2-4 川のせせらぎを聞かせちゃった

月曜日、わたしは愛用している

ASMR用ワイヤレスイヤホンを持って登校した。


もちろん学校でASMRを聞くためじゃない。

ナルくんにわたしの収録した音を聞かせるため。


でもナルくんはわたしに

なにかされるのではないかと思っているようで、

チラチラとこちらを見きた。


わたしもナルくんの耳にイヤホンを

突っ込むチャンスを伺っているので、

自然と目が合う。


「なんだよ?」

「なんでもないよ」

 朝はこんなやりとりをした。


「百々瀬、なにか用か?」

「配信にコメントつけてくれてありがと。よく寝れた?」


「おかげさまで。

 だから無理に寝かせようとしなくていいぞ」


一限目のあとはこんな感じ。



「眠たくないぞ。

 く――百々瀬のASMRのおかげで寝てるからな」

「ありがと。でもわたしのこと

『クーちゃん』って呼んでいいんだよぉ?」


「それはちょっと、難しい」


二限目のあとはこうだった。

配信コメントだと『クーちゃん』って呼んでくれるのになぁ。



三限目のあとは体育だったので残念だけど諦めた。

それに寝かせちゃうとナルくんが大変だと思うからね。



そして四限目の終わったお昼休み。


体育とお昼ごはんのあとということもあり、

教室では何人かウトウトしてる子が目立つようになった。

もちろんその中にはナルくんも入っている。


ちゃーんす。


わたしはまずぽちぽちっと、

ワイヤレスイヤホンをスマホに無線接続した。


ぽんぽんぽんぽんぽんっと、

イヤホンをタッチ。

ASMRを聞く設定に切り替えて、

スマホを操作し目的の音を確認する。


うん、いい感じ。

ケーちゃん師匠から借りたマイクすごいいい音とれた。


ちらりと隣のナルくんを見る。

ナルくんはウトウトしててそのままでも寝ちゃいそうだった。

でも寝たくないのか眠気を堪えて、

机の上のスマホのブルーライトを浴びてる。


イヤホンを取ったわたしは、

大きな音を出さないように椅子から立った。


ナルくんはわたしに気がついてない。

直接ナルくんの方へ足を進めるんじゃなくて、

大げさにぐるっと回ってナルくんの後ろから、

そーっと近寄っていく。


抜き足……差足……忍び足……は

大げさだけど、静かな歩き方はした。


……よいよ、ナルくんの耳に手が届く距離まで来た。

わたしはイヤホンを右だけ取って、

ナルくんの右耳に入れる。


「川のせせらぎにございまぁす……」


わたしは旅館の女将のように囁いた。

するとナルくんの首は右にこてんと傾く。


「えへへ、寝ちゃった。

 リクエストした音だけあってこうかばつぐんだね」


声をかけながらわたしはナルくんの様子を眺めた。

今いるのは教室だけど、

ナルくんの寝顔は川沿いの旅館でくつろいでいるような表情だ。


「せせらぎを聞かせてあげるのは考えてたけど、

 その先はノープランだったなぁ」


そう思ってナルくんを眺めながら考えた。

するとナルくんのスマホにぴんと目がとまる。


「作業用BGMに最適、

ポモドーロテクニック。


二十五分の作業時間と五分の休憩を一セットとして、

作業に集中する時間を管理する方法……かぁ」


わたしは『ポモドーロテクニック』

という言葉を心にメモして、

ナルくんの頭をダミーヘッドマイクみたいに優しく持った。

位置調整するみたいに傾いた頭を真っ直ぐにしてあげる。


「ナルくーん、頭まっすぐしないと体によくないよ。

 それに頭もなんか凝ってる感じ。

 このまま頭のマッサージしたげる。もみもみ……」


ナルくんの耳周りに指を当てて、くるくる回すように揉んでみた。

ぐりぐり……おしおし……。

髪がじょりじょりして気持ちがいい。


「頭皮のマッサージもしよっか。

 本当はシュワシュワシャンプーとか

 使ってあげたらいいんだけど、

 さすがに学校じゃできないよねぇ。

 でも川のせせらぎがいい感じでしょ?」


わたしはイヤホンを着けてない左からナルくんに囁いた。

ナルくんの目がうっとりとたれているのが横からでも分かる。


「お耳ふーしてほしい?

 うーん……だめ。

 この川のせせらぎは、

 昨日わたしが撮ってきた音なんだよ。

 ちゃーんと堪能してね」


わたしは息を多めに絡めてねだるように言った。

それでもよかったのか、

ナルくんの口元はにやっとする。


「もぉ……分かりやすいな~、

 ナルくん。ワシャワシャワシャ」


面白くなったわたしはナルくんの髪を乱暴にかき乱した。

シャンプーASMRもしてみたくなるなぁ、

ワシャワシャ。


すると水を浴びた犬のようにナルくんは、

顔をブルブルさせる。


「ふわ……よく寝たけど、なんで川の音?」


「あ、起きちゃった。

 もっと頭ワシャワシャしたかったのになぁ」


わたしはナルくんの頭を持ったまま、

残念さを隠さずにつぶやいた。

ナルくんはすぐに状況を理解できないからか、

呆然としている。


「まだ寝ぼけてるみたいだね。

 マッサージ続けて、寝かせてあげる」


「ほへ……いいよ。

 クーちゃんにもっとマッサージしてほし――って!」


途中まで文字通りASMRを聞いていたようだったけど、

ナルくんは大きな声を出して目を覚ました。

わたしはナルくんの動きを予想して一歩下がる。


「百々瀬! また俺を寝かせたのか!」


「えー、ナルくんウトウトしてたじゃん。

 中途半端に船を漕ぐより、

 川の流れに身を任せたほうが気持ちいいと思ったんだー」


「うまいこと言ったつもりか!

