1-5 逃げちゃった

「――俺の人生の救世主にして

 眠りを司る癒やしの女神

『クーちゃん』じゃないか!」


ナルくんはスマホの画面とわたしの顔を交互に見てきた。


多分『両方のクーちゃん』が

同じかどうか確認しているみたいだ。


確認するまでもないよ。

わたしはズイっとナルくんに顔を近づける。


「もしかしなくても、わたしのASMR聞いてくれてる?

 さっき毎晩聞いて寝てるって言ってたよね?

 それもわたしのASMRだけなんだよね?


 しかもさっき耳かきとかお耳ふーとか

 うまいって言ってくれたよね?」


あまりにも嬉しくて

言われたことを全部早口で聞き返した。


早口になっちゃうひとは自分のことをバカにしがちだけど、

そう言わないでほしい。

わたしだって早口で言っちゃうんだから。


そんなわたしの勢いに、

ナルくんは首を引いて口をぎゅっと結びつつも、

ぽろっとこぼすように答える。


「聞いてる、毎晩、

 クーちゃんのだけ、めっちゃうまい」


「そんなに気に入ってくれてるなら、

 コメントとかもしてくれてる?」


わたしはナルくんに近づいたままさらに聞いてみた。


いつもわたしの動画にコメントをしてくれるひとがいる。

それがナルくんじゃないかって思えてきた。

確かめたい。


ナルくんはわたしと目を合わせたまま動けないでいた。

わたしはナルくんが答えてくれるまで、

ナルくんの目を見つめたまま待ち続ける。


「……してる。

 初めてクーちゃんのASMR聞いて、

 めっちゃ寝れたとき、感動して、

 めっちゃコメントした。

 なんなら今朝もしてる」


「あのなっがーいコメントはナルくんだったんだー!

 うれしいなぁ」


わたしはニヤニヤするのを抑えきれないまま、

ナルくんに気持ちを伝えた。


ナルくんは顔を赤くして出口の方を見つめる。

わたしはナルくんの視界に入って逃げ場を塞いた。


ナルくんのリアクションがもっと見たくて、

さらに問い詰める。


「ナルくんはコメントで

『競争社会に乱れていた睡眠の質や生活リズムを

 整えることができたからです』なんて書いたよね?

