3-2 驚かせちゃった

学校帰りにわたしは

ケーちゃん師匠の家にそのまま向かった。


途中コンビニに寄って買ったものを

ケーちゃん師匠にささっと捧げる。


「はい、今日の相談料のコーヒーと

 頼まれた歯ブラシです。

 お高いものじゃないし、

 相談料だと思ってください」


「どうも。スタジオ行く収録以外で

 家から出るのが面倒なのよね」


ケーちゃん師匠は自虐するオタクキャラみたいな、

気の抜けた笑いをした。

普段見せない雰囲気に私も笑みが溢れる。


わたしはリビングにある木でできた椅子に腰掛けて、

同じく木でできたテーブルにペットボトルのコーヒーを置いた。


ケーちゃん師匠は歯ブラシを流しに置いてから、椅子に座る。


「それじゃ、早速本題を聞かせて」

「うん、今日ね――」


「――ナル少年がクーちゃんのASMRで寝なかった理由、

 まずはびっくりさせちゃったことでしょうね。

 急に耳元にハサミがあるとさすがに誰でもびっくりするわ」


わたしの話を聞いたケーちゃん師匠は、

フラットな口ぶりでそう答えた。

それを聞いてわたしは肩を落とす。


「わたし、そんな当たり前のことが分からなかったんだ……」


「まあ自分の作った作品を褒めてもらって、

 舞い上がらないひとのほうが珍しい。

 明日謝っておくことだね」


「うん、そうする。

 もしASMRしてあげるとして、

 どうしたらよかったかな」


コーヒーに口をつけてから、

わたしはため息を絡めてぼやいた。


ケーちゃん師匠も同じように

コーヒー飲んでから答えてくれる。


「ASMRのテクニックとして

『これからすることを言ってあげる』

って教えてあげたのを覚えてる?」


「あっ、先に教えてあげればよかったんだ。

 囁いてあげればナルくんも気持ちいいし、

 驚いたりしないかも」


「そういうこと。

 ASMRは楽しいけど、

 聞いているひとが癒やされることを考えないと。


 イヤホンからの返しがなくて、

 相手にはどういう音が聞こえてるか分からない

 リアルならなおさらでしょう」


ケーちゃん師匠はちょいちょい耳に

指を当てながら教えてくれた。


わたしもちょいちょい耳に指を当てて、

ケーちゃん師匠の言葉を頭に入れる。


「他にはナル少年の好みと合わなかった、

 っていうのもあるんじゃないかしら」


「そうなのかな?

 ナルくんはわたしのASMR全部に

『よかった』ってコメントしてくれてるけど」


「自信家なのね。

『クーちゃんはナルくんの好きなことなんでも知ってるよ』

 みたいな?」


ニヤニヤと笑いながら

ケーちゃん師匠はわたしをからかってきた。


まるでわたしが無自覚に

ノロケたのをからかってるようだ。


そう感じてわたしはぽっと

急に体が熱くなっていくのを感じる。


「そ、そんなことないよ。

 ナルくんはわたしのASMRを聞いてくれてるリスナーで、

 わたしのASMRを聞くと

 なぜかすぐに寝ちゃう体質がおもしろくって、

 遊んじゃったりいじっちゃったりするだけ……」


「そうなのね」


ケーちゃん師匠は微笑ましいものを見ている笑顔になった。


またわたしのこと羨ましがってるのかな?

でもそんな顔でもない。

バカにしているとも違う。


なにか思っていることがあるけど

黙ってたほうがおもしろそうだから黙ってる顔だ。


これじゃ笑っている理由を聞いても答えてくれないかも。

わたしは本心を話しただけなんだけどなぁ。


とりあえずナルくんのことを考えようと、

思ったことをぼやく。


「今回のことでナルくんは

 クーちゃんのASMRならなんでも寝れるわけじゃない、

 ってことが分かったよね。

 だったらどんなのが効くのかもっと試したいかも」


「そうね。ASMRっていろいろあるもの。

 前に私が収録した『看取りASMR』は

 ちょっとびっくりしちゃったわ」


「あー、今日ナルくんが言ってた。

 あのときはスルーしちゃったけど、

 ちょっとすごいね。

 これも性癖って言っていいのかな?」


「ナル少年はそんなの聞いてるの……?」


ケーちゃん師匠は口をあんぐり開けて首を引いた。

わたしは慌てて首と手をブンブンする。


「違う違うよ。

 紹介記事見ただけで聞いてはないって言ってたから、

 ナルくんは特殊体質だけど特殊性癖じゃないよ」


「よかったぁ。

 ナル少年には早すぎるもの……」


「ちなみに、その

『看取りASMR』を考えたひとって、

 どんなひとか聞いていい?」


「普通のひとよ。

 お酒もタバコもしない

 健康的な二十代くらいの男のひと。


 何度か恋愛モノの音声作品を撮ってきたけど、

 急に違ったのが出てきてびっくりしちゃったくらい。

 理由を聞いたら『いつか撮ってみたかった』って」


「二十代でも早いような……。

 健康ならなおさら」


今度はわたしが引いちゃった。

失礼ながらお口あんぐりだ。

ケーちゃん師匠はフォローするように優しく言う。


「ま、体質も性癖も人それぞれ。

 それに特殊性癖だったのが

 一般化したのもあるのよ。

 歯磨きASMRとか」


「歯磨き……うん、あった。

 散髪、シャワー、耳かき、

 やっぱりお世話してもらう系は人気になるんだね。

 またいろいろやってみる。

 ケーちゃん師匠ありがとうございます」


「師匠はよして」


わたしがお礼を言うと、

ケーちゃん師匠はお決まりの返しをした。


ペットボトルのコーヒーに蓋をして、

ケーちゃん師匠のお家を出る。


そしてわたしは帰りにまたコンビニで歯ブラシを買った。

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