 とりあえず、返す!」


ナルくんは意外にもていねいな手付きで

左耳のワイヤレスイヤホンを取って、

わたしに差し出した。


ものを優しく扱えるいい子だなぁ。

わたしはナルくんに合わせて両手でていねいに受け取る。


「ごていねいにどうも」


「俺も同じの使ってるからな。

 これの値段は知ってるし、雑に扱えない」


「へー、ナルくんとおそろいかー」


わたしはニヤニヤとした目つきを

ナルくんに向けたまま、音を止めた。


イヤホンを自分の席にあるケースへ。

ナルくんはわたしに目線を取られたまま首を引く。


「なんだよ。ASMR好きなひとは

 この『KOSAJI』を結構使ってるだろ?


 だからそっちより、

 川のせせらぎの方が気になったぞ。

 いい音だったし、

 動画サイトとかの聞かせてきたのか?」


「ううん、わたしが昨日、撮ってきたんだよ。

 褒めてくれてうれしいなぁ。

 撮ってきたかいがあるよ」


「撮ってきた!?

 この辺にこんなにいい音がする川なんてあるのか!?」


ナルくんはぎょっと目を見開いて声を上げた。

教室に居た子がチラホラと

こちらを気にするような大声だったけど、

わたしはASMRに向いている

程よい大きさの胸を張って答える。


「いい音がする場所を見つけてきたんだよ。

 師匠からいいマイクも借りれたし、

 ナルくんがリクエストしてくれたんだもん。


 リクエストしてくれたひとの思っていたのを超えたものを出す。

 まるでプロのお仕事みたいでしょ。ふふーん」


調子良く偉そうにできるだけの苦労はしたからね。


家の近くにある川なんて

意識したことなかったから調べてみて、

実際行っていい音が撮れそうな場所を歩き回って探して、

いざ録音するにしても聞いたひとの耳が

痛くなっちゃう音が入らないように考えたり、

わたしが物音を立てないように

……いろいろ考えたんだ。


な~んて胸を張ってたけど、

ナルくんの反応がなかった。

わたしは目を丸くしながらナルくんに問いかける。


「ナルくん? どうしたの? まだ眠い?」


「あっ、違う違う。

 また寝かせようとするな。

 夜ASMR聞きながら寝る時間が減る」


「じゃあ、なんでぼーっとしてたの?」


「俺はただの『いちリスナー』だろう?

 確かに前にも動画コメントでリクエストをしたことがあるし、

 毎回感想コメント書くし、

 今回だってリアルだったとはいえ聞かれたからリクエストを言った。


 でも、なんで俺に聞かせるために

 わざわざ音を撮ってきたのか気になって」


ナルくんは顔を赤くして、

目を窓の外に向けながら言った。


わたしはナルくんがかわいく見えて、

ナルくんの視界にステップで入る。


「もしかして、ナルくんって意外と自己評価低い?」


「そういうわけじゃない。

 他にもリスナーはいるんだから、

 そのひとたちのリクエストはいいのかってことだ」


「んっとー、ナルくんのリクエストを信用してるのは、

 ナルくんのリクエストに答えた動画は

 伸びてるっていうちゃんとした理由と、

 わたしにASMRを教えてくれた

 ケーちゃん師匠のお墨付き怪文書だってことー」


「なんだよお墨付き怪文書って」


「ナルくんは

『わたしのASMRでいっぱい寝てくれるひと』

 ってこと」


わたしはできる限りのにっこり笑顔で伝えた。


ナルくんはわたしの動画全部に

コメントをくれてる唯一のリスナーさん。


そのうちのひとつ、

怪文書なんて言われちゃうコメントでも書いてあるように、

毎日わたしのASMRで寝てくれるので、

これは言いすぎじゃないはず。

そんなひとのアドバイスは聞かないほうが失礼だ。


「まあ、そうかもしれないな……。

 学校でも聞かされてるし」


ナルくんはそう認めて顔を正面に戻した。

わたしもナルくんの目線に合わせて正面に戻る。


「そ・れ・に、ナルくんのリクエストはまだあったでしょ~?

 全部採用するから、楽しみにしててね?」


「全部……?

 あとなにがあったっけ?」


「あと、お水の音と勉強用BGMだよ。

 勉強用BGMは今日いいアイディアを見つけたから、

 動画としてアップしたいなって思ってるんだ」


「そ、そうか。じゃあ水の音は……?」

「もちろん、生ASMRしたげるよ」


わたしは今から楽しみで仕方がなく、

ニタァっとした笑顔を見せた。

ナルくんの背中がゾクゾクと震えたところで予鈴がなる。

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