 なにがあったか教えてよ」


「あの長文コメント覚えてんのか……?」


「さすがに覚えてないよ。

 でも元気がなくなったときは、

 読み返してるかな?」


上目遣いでわたしはナルくんに答えた。

書いた本人なのに、

ナルくんはわたしに引いてしまったような顔を見せる。


ナルくんの長文コメントについて、

ケーちゃん師匠は『怪文書』、

コーくんは『頭いいのか悪いのか分からん変な文章』

なんて言ったけど、

わたしはラブレターも当然だって思ってるんだ。


千文字の台本だって考えるのに三日もかかるのに、

ナルくんはあの文章を朝八時に投稿している。


七時に起きたとして、

朝ごはん食べたり学校行く準備したりすれば、

文章を書くのに使える時間は一時間あるかないかだよ。


だから、いーっぱい気持ちを感じる。

そんなふうに思った理由を知りたくて、

わたしは背伸びをして、耳元に囁く。


「聞かせて」

「ふあ……」


するとナルくんはへたり込んで顔を溶かした。

さっきぐっすり寝たからか、

またコックリすることはないみたい。

わたしはナルくんの耳から離れて、正面で笑う。


「言ってくれないとまたASMRしちゃうよ」


「は、話すから、これ以上はかんべんしてくれ……」


「うん、落ち着いたら教えてね」


えっちな拷問を受けたような顔をしているナルくんに、

わたしは優しく言った。


いやらしい例えをしたけど

『そういう音声作品がある』っていうのを、

ケーちゃん師匠がぼそっと言ったのを聞いたから知ってるだけ。

わたしはえっちなものが見れる年齢じゃないからね。


耳舐めはいいけど。


そんなこと考えてる間があっても、

ナルくんは息を見出したまま、

話を始めてくれない。


わたしはASMRのように優しく、

でも耳元じゃなくて正面から、

ナルくんに聞く。


「深呼吸しよっか。吸ってー」

「すー」


「吐いてー」

「ふー」


「……俺ってこんなでも勉強はできるんだよな。

 それこそクラスのヤツらに教えて回ることもできるし、

 家庭教師のバイトもしてる」


「うん、聞いたことあるよ」


「褒められたり、

 頼られたりするのが嬉しくって断れないし、

 ちゃーんと教えてあげないとなって思って、

 それで教えるための準備とかも結構気合入れちまうんだ」


「すごーい。今度わたしも教わろうかな」

「からかうな」


「からかってないよ。

 本当にすごいって思うし、

 えらいなって思って言ったんだよ。

 でもそれでがんばりすぎちゃったんだね?」


ツンツンしたナルくんの棘を丸くするように、

わたしは穏やかに語りかけた。


わたしの察したことがあっていたのか、

ナルくんはツンツンした気持ちをどうしていいか

分からない複雑な顔をする。


「俺はがんばりすぎたなんて、

 今でも思ってない。

 だけど、寝るギリギリまで勉強してると、

『起きてるモード』と『寝るモード』の切り替えが

 うまくできなくなるんだってな」


「うん、交感神経と副交感神経のバランスが

 崩れちゃったんだね」


「……よくそんな言葉知ってるな」


「えへへ。ASMRに関わることは調べたんだよ。

 快眠とか癒やし効果について科学的根拠はないっぽいけどね。

 でも、ナルくんが元気になったなら、

 それは『ある』って言っていいはず!」


わたしは『ぞいの構え』でASMRを誇ってみせた。

わたしの専門分野だから自慢したくなるし、

知識あるって見せていかないと。


ナルくんは、やろうとしていたゲームを

先にクリアされてしまったように、眉をひそめる。


「まだ俺が元気になるところまで話してねーだろ。

 まあ『クーちゃん』のASMRのおかげなのは確かだけど、

 それを見つけるまでいろいろあったんだぞ。


 あれこれ調べて、寝る時間を削る本末転倒をしてみせたし。

 受験のほうが近づいて、

 眠りを改善する方法を探す間もなくなって、

 そのまま受験をなんとか終わらせたんだよな」


ナルくんは大変だったことを

愚痴るように早口で語った。


多分、この早口で終わらせてしまった日々のナルくんは、

寝れなくてかわいそうな状態だったと思う。


そう思ってわたしはナルくんを見つめた。

ナルくんは目を細める。

「なんだよ」


「ううん、

 でも本当に『クーちゃん』のおかげで

 いっぱい寝れてよかったなーって」


「違……わないんだが、

 俺が毎晩お世話になってるクーちゃんが、

 クラスで隣の席の百々瀬だっていう事実に、

 俺の頭が追いついてないっていうか。

 雰囲気違いすぎるっていうか」


「それこそ違わないよ。

 配信と同じ感じで耳かきとかしてあげたじゃーん」


「寝てたからほとんど分からねーよ」


「『ほとんど』ってことは

 分かることもあるんだー」


「いちいち揚げ足とるな。

 うっすら夢の中でも耳かきされてるなーとか、

 優しい言葉くれるなーくらいだよ。


 これじゃ分からないも当然だし、

 ほとんどなんて言うのは言葉の綾だ」


「貴重な感想ありがとー」


わたしは嬉しくてお礼を伝えた。

そっか、夢にまで出てきちゃうんだ。

ナルくんをいっぱい寝かせてあげれたのが分かって、

やる気がそのまま口から出てくる。


「じゃあ、明日からもしてあげるね」

「明日? 次の動画はまた来週だって言ってたろ?」


「すごーい、

 わたしの動画投稿スケジュールまで

 把握してるんだー。うれしー」


「だから『明日から』

 ってどういうことだよ?」


「明日もナルくんにどんなASMRが効くか実験するよ、

 ってこと。それとも、今からしてほしい?

 もう一眠りしたい?」


そう聞きながらわたしは

ナルくんにずずずっとにじみ寄った。

ナルくんは逃げられず壁にぴたっと背中をくっつける。


「いや、また明日から、楽しみにして――」

「楽しみなんだ? えへへ」


ポロリと漏れたナルくんの言葉を聞いて、

わたしは胸がポカポカするような気分になった。


かーっと頬まで赤くなってきた気がして手を当てて隠す。


「じゃなくて、俺を実験体にするなー!」


わたしがスキを見せたからか、

ナルくんはそう言い残してぴゅーっと逃げ出した。

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