。


コーくんは来年、

わたしと同じ高校に入るらしい。


そんな厨二病に近いお年頃だから、

わたしにいいところを見せたくて

カッコつけてるのかもと考えもした。


でも考えてみたらコーくんが

わたしに『頼って』なんて言うのは

初めてかもしれない。


いつもはわたしに知られないように

(わたしにバレてるけど)

陰ながら行動する。だから、


「じゃあ、お願いしていい?」

わたしは上目遣いで頼んだ。

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