2-6 お水かかっちゃった
朝わたしが登校するなり、
ナルくんがじっとこっちを見ていた。
自意識過剰ってわけじゃなくて
本当にその通りなので、
わたしは余裕のある声をかける。
「ナルくんどうしたの?
もしかして昨日寝れなかった?」
「いいや、いつもどおり、
おかげさまでぐっすりだぜ」
「よかったー。
じゃあなんでわたしのこと気にしてるの?」
「いいや、気にしてない、
俺が見てたのは水筒だ」
言いながらナルくんはきょろっと目線を動かした。
わたしもスーっとナルくんの目線を追う。
そこにあるのは肩掛けベルトのついたわたしの水筒だ。
去年はベルトをつけないで持ち歩いてたけど、
今日は作戦のために、
わざわざ見えるように肩掛けして持っている。
「なんで気にしてるの?
入ってるのはミネラルウォーターだよ?」
「だからこそだよ。
また学校で俺にASMRするつもりだろ?
俺のリクエストに『水の音』があるんだから、
それのためにわざわざ用意したのは分かってるぞ」
「これは普通に飲むために持って来たんだよ」
わたしは横目でニヨニヨとした笑みを見せながら、
水筒を開けて口をつけた。
わざとらしくおいしそうに飲んで見せる。
実際おいしい。
「ぷはぁ。ほらね。
もし飲んじゃったらASMRに使えなくなっちゃうでしょ?」
「なんか納得できねぇ……」
「あー、分かった。
クーちゃんがお水飲む音聞きたい?
それならちゃーんとそう言ってくれてもいいのにー」
「違う違う。
スキあらば俺を寝かせようとするな」
「Vtuberの配信じゃ
『スキを見せた俺等が悪い』
ってなるんだけど?」
「クーちゃんはVじゃないだろ」
「えへへ、クーちゃんって呼んでくれて嬉しいなぁ。
これからそう呼んでよ」
「いや、ここにいるのは百々瀬で、
配信で聞いてるのがクーちゃんだから……」
「どっちもわたし。
役を演じたり、バーチャル受肉したり、
プリテンダーになってるわけじゃないよ」
「分かってるけど、
推しが急に眼の前現れるっていうのは、
良いことでも受け入れるのは時間がかかるっていうか、
なんというか」
ナルくんは顔をむすーとしかめて、
迷っているように言った。
わたしはナルくんの顔をじーとっと覗き込み、
気持ちを察して考えてみる。
「んーっと、
親戚にアニメとかに出てる声優さんがいて
驚いているみたいな?」
「それとは違う……いや、
百々瀬の親戚にいるのか?!
何に出てるひとだ!?」
「いるけど、詳しくはないしょ。
おいそれと話せないよ」
「まあ、そっか……。
だけど、水筒の用途は話してもらう」
ナルくんは残念そうな顔をして、
首を振って、わたしにキッとした顔を向けた。
ケーちゃん師匠の話題は、
ナルくんをいじるのに使えるかも。
そう思ってわたしはニタァっとする。
「これは本当に自分で飲むつもりで
持ってきたんだってー。
信じてよー」
「そんな顔で信じられるか。
もし水筒の水を飲み終えても、
水道水を汲めばASMRに使えないこともないだろう?
