第2話 猫の名前

「良かった……」

 私はゲージに入っている猫を見ながら呟いた。


 猫は瞳を閉じて横になっているんだけど、心なしか遭遇した時よりも様子が落ち着いているみたいで一安心。

 私達がいるのは、動物病院の猫専用フロアの入院スペース。

 あの後。ルークス様が乗ってきた馬車で植物園からすぐに動物病院へ。


 獣医さんに必要な処置をして貰った。

 怪我のせいで衰弱していたうえに栄養失調と脱水症状もあるらしく、入院して経過観察することに。


 順調に回復したら屋敷に連れて帰れるみたい。


(どうか、このまま無事に回復しますように……)


 私は祈りながら、猫を見つめた。

 病院に到着して治療を受けられたのも全てルークス様のお陰だ。

 あの時、ルークス様とばったり遭遇して良かったって心の底から思う。


(奇跡みたいな出会いだったわ。上着も貸して頂いたし……)


「ルークス様。いろいろ助けて頂きありがとうございました。上着は弁償いたしますので」

 隣で猫を心配そうに見ていたルークス様に言えば、彼は首を横に振った。


「いや、気にするな」

「ですが……」

「猫が回復してくれればそれでいい。それより猫の名前、どうするんだ?」

「名前ですか?」

「あった方がいいだろう。他にも猫の患者はいるし」

「たしかに……」

 ルークス様の言うとおりだと思った。


「あの……もしよかったらルークス様が名付けてくれますか?」

「俺が?」

「えぇ。ルークス様が助けて下さったので治療を受けることが出来ましたので」

「そうだなぁ。名前か……」

 ルークス様が顎に手を添えながら猫の方を見た。

 静寂が包み込む中。ルークス様の唇がゆっくり開く。


「ルルというのはどうだろうか? 我が国の固有植物であるルルガルの木から名付けてみた。見つけたのも植物園だし。あそこにあるルルガルの木はこの国では最古の木だ。あの木の幹は太く、みずみずしい葉をつける。その生命力にあやかれるように」

「ルル……よい名前ですわ」

 私は大きく頷くと、ゲージの中の猫を見た。

 今はまだ痛々しい。少しずつでもいいから、怪我と体調を回復させてご飯をいっぱい食べられるようになって欲しい。


 植物園にあるルルガルの木は樹齢100年を越えている。


 それでもなお、元気にたくましく成長をしているので、その生命力を少し分けてくれますように。


 私はルルを見ながら願った。



 +

 +

 +


 翌日の朝。

 私は制服を身に纏い、通っている学園の門をくぐっていた。


 門を潜ったばかりだけど、もうすでに帰宅したいって思う。

 帰ったらすぐに病院にルルの様子を見に行きたいからだ。


 あの後、屋敷に戻りお父様達に相談。結果、うちに家族として迎えることを承諾して貰った。

 なので、今日病院に行った後にルルに必要な生活用品を購入する予定になっている。


(ルルの体調が昨日より少しでもよくなっているといいなぁ)


「おい!」

「え?」

 ルルのことを考えていると、不機嫌そうな声が背中に聞こえたせいで、私は足を止めて振り返った。

 すると、そこにはワンダー様の姿が。

 眉をつり上げて私を見下ろしているんだけど、その隣には男爵令嬢・シルビアがいる。

 彼女はワンダー様の腕にしがみつくように身を寄せて甘えていた。


「俺に言うことは?」

「ルル……昨日の猫でしたら心優しき人のお力もあり、無事病院に運ぶことができました。今は治療のため入院中です」

「猫のことなんてどうでもいい! おまえは本当に人の気持ちがわからないんだな」

「……」

(猫以外に何があるのかしら?)


「わざわざ植物園につれて行ってやったのに、猫ごときで俺の時間を潰した謝罪をするべきだろ!」

 彼はきっと気づいていないだろう。

 ここは学園の門付近。


 ……ということは、私の周りには通学中の大勢の生徒達の姿もある。


 それなのに、醜聞を広げるような真似をするとは。


「アンジュール様。だめですわよ? ワンダー様がせっかく植物園につれていって下さったのに。お気持ちを無駄にするなんて」

 甘ったるい口調でシルビアが言えば、ワンダー様が大きく頷く。


「怪我をしていた猫がいたんです。その猫を助けたくて……」

「伺いましたわ。野良猫よりもワンダー様の方が優先では?」

「さすがシルビアだ。普通、そうだよな」

「当然ですわ。だって、シルビアの一番大切な人はワンダー様ですもの」

 シルビアが満面の笑みで言えば、ワンダー様は蕩けるような笑みを浮かべた。


 いっそのこと、婚約破棄をして欲しい。

 シルビアとワンダー様は相思相愛のようだし……


 ただ、ワンダー様の家が納得しないと思う。

 私達は恋愛結婚ではなく両家にとってメリットがある政略結婚だからだ。


「ほら、見ろ! 優先させるのは弱った野良猫より俺なんだよ。俺は次期侯爵家の跡取りとしての責務があるからな」

 ワンダー様が胸を張って言えば、周りの生徒達にざわめきが広がる。


「えっ?」 「あいつ、弱っている野良猫と自分を比べているのか?」という声がざわめきに混じってちらほら聞こえた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る