第一章 クーちゃんはニヤニヤする。

1-1 お耳ふーで寝ちゃった

「――よし、そこまでだ百々瀬。

 立ったついでに隣の席の風井を起こしてくれ」


「はぁい」


わたし、クーちゃんは先生に言われて

英語の教科書を机に置いた。

隣の席の風井ナルくんの横に座って寝顔を見つめる。


ナルくんは、力尽きたように寝ていた。


睡眠不足が社会問題、なんて言われていることは、

わたしみたいな社会の『しゃ』の字も分かってない

高校生でも知っていた。


睡眠不足の理由はいろいろあるらしいけど、

寝付きの悪さ、質の悪さというのは注目されている。


ナルくんの寝顔は、

まさにそんな感じで疲れが見えていた。


わたしはこのまま寝かせておいてあげたいって思う。

けど、今は授業中なんだよね。


もしいつもお疲れで寝付きが悪かったりするなら、

今流行りの安眠のための『音』があるんだけど、

あとで教えてあげようかな。


と思いつつ、

授業の邪魔にならない程度の声をそーっとかける。


「ナルくーん、じゅぎょーちゅーだよー」


わたしはナルくんの肩を揺さぶった。

でもナルくんは起きない。

それどころか、わたしが肩を揺らすのも心地良い、

なんて思っていそうな感じ。


ナルくんを起こすのに少し苦労すると思ったわたしは、

自分の椅子をナルくんに寄せて、

さらに肩をゆっさゆっさ揺らす。


「おーきーてーよー」

すーすー。やっぱり目を覚まさない。


そもそもわたしは、

ひとを寝かせるのは得意でも、

ひとを起こすのは得意じゃないんだよねぇ。


でもここまで激しく揺さぶったら、

だいたいのひとは起きると思うんだ。


「風井、中間テストの成績がよかったんだがな……」


先生はナルくんに細い目を向けた。

なんだかナルくんの評価が下がってる音がする。


今起こしてあげないと、

かわいそうな気がしてきた。


先生がじとーっとした諦めた目を教科書に向けると、

わたしはナルくんの寝顔を見て考える。


あ、そうだぁ。


押してもダメなら引いてみろ、

北風と太陽、つまり逆をしてみたらいいかも。


わたしは椅子をさらにナルくんに寄せて、

顔を近づけて、ナルくんのツンツンヘアーから出る

耳に口を寄せた。


わたしの唇がナルくんの耳とちゅーしない、

でもわたしの息がナルくんの耳にかかるくらいの距離。


「ナールくーん、じゅぎょーちゅー、だよー」


わたしはナルくんの耳に、

迷走神経を刺激する小さい声をかけた。


普通のマイクで録音したら小さすぎて、

普通のスピーカーで再生したら聞こえないほどの声で、

耳の気持ちいいところにピクピクしちゃう刺激を与える。


こうすれば逆に起きるかもしれないと思っていたのに、

「わぁ!?」


ナルくんは寝返りをうつように

わたしの方に転がってくる。

わたしはびっくりして大きな声をあげちゃった。


誰もこうなるとは想像できない状況が起こる。

ナルくんはゴロンと転がり、

一度わたしの太ももに頭を落とし、

さらに転がって床に落ちる。


ドッタンバッタンな状況があって、

教室中がナルくんに目を向けた。


「どうした? って……」

「まだ、寝てる」


先生に代わって、

わたしはナルくんの状況を口にした。


こんなことがあってもナルくんはぐっすりだ。

さっきよりもとろけた寝顔になっている。


わたしたちは超常現象、

魔法とかを見たように、

呆然とナルくんを見ていた。

するとナルくんはムニャムニャと寝言を口にする。


「へへ~、耳かき気持ち~」


「なんで耳かき?」

「寝言なんてみんな意味不明だろ」

「とりあえず席に戻すか」

「家庭教師のバイトで疲れてるのか」

「おれもバイトととは別にテスト勉強頼っちまったからな、休ませてやろうぜ」


「百々瀬、椅子どかしてもらっていいか?」

「あ、うん……」


ナルくんの男友達に言われて、

わたしはずずずと自分の椅子を戻した。


周囲の男の子たちがひょいっとナルくんを持ち上げる。

それでもナルくんは気持ちよさそうに寝たまま。


「……風井が起きたら、

 念のため保健室に行くよう伝えてくれ。

 授業を続けるぞ」


ナルくんが席に戻されると、

先生はそう言ってスタスタと教壇に戻った。


その音を聞きつつわたしは

今も溶けるような顔をしているナルくんを見つめている。


ナルくんが机から落ちるほど

ぐっすり寝てしまったのは、なんでだろう?


気になって仕方がない。

もう指されることはないと思うから、

授業を聞き流して考えてみた。


わたしが囁くとナルくんはひっくり返った。

でもわたしは関係なくて、

バイトとかテスト勉強で疲れてたから?

