1-2 膝枕しちゃった

放課後、わたしは職員室で鍵を借りてから、

茶道部の部室がある五階へ向かった。

まずは部室の鍵をカチャカチャと開ける。


中はキレイにされた和室があった。

両隣も文化部で、

体育館やグラウンドから離れていて、

ほどよく静かだ。


たまに聞こえてくるカッキーンという音や体育会系の声も、

学校という雰囲気を感じさせる……らしい。


そんな茶道部の部室のドアを開けっぱなしにして、

わたしは廊下に出た。

柱にササッと隠れてナルくんが来るのを待つ。


ラブレターのような手紙を出したからと言って、

ナルくんが来るとは限らない。


普通に考えたらそんな『もしも』が浮かぶけど、

わたしはナルくんが来ると言い切れた。


なんでって?

ナルくんが『耳かき』されたがってることと、

『快眠の秘密兵器』なんて呼んじゃう方法があって、

わたしがそれをほのめかす手紙を出したから。

耳かきと快眠で連想する今流行の『音』をわたしはできる。


ドキドキしてきた。


ナルくんが来ないって不安はないし、

自分の『音』に自信はあるけど、

この緊張は別。


週に一回、音を撮って、

たまにリアルタイムで配信で披露するけど、

それと同じような、

またちょっと違うようなワクワクした感じがしてくる。


「来た」

体と荷物が柱から見えないよう気をつけつつ、

ナルくんの様子を見る。


ナルくんはわたしの書いた手紙を片手に、

キョロキョロしながら歩いていた。


バッグも持っていて、

少し息を乱している。

多分手紙を見て慌ててここまで来たんだと思う。

かわいい。


部屋をひとつひとつ見たナルくんは、

開けっ放しの部室を見つけたようだ。

ドアに書かれた案内を二度見して、

恐る恐る部屋に入ろうとしている。


わたしは足音を立てないように歩いて、

ナルくんに近づいた。


余計な音を立てないように動くのも慣れている。

ナルくんはわたしに気が付かないまま部室へ足を踏み入れる。


「誰もいねーな……」

そうナルくんがつぶやいたとき、

わたしはナルくんの背後を取った。


少し背伸びをしてナルくんの耳に口を近づける。

「ふ~」


決まった、なんて言うと忍者の必殺技みたいかも。

これでナルくんが天国に行っちゃうことはなくて、

わたしがしたのはひとを夢の中に行かせちゃうやつ――


「おっと……」


――なんだけどナルくんは、

体の力が抜けて倒れそうになった。

わたしは慌ててナルくんを支えて、

それでも男の子は重いから

なるべく痛くないように畳に寝かせる。


「寝てる……本当に?」


わたしはナルくんを見つめた。

肩を揺さぶったり、

頬をペチペチしてみたり、

靴を脱がせたり、

畳に転がしてみたり、

バッグを勝手に開けて手紙をしまってあげたりしたけど、

全く起きる気がしない。


英語の授業中にあったことから予想していたけど、

こんなに一瞬でぐっすり寝ちゃうなんて思わなかった。

わたしは顔がニヤニヤしてくるのを押させられない。


「自立感覚絶頂反応なんて

 難しい日本語の意味が分からなかったけど、

 こういうことを言うのかな。

 ASMRって」


ぱたんと部室のドアを締めながら、

わたしは自分の知識とナルくんの様子を照らし合わせた。

部室にはナルくんのすやすや寝息だけが聞こえる。


靴を脱いでわたしは

バッグをおろして畳の上にちょこんと座った。

ガサゴソとバッグからコンビニで買った

綿棒を取り出す。


「配信や収録でやるのとは違う、生ASMR~」


もうウキウキした声を我慢できなかった。

ナルくんの頭のそばに座って、

首をそっと持ち上げる。


「膝枕……初めて、男の子にする、膝枕」


ナルくんに膝枕してあげると

気分がどんどんあがってきた。


ナルくんの髪がふとももをチクチクしてくすぐったい。

ダミーヘッドマイクを載せたりするのは違う

重さとか感触があって、

さらにわたしをウキウキさせてきた。


そんな新鮮な感覚は、

わたしがASMRをやることになるきっかけを思い出させる。


「わたし高校受験は推薦だったんだ。

 だからみんなより早く受験が終わっちゃって……」


小さな声で語りながらわたしは綿棒を袋から出した。


「でもみんなが大変なの知ってるから……

『構ってー』なんて言えないよねぇ……。

――ってナルくん……耳キレイ。

 掃除するまでもないかもだけど、

 わたしがしたいからするよ」


ダミーヘッドマイク(の向こうにいるリスナーさんたち)に

語りかけるのと同じように、

耳に寄ってわたしは語りかけた。

ダミーヘッドマイクと同じように

ナルくんからの返事はない。


しゅりしゅり……かりかり……。

気にせずに耳掃除をしながら、

寝かしつけ雑談をするように話を続ける。


「受験のあとに、

 カーくんお父さんの妹さんで、

 プロの声優さんをしているケーちゃん師匠が、

 わたしの家の近くに引っ越してきたんだ。

 でも師匠の芸名はないしょ」


どうせナルくんには聞こえてないんだろうけど、

秘密にすると逆にシチュエーションぽくなって楽しかった。


ちなみにケーちゃん師匠は

キリッとしたお姉さんだけど

『堂々ポップ』って芸名だ。

ギャップがあってかわいい。


「『師匠』って呼んでるから分かると思うけど、

 わたしにASMRを教えてくれたひとなんだ。

 じょりっ……あ、ちょっと汚れ取れた」


わたしはバッグからポケットティッシュを出して、

綿棒を拭いた。

ナルくんの口元が少し緩んだように見える。


「ケーちゃん師匠は防音室を作れる家を探してて、

 わたしの家の近くに引っ越して来たんだって。

 ちょうど暇だったわたしは、

 ケーちゃん師匠のお仕事に興味が湧いて、

 お家を見せてもらったんだ」


こすこす……いじいじ……。

初めて入るひとのお家を見て回るように、

わたしは綿棒でナルくんの耳の溝をなぞっていった。


さわさわ……じょりじょり……。

わたしの気のせいかもしれないけど、

ナルくんの体がぴくってしたように見える。


「声優さんのお家にある防音室、気になっちゃった?

