2-7 やりすぎちゃった?

その日の夜、

わたしは収録のためケーちゃん師匠の家に来ていた。


準備のために防音室に小さな机を置きながら、

わたしが学校であったことを話す。


「私はそうは思わないわね」


ケーちゃん師匠はきっぱり言った。

わたしはパアっと気分が明るくなって

ケーちゃん師匠にうなずく。


「まず、ナル少年はクーちゃんのASMRで寝ちゃった。

 この地点でクーちゃんのASMRの成果が出ているでしょ?」


「うん、それはもうぐっすり寝てたよ。

 それに今もわたしの配信も聞いて寝てるって。

 じゃあなんでやりすぎなんて言われちゃったのかな?」


「それはクーちゃんが、

 私に言われたことをしっかり実践しているから。

 クーちゃんはASMRを撮るようになったころにしてた、

 私のアドバイスを覚えてる?」


「もっとオーバーに、

 おおげさに、あざとく、わざと音を立てて」


「ちゃんと覚えててえらいぞー。

 おいで、頭を撫でてやろう」


急にケーちゃん師匠は優しい声でわたしに言った。

なんでだろうと思いつつも、

貰えるご褒美はもらっておこうと思い、

わたしはケーちゃんに寄る。


「いいこいいこ。ワシャワシャ」

「なんかくすぐったい」


「だろう?

 ASMRでしていることを実際にそのままやってみると、

 オーバーになっちゃうの。


 ナル少年がやりすぎと感じたのは、

 これが理由だろうと思うわ」


「じゃあ、ナルくんにするときは

 ちょっと抑えたほうがいいかな」


「そのままでいい。

 むしろこの感じで今日の収録に挑むと良いわ」


「いいのかな?

 ナルくん『寝れなかった』って

 感想書いたりしないかな」


「収録ならなおのこと『やりすぎ』くらいでいい。

 音の大きさは調整できるし、音が足りない、

 感情が足りないで、リアリティに欠けるほうが

 おもしろくないと私は思っているの」


「リアリティ、

 ケーちゃん師匠のこだわってるヤツだね」


防音室に布団を置いていたり、

わたしが収録中に『ちゅ』っていう音

――リップノイズというらしい

――を出してもNG出さなかったり、

ケーちゃん師匠がわたしとナルくんの話を聞きたがるのも

これが理由だと言っていた。


ケーちゃん師匠は、

わたしが話を覚えていたのが嬉しかったのか、

にやりとして話を続ける。


「そうそう。

 アニメの現場なら布の擦れる音がする服はよくないけど、

 ASMRであれば歓迎される。

 そんなリアルな音がほしくて、

 今日はクーちゃんに制服のまま来て、

 宿題まで持ってきてもらってるの」


「でもリアルな音と大げさな演技って矛盾しないの?」


「する。

 そこで『リアリティ』と便利な言葉で考えれば、

 その矛盾はいい塩梅で調整されるわね。


 そもそもこういうコンテンツを楽しむひとは

『リアル』が嫌いなんだから、

 リアルなんて求めてない。

 でも『リアルっぽい』を求めるわがままな感覚がある。

 だから『リアルから出たもの』を使っていけばいい」


「なるほど、

 ケーちゃん師匠がリアリティを求める理由が分かったよ」


「うんうん、それじゃ今日の収録……

 っていうか宿題をがんばって」


なんてケーちゃん師匠は言い直したのは、

今日の収録はナルくんのリクエスト

『勉強用ASMR』を作るからだった。


わたしは小さなテーブルの前に座って

ガサゴソと勉強道具を出そうとした。


するとケーちゃん師匠がピッとわたしに声をかける。


「クーちゃん、

 説明をしながら道具を出したほうがいいと思うから、

 一度しまって」


「はあい」


「あと音入れ前は防音室の隅にいて、

 彼が勉強しているのを見つけて

『わたしもやろっと』って感じでスタートがいい。


 それで隣に座ってから

 ポモドーロテクニックの説明って流れで。


 説明はカンペはなし、

 トチってもそのまま通すわ。

 その方が話ししてる感じするし、

 クーちゃんならできるでしょう」


そう言われて、

わたしは一度テーブルからどいてすっと部屋の隅へ行った。


ケーちゃん師匠はテーブルの前に、

美少女フィギュアを扱うような手付きで、

ダミーヘッドマイクを置く。


こんな感じでいつもケーちゃん師匠はこだわっていた。わたしはケーちゃん師匠を見つめながら、防音室の柔らかい壁にぴたっと背中をつける。


「まさにプロって感じの指示出しだ」


「逆よ。クーちゃんが

 プロじゃないからこだわれるの。

 そうだクーちゃん、

 もしナル少年といっしょに隣り合って座ったら

 どのくらいの位置に耳があるか分かる?」


「えっと、わたしが後ろから囁いたとき、

 耳はこのくらい……かな」


「うん、具体的な位置が分かるなんて、

 本当に青春なやりとりしてるのね」


「わたしのこと羨ましいの?」


「まあねぇ。高校生活は三年しかなくて、

 もう一度やりたくてもできないから。

 そのくせ声優って高校生を演じる仕事が多いのよ。

 高校生の役だけなら三年以上演じたんじゃないかしら」


ケーちゃん師匠は楽しそうに笑った。


文字にするとただの文句とかイヤミに読めるけど、

とっても楽しんでる。

だからケーちゃん師匠は、

声優さんっていう大変なお仕事を続けてるんだと

わたしは思った。


ダミーヘッドマイクのセッティングを終えたケーちゃん師匠は、

楽しみにしていた映画を見るときのようなテンションで言う。


「だからね、リアリティじゃなくて、

 リアルをするクーちゃんを応援したいの。

 今回みたいに手を貸してほしいこと、

 やりたいことがあったら、言ってね」


「ケーちゃん師匠、ありがと」

「師匠はよしなさい」

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