それとも元からナルくんの寝相が悪かったから?

お昼前だから?


このひっくり返り方は寝相じゃなくて、

全身のちからがすーっと抜けたような感じ。


多分ナルくんは、

ものすっごく安眠しちゃったのかもしれない。


なんでそんなふうに思うの?


それはわたしが、

耳かきの音などを聞いて

『スヤァってするひとたち』を知っているから。


だったら試したい。

ナルくんが本当にわたしの声で安眠してくれるのか。



お昼休みになると、

わたしは学校の近くにある文房具屋さんに

サササッと駆け込んだ。


かわいい封筒と便箋を買って、

その足でタッとコンビニにはしご。


そこで昼食をもぐもぐ、

メッセアプリで友達のフウリに連絡を入れた。

すぐにピロンと返事が帰ってくる。


「今日は茶道部の活動ないから部室貸せるよ。

 また収録かなにか?」


「そんなところ」


「分かった。前と同じように顧問の先生には話しておくね」

「ありがと」


わたしはフウリにお礼の言葉と、

VTuberのスタンプを返した。


さて、ナルくんが来てくれるような言葉を考えないと。

わたしは昼食のサンドイッチを口にもごもご押し込んで、

ペンを取り、便箋に向き合う。




――とつぜんの手紙ごめんね。


――わたしは風井くんが気になってしょうがなくて、

ふたりっきりでお話したくて手紙をだしちゃいました。

ううん、ナルくんって呼ばせてほしいな。


――きっかけは今日、

授業中に机からひっくり返るみたいになったの見たこと。

どうしてこんなふうになっちゃったの?

お疲れなの?

それとも不眠で悩んでたりするの?


――わたしはナルくんを見て

『気持ちのいい眠りをさせてあげたい』

といっぱい思ったの。


――どんなことをしたら、

ナルくんは安眠してくれる?

わたしは『眠り』の専門家なんていえないけど、

ナルくんが安眠できそうな『今流行りの方法』に

心当たりがあるよ。

それをわたしなりに試してみたい。


――最初はうまくいかないかも。

でもやってみたい。


――ナルくんが『よく寝れた』と言ってくれたら、

わたしは嬉しくなっちゃう。


――放課後、五階の茶道部の部室に来てほしいな。

待ってるね。




「よし……台本みたいにいかないけど、

 わたしなりにできたかも」


さっと手紙を便箋にしまった。

イートインスペースを片付けて、

席を立つとふと絆創膏やティッシュのあるコーナーが目に留まる。


「あ、綿棒も買っておこうかな」


ふと思いついたわたしはコンビニを出るときに、

綿棒を買った。

一本一本袋詰されてるやつ。

これはマストアイテムだよね。


カカカっと早足で学校に戻って、

わたしは素早くナルくんの靴箱に封筒を入れた。

教室に戻るとナルくんが楽しそうに笑っているのが目に入る。


「俺、そんなに寝てたのか?

 まあテストで疲れてたしなぁ」


「すまないな。

 おれたちに勉強を教えてて疲れたんだろう?」


わたしは何事もなかったかのようにすっと席に戻った。

ちょっと早足で歩き回って疲れた。

頬杖をついてナルくんたちの話を聞く。


「いいってことよ。

 しばらくは家庭教師のバイトも落ち着くし、

 俺には超快眠の秘密兵器……

 っていうにはかわいいけど、

 そういう秘策みたいなのがあるんだぜ」


「なんだそれ?

 そいえば寝言で耳かきがどうとか言ってたけど、関係が?」


「ある……が、内緒だぜ。

 なにせ秘策だかんな」


ナルくんは思わせぶりで

自慢げな声でそう言った。

わたしは思わず肩をぴくっとさせる。


わたしの予想、当たってるかもしれない。

「うん、百々瀬?」


思わずナルくんに目を向けていたからか、

ナルくんがわたしの目線に気がついて声をかけてきた。

わたしはアワアワと手を前に振りながら返す。


「あっ、さっき派手にひっくり返ったから、

 大丈夫かなーって見てたの。

 驚かせて起こそうと思ったけど、

 逆に驚かされちゃったんだからね!」


「そうか、すまないな

――って、俺になにしようとしてたんだよ?」


「それはひみつー。

 次同じことがあったら使えなくなっちゃうじゃーん」


わたしはニヤニヤと

ナルくんの顔を見ながら誤魔化した。

これを言っちゃったら放課後の計画がぱーだからねー。

わたしの反応にナルくんはむすっと口をとがらせる。


「授業中居眠りしないように気をつけないとだな……。

 なにされるかわからん」


「気をつけるんだよー」

「いたずらするほうが言うセリフじゃねーよ」


ナルくんの反応がおもしろくて

わたしは口元を緩ませた。

本当に放課後が楽しみだなぁ。

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