 それまで興味の薄かったわたしでも、ワクワクしたもん。

 ナルくんも気になっちゃうよね」


わたしはナルくんの気持ちを代わりに言ってあげた。

これもASMRでの話し方のひとつ。

もちろんケーちゃん師匠から習った。

習ったのはもちろん話し方だけじゃない。


「そこでわたし、ひとの頭の形をした変な道具を見たんだ。

 なでなで……こんな形だよね」


楽しくなっちゃったわたしは、

ナルくんの頭を撫でた。

これもASMRでやるよね。


でも男の子の頭は

ウィック載せたダミーヘッドマイクよりも撫で心地がいい。


「なにこれって聞いたら、

 なんとマイクなんだって。

 ダミーヘッドマイク、聞いたことあるよね?

 ふー。こんなASMRができちゃうマイクだよ」


実践してみた。

するとナルくんはさらにいい夢を見ている顔になっていく。

口は舌がとろりと出そうに半開き、

目元もにっこり。


「わたしがマイクのこと聞いたらね、

 ケーちゃん師匠は試しに

 流行りのASMRをやってみないかって言ったんだ。

 ふー……そろそろ耳の中、お掃除しよっか」


メインディッシュを差し出すようにわたしは声をかけた。

するとナルくんはため息のように息を吐く。

お待ちかねって感じ。


ん~、反応がダイレクトにあるのっていいなぁ……。

動画だとコメントがつくまで待たないといけないし、

生配信でもラグがある。


でも本当の生ASMRは

一切ラグなしの本当のリアルタイムで相手の寝息も、

細かい動きも、体温も、伝わってくる。


「耳かき待ってたんだね。

 それじゃ入れるよ……。

 ずずずっと。どうかな?

 って聞かなくてもよさそうだね。

 分かりやすく教えてくれて、えらいえらい」


調子に乗ったわたしは

ナルくんの耳に甘やかし言葉をかけた。


なんだかわたしまで顔がとろけちゃいそう。

そんな顔は見られちゃったら恥ずかしいかも。

そこは生の欠点かな?


「なんで言うけど、

 そのときのわたしはASMRのこと、

 かりかり……みたいなを

 フェチっぽい音としか思ってなかったんだ。

 そんなわたしにもASMRができるのかなって、

 ケーちゃん師匠に聞いたんだ」


わたしは綿棒を耳から抜いて、

自信なさげな声で言った。

するとナルくんは『そんなことない』と言いたげにモゾモゾ動く。


「えへへ、ありがと。お耳ふーしたげる。

 ふっ、ふっ、ふぅ~~~~~~~~」


多分ナルくんは偶然そう動いただけで、

わたしを励ますようなリアクションをしていない。

でも嬉しくなってお耳ふーした。

ナルくんはまたモゾモゾと動く。


お耳ふ~ってこんなに気持ちよくなっちゃうんだ。

みんなされたがるの、分かる気がする。


「はい、耳かきとお話の続きするよ。

 ケーちゃん師匠はね

『クーちゃんの声はかわいいから、

 自分より向いてる。正直嫉妬してる』

 ってわたしのこと褒めてくれたんだ。

 そしたらもうやってみるしかないっしょ。ずる~」


小さな声のまま、

わたしはナルくんに意気込みを聞かせつつ、

綿棒を耳に入れた。

もうこれだけで楽しい。


「もちろん、こそこそ……

 耳かきもうまいでしょ。

 小さい頃、弟のコーくんにしてたからね」


わたしは冗談っぽく口をとがらせて言った。

するとナルくんの顔が固くなったように見える。


「もしかして、嫉妬しちゃった?

 大丈夫だよ。

 今は耳かきしてあげてるのは、

 ASMRの配信聞きに来てくれるひとたちだけ」


また嬉しくなっちゃってわたしは優しく、

言い聞かせてあげた。

それでもナルくんの良い夢を邪魔されたみたいな顔は変わらない。

わたしは綿棒を抜いて代わりに口を近づける。


「それに……ふー。

 こうして生ASMRできるのはナルくんだけ。ふふっ」


言った後わたしはなんだか恥ずかしくなって、

顔をナルくんからそらした。


甘々なASMRじゃ定番のセリフで、

わたしも配信や動画では言っている。


なのに、その相手がモアイみたいな

ダミーヘッドマイクじゃなくて、

ちゃんとした男の子の頭だとこんなに照れちゃうんだ。


わたしも落ち着くために深呼吸しよう。

わざとらしくなく、吐息を聞かせるように、

ゆったりと吸って吐いて……。

ASMRのシチュエーションと同じなら照れずに、

楽しくできた。


するとナルくんもわたしの深呼吸に合わせて、

吸って~吐いて~をしてくれる。

なんだかわたしがナルくんに落ち着けてもらったみたい。


「それじゃ反対側も、こりこりしたげる。

 上手にごろんってできるかな?」

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