覆水盆に返えらないが、
その程度ならまた汲めるぞ」
「そだねー。
ならわたしが水筒を持って教室を出たら、
警戒してもいいんじゃない?」
水筒をふりふり。
ナルくんは腕を組んで納得してなさそうに眉をひそめる。
「むぅ……そうだが」
「わたしのことずっと見てても怒ったりしないから、
納得行くまで見てていいからね」
そうされるつもりで、
今日のいたずらは考えてあるからね。
#
それから五限目まで、
ナルくんは本当にわたしと水筒をチラチラ見ていた。
特に昼休みは教室から出て
わたしに寝かされないように必死でおもしろかった。
わたしは『わたしの水筒』を飲み干してから
わざとらしくつぶやく。
「もうないや」
すると隣からナルくんのじっとした視線。
うん、これはリラックスさせてあげないと。
わたしは水筒の蓋を開けっ放しにして席を立つ。
一度廊下に出てから
こっそりナルくんの様子を確認した。
わたしが水筒を置いて行ったのを確認して、
次の授業の教科書やノートを出している。
ちゃーんす。
わたしはナルくんの目線が離れている
――うちにすぐに自分の席に近づいた。
コッチョリ自分の水筒を取る。
同時にバッグから『コーくん』の水筒もさっと出す。
それから遠回りしてナルくんの背後へ。
コーくんの水筒を開けて、
ゆっくりと近寄った。
机の中に手を入れた拍子に、
ナルくんの視線がわたしの席へ。
水筒がないのに気がついて
『あれ?』と首を右に傾げた。
もう遅いよ。
「は~い、水の音ですよ~。じょぼぼぼぼ……」
コーくんの水筒から
わたしの水筒に水が流れる音を、
傾いてスキだらけの左耳から聞かせた。
ナルくんは背中をゾクゾクっとさせて、
「な……いや、確かに水筒ひとつじゃASMRできな――くぅ」
と首を右に傾けたまま寝てしまった。
ノートが机から中途半端に表紙を見せて止まっている。
ナルくんもスキだらけだし、
時間を止める魔法みたいだねぇ。
「この音は水筒ひとつだけじゃ出せないから、
そこに気が付かなかったナルくんが悪いんだよ。
まさに『スキを見せた俺が悪い』ってやつ」
わたしは右耳にささやきながら、
左耳に水の流れる音を聞かせた。
ぽぽぽ……じょろろろろ……。
ちょっと教室が騒がしくても水の音はよく響く。
「気持ちのいい音を出すには、
ステンレス製の水筒が一番よかったんだ。
グラスとかを持ち込んだら、
割っちゃうかもしれないし、
ナルくんのスキを作るのも難しかったかも」
作戦が成功したので、
わたしはナルくんに
心置きなく思っていたことを語って聞かせた。
あまりに気分がいい。
配信だとワインのアイコンがいっぱい流れている展開だ。
なんでワインなのか理由は分からないけどね。
ナルくんは気分のいいわたしの話に文字通り耳を傾けている。
「こだわれば、もっといい音出せるかも。
ナルくんにこうかばつぐんなら、
ケーちゃん師匠とも相談して、
配信でもやってみようかな」
水の音とお話を聞かせていると、
トゲトゲの髪がわたしの手に触れてた。
わたしはくすぐったさで手元が揺れる。
「あっ、耳に水がかかっちゃった」
ダミーヘッドマイクで同じことが起こったら
顔面蒼白モノのできごと。
でもわたしの胸は、
濡れても壊れないナルくんの耳を見てドキッとした。
いけないことを思ってしまう。
これ舐め取ってあげたら喜ぶかな?
