第6話
用意を済ませた私は馬車に揺られて湖に来ていた。ここは領内の中でも有数の大きさの湖であるが、アルディア家が権利を所有しているため、一般の人は立ち入ることができない。
「やっぱりここの景色は落ちつくわね」
湖を眺めながら私は近くの木の木陰に座りこむ。膝を抱えた姿勢でぼーっと湖を見つめていると今現実に起きていることを忘れられそうだった。
「このままこの前の出来事がなかったことになればいいのに」
そう呟いた言葉は誰にも聞かれることなく、空気に溶けて消える。私の吐息の音だけだ静かな湖に響いていた。
「でもいい加減に結論を出さないといけない……」
そう考えると再びお腹の辺りが痛くなってくる。もし自分がアレスさんの言うことを受け入れ、魔王討伐に赴いた時に私が背負う責務のことを考えると足がすくんでしまう。
「嫌だ、怖いよ……戦うのは……」
臆病と言われても怖いものは怖い。魔族と実際に戦ったことはないけれど彼らが行った酷い行為のことは書物や人々の風聞から聞いている。そんなものと自分が戦うことを想像すると恐怖に心が支配される。
「なら断ってもいいんじゃないか?」
「!?」
誰もいないはずの湖に響いた声に私は驚いてしまう。声のしたほうを見るとそこにいたのはアラン兄さんだった。
「兄さん……どうしてここに? 行き先は誰にも言っていないのに……」
「何年お前と一緒に過ごしていると思っているんだ。お前が落ち込んだ時に外出して行く先のことなんてすぐに分かるさ。まあ今回はここに来ることが選択肢から抜けるくらいショックを受けたみたいだけどな」
兄さんはそう言って私の元まで歩いてきて隣に腰を下ろす。
「……父上から話は聞いたよ。お前の出生と一族のこと」
「……そうですか」
「……そりゃそんなことをいきなり言われたらショックと恐怖で部屋に引きこもるよな。俺でもそうなるよ」
静かな声で私の言葉を肯定する兄さんに私は驚いてしまう。
「……兄さんは私が逃げたいといっても驚かないんですか?」
「当たり前だろう。魔族との戦いなんて父上や他の偉い人達が指揮をしていることなんだ。俺のように家を継ぐ必要があるものはいつかはそういった責任と向き合わなければならないんだろう。でもお前は違う、貴族の女性に生まれた以上、家のために結婚をしなければならないとか生まれに対する責任は伴ってもこんな魔族と戦う責任なんて背負う必要はないと俺は思う。なにより……俺はお前に……家族に死んで欲しくない。血が繋がっていなくてもお前は俺の大事な兄妹だから」
「……」
「だから怖かったら逃げていいと思う。お前は今どう思っているんだ?」
「私は……」
私は自分の気持ちを言い淀んでしまう。重い沈黙が私と兄さんの間を支配する。それでも兄さんは私の言葉をじっと待っていた。
「私は……怖いです。魔族と戦うための力が私にあるなんて言われても知りません。そんな力、今まで使えたこともないんですよ、言われたって信じられるわけないじゃないですか。それなのにいきなり戦えなんて絶対に嫌です」
気持ちを言葉にしてしまうと一気に溢れてきてしまった。目からも涙が零れてしまう。止めようと思っても止まらない。
「私が滅んだ国の王女なんて言われても今の私はアルディア家の者なんです。ここで育ったアーリシアはそんな使命なんて背負いたくない。アルディア家の一員として生きていきたい」
私が一気に話すのを兄さんは黙って聞いていた。やがてほっとしたような表情をして私に語りかける。
「そうか。やっとお前の気持ちを聞くことが出来た。なら一緒に父上に話をしにいこう。きちんと話せば父上も分かってくれるさ」
差し出される兄さんの手。私は兄さんの言葉に頷いてその手をとる。
「父上もお前と話したがってる。きちんと気持ちを伝えて理解を得たら家族皆でお前の16歳の誕生日を祝おう。今日だろう、お前の誕生日」
「あ……」
兄さんに言われて気付く。ショックで部屋に引きこもったせいですっかり日付の感覚をなくしてしまっていた。
「そうでしたね……きちんとお父様とこの件について話をしたら家族で私の誕生日を迎えたいです」
「よし来た、任せておけ。父上との話し合いでは俺はお前の味方をするからな」
兄さんはそういうと私の手を引いて馬車のほうへ歩いていく。この手の温かさが今の私にはなによりも心強いものだった。
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