3-5 うまくいかなくなっちゃった

昨晩、わたしは家にあった風鈴を音が出たり、

割れたりしないようていねいに包んだ。

今日それを持って学校に向かう。


「おはよう」


先に教室にいたナルくんは、

先手必勝と言わんばかりん挨拶をしてくれた。

わたしはなぜかぴくっとして挨拶とお詫びを返す。


「お、おはよう。

 昨日はその、ごめんね。

 やりすぎたかも。


 それとちゃんと周りにフォロー入れたから、

 安心して」


「まあ、誰が見ても

 百々瀬に原因があるって分かったらしい。

 誰からもなんも言われてない。


 とはいえ、今日は変なの持ってきてないよな?」


「変なのってなに?」


「いつもと反応が違う。

 ホントに持ってきてないのか?

 それとも反省してASMRのいたずらはやめたか?」


ナルくんは怪しんでわたしの顔を

じとーっと覗き込んできた。

わたしは思わずさっと

顔を隠すようにバッグを前に出す。


なんでわたし顔を隠したの?

隠すならバッグだよね?

わたしは見せてもいい顔を作ってから、

バッグから顔を出す。


「ちゃーんと持ってきてるよ。

 またお昼にASMRしてあげるよ」


「いや、宣言されたらそれはそれで構えるんだが……。

 まあ、昨晩はど――」


言いかけてナルくんはむっと口をつぐんだ。

わたしはバッグを下げてナルくんの顔を見る。

「ど?」


「――ちゃんと寝れてるから、

もしかしたら百々瀬にASMRされても寝ないかもしれないぞ」


表情筋に力を入れながらナルくんは言った。


でも『ど』から繋がってない。

本当は別の言葉を言いかけたのが分かる。

それよりも気になることを言われた。

わたしはそこを指摘する。


「わたしにASMRされても寝ない?」


「されてみないと分からないけどな。

 今するなよ?

 いつされても困るが」


「お昼食べた後でも寝ない?

 ちゃんと予告してからしてあげるよ?」


「怪盗が予告状出すみたいに聞こえるな。

 まあ、いいぞ」


「やった」


ナルくんからこうして許しが得られたのは初めてで、

わたしは胸が高鳴るのを感じた。

ドキドキで体も熱くなってくる。


昨日はどうしてドキドキしちゃったか分からなかったけど、

今はちゃんと理由が分かるので

驚いたりモジモジしたりしない。


「でも、わたしにASMRされるの許しちゃうなんて、

 なにかあったの?」


「家庭教師のバイトで教えてるヤツの成績がよくなったからって、

 プリペイドカードもらったんだ。それで――」


機嫌よく話してくれそうだったのに、

ナルくんはまた急にぎゅっと口をつぐんだ。

わたしはんん~って顔を近づけて聞く。


「それで?」

「――まあ、なに買おうかって、

 嬉しい悩みがあるだけだ」


今度は前後の言葉がかっちゃり繋がっていた。

なので意味は分かるけど、

な~んか隠してる気がして、

わたしはナルくんの顔を見つめ続ける。


「ちなみにおいくら?」


「千円分だよ。

 音声作品ひとつ買えるくらいだ。

 おすすめとか聞いていいか?」


「えー、クーちゃん以外のASMR聞くの?

 クーちゃんが初めてだったのに?」


わたしはブサイクになりそうなくらい口をとがらせた。

ナルくんがクーちゃん以外のASMRを聞くのが想像できず、

なんか胃がムカムカする。


「誤解を招くようなこと言うな」


「この言い回しってラブコメで使われまくってたし、

 誤解を招けるかな?」


「みんながみんな、

 ラブコメマンガとかラノベとか

 読んでるわけじゃねーだろ」


「大丈夫、勘違いされてもまたわたしがフォローするよ。

 だから今日のお昼も安心して癒やされて、

 寝ちゃっていいからね」


「むぅ……そう言われると期待するのが悔しいな」


ナルくんは顔を赤くしてひょいっとそっぽを向いた。



今日ほどお昼休みが待ち遠しかった日は

ないかもしれない。


わたしは昼食をスピーディに済ませて、

ナルくんが学食から戻ってくるのをそわそわ待っていた。

家から持ってきた風鈴はすでに開封済みで、

どんな風に聞かせようか今から考える。


「戻ったぞ」


ナルくんは少し緊張した声で言いながら、

席についた。


わたしは左手に風鈴を持って席を立ち、

トテトテとナルくんの後ろに行く。


「おかえり。さっそく始めよっか」

「風鈴か、変な道具じゃなくてよかった」


ナルくんはわたしの手に持っているものを見てほっとした。

今日は素直にASMRを聞いてくれそうだね。

そんなナルくんを見てわたしもやる気がもりっと湧いてくる。


「それじゃ、いつもの寝る体制になってね」


「いつもの寝る体制って、

 どんなか分からん。

 いつの間にか寝かされてるから、

 意識なんてしたことないし」


首を斜め左後ろに向けてナルくんは言った。ダミーヘッドマイクは振り向いてくれないから新鮮な感じ。気分がよくなってきたわたしはナルくんの左耳に口を近づけて、優しくささやく。