わたしが耳舐めをしてみたいだけ。
水がかかっちゃったことはただのいいわけ。
始めてナルくんに生ASMRをしたときも
同じことを思ったけど、
あれは調子に乗ったから思っただけ。
今は楽しくてもそこまでのテンションじゃないはず。
なのにわたしは、
濡れたナルくんの耳を見てどうしようか迷っていた。
だめだめ。お昼休みの教室で
そんなえっちなことしちゃ。
配信サイトでBANされちゃうかどうか際どいところを、
お昼に攻めちゃだめ。
ナルくんを寝かせたまま、
わたしは目を覚ますよう首を横にぷるぷるした。
水筒をナルくんの机において、
わたしはポケットからハンカチを取り出す。
「ふきふき……。ごめんね。
これできれいきれいしようね」
あ、これはこれで楽しいかも……。
濡れタオルでお耳ふきふきも、
ASMRとしてはメジャーなシチュエーションだったし、
似たようなものだからね。
だから水滴は拭き取れてるのにわたしは、
ナルくんの耳ふきふきがやめられない。
ばさっ。
物音がしてわたしはハッっと下を向いた。
ナルくんが出しかけていたノートが落ちている。
このあとも授業はあって、
今は一〇分間の休憩時間しかないんだ。
ナルくんもそれを思い出したみたいで、
傾けていた首をゆっくりと戻す。
「うんあ? クーちゃん、俺の水は?」
「あ、うん、どうぞ」
ナルくんは寝ぼけて言ったんだろうと思う。
だけどわたしは思わず
『クーちゃんの』水筒を差し出してしまった。
ナルくんはそのまま受け取って口をつける。
「「……………………………………………………………………………………あ」」
配信のコメントなら
天狗の面が流れてくるような遅さで、
わたしたちは声を上げた。
これは関節キッスだ。
わたしもナルくんもそれに気がついたからか、
固まった。
止まっているのは時間じゃなくて、
わたしたちの思考。
どうしよっか。
無音でさらに画面が動いてない時間が続くと、
動画サイトから『無意味な動画』
って判定されて収益化が剥がされちゃう。
まあわたしのチャンネルは
収益化条件そもそも満たしてないけど。
「取り込み中ごめんね。
風井くん、ノート落ちてたよ」
止まった時間の世界に割り込むように、
フウリの声が聞こえてきた。
おかげでわたしとナルくんは
チャンネル凍結から開放される。
「ありがと、フウリ」
「あ、うん、あれ?
なんでクーちゃんがお礼を言うの?」
「いいのいいの気にしない気にしない。
ナルくんも気にしないでいいからね」
フウリにお礼を言った勢いのまま、
わたしはナルくんにもそう伝えた。
ナルくんは水筒を差し出してくれる。
「いや、気にするだろ」
「えっ!?」
「俺にASMRするために、
わざわざ水筒ふたつも用意したのか?」
「ああ、そういう……」
スキだらけのホッとした声をだしちゃった。
ナルくんは間接キスが嫌だったとかじゃないみたい。
よかった。
「今は水筒がふたつある理由のほうが聞きたい」
わたしは水筒を受け取って、
別のことを気にする前にさっさと蓋をした。
コーくんの水筒にも蓋をして
ドヤ顔ダブル水筒をナルくんに見せる。
「片方はコーくんのものだよ」
「こっ、コーくん!?」
知らない男子の名前が出たからかナルくんは、
信じられないと思っていそうな声を上げた。
ナルくんがどんな勘違いをしているのか
分かっちゃったわたしは、
クスクスと笑って水筒を振る。
もちろん教えてあげない。
「えっと、コーくんっていうのは、
クーちゃんの弟くんのことで……
多分風井くんの思っているようなひとじゃないよ」
フウリはいじわるな
わたしに代わって説明してくれた。
お優しいクラスメイトだねぇ。
ナルくんはそれを聞いて大きく息を吐く。
「そ、そうか……。
よかった、いや、いい悪いじゃないくて、
なんで俺にそこまでするんだ?」
「昨日話した通り、
ナルくんがリクエストしてくれたからだよ」
「リクエストはしたんだけどさ、こう……」
「もしかして風井くんは、
いろいろしてくれたことに驚いちゃってるのかな?
あ、ごめんね、口挟んじゃって。
私、お邪魔だったかも」
「いや、有間の言うとおりだ……。
確かにすっげー寝れるんだけど、
配信じゃなくて俺個人にするASMRに、
そこまで準備とかしてるのに驚いてる。
なんというかやりすぎな感じか?」
ナルくんは、フウリの言うことを認めつつ、
いい言葉を探しながら考えを口にした。
わたしはナルくんの言うことにピンと来ないので、
ナルくんと揃って首をかしげる。
「ん~、やりすぎじゃないと思うけどなぁ」
とわたしがぼやいたところで、
六限目を知らせるチャイムが鳴った。
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