「それならクーちゃんの言う通りにしよっか。

 まず正面を向いて、椅子に深く座ろっ。

 そしたら肩のちからを抜いて、

 手は軽く握って膝の上に載せてね」


わたしは自分の知識にある

楽な姿勢をナルくんに伝えた。

ナルくんは素直にわたしの言ったとおりにしてくれる。


「うん……いいこいいこ。

 まだ緊張してる感じするけど、

 これからクーちゃんがASMRでほぐしてあげる」


「お、おう」

「お返事しなくていいよ。

 ホントにお布団でASMR聞いてる感じでね……」


そうは言ったけど、

わたしはちょっと違和感に気がついた。


囁いてナルくんが寝ない。


普通のひとは囁いただけで寝ないから、

当然……なんだけど、

昨日までのナルくんを考えたら変だ。


まあでも、今は緊張してるからとか、

食後でもウトウトしてないからとか、

つまりは寝る状態に入ってないからでしょ。

続けてればいつも通りぐっすりしてくれるはず。


「背中はまっすぐせずに……

 気持ち前に緩めていいよ。


 ひとの背中は元々ちょっと曲がってるからね。

 肩のちからも抜いて……

 姿勢が悪かったらクーちゃんが正してあげる」


姿勢チェック。

うん、おっけー。

わたしはナルくんの右耳にそ~っと口を近づける。


「始めるよ……ちりんちりん」


ナルくんの左耳に風鈴を近づけて軽く揺らした。

ナルくんの背中が少しぴくっとする。


「普通はこんなに近くで……

 ちりりん、って聞かないもんね。

 ASMRならではの聞こえ方を楽しんで」


わたしは風鈴が大きく揺れないように、

教室の様子に気を配りつつ揺らした。


りりん……ちりん……。

自分の声も大きな声にならないようにお腹を意識しながら、

ナルくんに囁く。


「うん……ナルくん息も落ち着いてるね」


囁きつつもナルくんに意識を向けると、

静かな息遣いが聞こえてくる。


「風鈴を出すにはちょっと時期が早いけど、

暑すぎてお昼寝できない夏本番より、

この方が夏を堪能できるかも」


だんだんと楽しくなってきたわたしは、

ナルくんの耳にほんのり息がかかるように笑った。


りんりん……りりん……。

ナルくんも同意してくれてるのか、

こっくりとうなずく。


でもこのうなずき方は起きてる。

いつもなら『船を漕ぐ』って言いたくなるような動きだもん。

リラックスしてないわけじゃないと思うけど、なんだろう。


片側ばっかりでバランス悪いのかな。

わたしは風鈴を右手に持ち替えて、

ナルくんの左耳にそっと息を吹きかける。


「ふ~っ……右耳さんにも風鈴の音色、

 楽しんでもらわないとね。

 もちろん左耳さんは、

 クーちゃんの声で癒やされてね」


左右入れ替えのついでに、

ちょっとあざとさをアップして囁いてみた。


でもわたしがお耳ふ~をしても

なんかナルくんの反応が薄い気がする。


他にどうしたらいいかな?

あれ、わたしってどういうASMRをしてたっけ?

思考に気を取られてると風鈴がちょっと大きめに揺れる。


「あっ、ごめんね。

 わたしが揺らすより、

 自然に揺れる音のほうが心地良いかな」


わたしはナルくんに謝って風鈴の短冊をつかんだ。

空気の入れ替えで窓が開いてるし、

廊下からも空気は流れてくるし、

ひとの動きで風はある。


風鈴は自然な揺れに任せて、

ナルくんへの囁きに意識を向けたほうがいいかもと思って、

風鈴の短冊を離す。


「ちりんちりん、

 風鈴のオノマトペってちょっと難しいね。


 人気のオノマトペって、

 タチツテトとかパピプペポなんだけど、

 そういう音じゃないもん。


 りりりん……ちりん……ちゃりんだと

 自転車やお金の音になっちゃうかな」


終わったときには忘れても

いい話をしようと思ったけど、

わたしの考えを話してみるみたいになっちゃった。

でも忘れていい話って意味ではあってるのかな?


キーンコーンカーンコーン。


昼休みがもうすぐ終わる音が聞こえた。

風鈴よりも大きくて、

年季も入ってて、

スピーカー越しなので音質も悪い。

そんな音でナルくんは目を覚ます。


「終わりか……。いい音だったぞ」

「あ、うん、ありがと」


ちゃんと褒められたのに、

わたしはきょとんとした声でしか返事できなかった。

わたしは呆然と小さく揺れる風鈴を見つめる。


ナルくんがわたしのASMRで寝なかった。

いつもなら囁いた瞬間にはイチコロで、

起こす方法が分からなくなるくらい熟睡する。


なのにナルくんは、ウトウトした感じもなかった。

お目々パッチリでわたしを見る。


「ほら、いつでも百々瀬のASMRで寝ちゃうとは限らないんだぜ」


「そ、そうだね……。

 でもなんでだろ?」


「最近また寝れるようになったからな。

 夜ちゃんと寝れてるなら、

 昼間寝かされたりしないだろう?」


「夜寝られるのって、

 クーちゃんのASMRのおかげ?」


わたしは恐る恐る聞いてみた。

いつもなら気軽に、

ナルくんをからかうように聞けるのに、

自信なさげな声になってしまう。


「家庭教師のバイトも一段落したし、

 新しく募集を待ってるからその間は体力に余裕ができたし、

 まあASMRのおかげで寝られるのはたしかだな」


ナルくんはわたしの質問に答えづらそうな顔をした。

なにか隠してる?


でも夜寝られるのって健康的だし、

やましいことじゃない。

それに『ASMRのおかげ』ってナルくん言ったけど

『クーちゃんのASMR』とは言ってないのも気になる。


「そっか」

わたしは言い返しが思いつかず、

風鈴よりも小さくて短い返事をした。

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