文學の破片
深川我無
君の言うことは僕にはよく分からないよ
寝ぼけ眼でリビングに降りていくと、机に両肘をついて顔を覆う君の姿が飛び込んできた。
視界の端に捉えた朝刊の一面には宗教戦争勃発の文字が躍る。
「どうしたの?」僕は隣に腰掛けて君の背中をさすりながら、飲みかけのコーヒーが入ったマグカップに手を伸ばす。返事が返って来ないのを確認してから、僕はコーヒーに口をつけた。
ぬるいコーヒーを飲み干すと幾分か頭がすっきりした気がした。
「僕、何か悪いことしたかな?」そう言って背中をさすり続けていると、君は小さく首を横に振った。
「悲しいの」
そうこぼす君の心を掻き乱さないように、僕は慎重に言葉を選ぶ。地雷原は今も各地に残されたままだから。
「チラッと朝刊見たよ。宗教戦争だってね」
君は小さく頷いてから顔をあげた。嘘の無い目が紅く腫れている。
「誰も従わなければいいんだよ」
その言葉の意味を僕は咀嚼する。自分の中で完成された言葉の辿って来た道筋を考えてみたけれど、迷子になってしまった僕は諦めて尋ねてみた。
「誰が何に従わなければいいの?」
君は「当然でしょ?」とでも言わんばかりの表情を浮かべてからため息混じりに答える。君の目の中の悲しみが少しだけ薄らいでいるのを確認して、僕の世界に少しばかりの平和が戻ってきた。
「戦争なんて、誰も望んでないんだよ。命令する人間以外はね。それなら誰もその命令に従わなければいいの。そうすれば命令する人達が孤立して戦争したい当の本人だけでじゃんけん大会でも始めるようになるのに。どうしてそんな簡単なことが出来ないわけ?」
こうして僕は再び地雷原に放り出されてしまった。地面に浮かぶ微妙な変化を見極めながら再び言葉を探り当てる。
「でも誰かが恐怖に駆られて銃を向けたら、自分や家族の身を守らなきゃいけないでしょ?人がどう思うかなんて分からないし、もしそうなったら、僕は君の命を危険に晒したくないな」
君は僕の持つマグカップを取り上げると、それを両手で包んで考え込んでしまった。するとすぐにマグカップが温かく無い事に気が付いてポットから新しいコーヒーを注ぎなおして言う。
「つまり、守るためなら戦争するのは仕方ないってこと?」
「ううん。そう言われると違う気もするけど、要は事は思うよりもずっと複雑でややこしくできてるんじゃないかって事を言いたかったんだ」
「皆で犬や鶏を飼えばいいんだよ」
君はそう言ってコーヒーを飲むと、立ち上がってキッチンの方にパタパタと歩いて行ってしまった。
「君の言うことは僕にはよく分からないよ」
誰もいないリビングで僕は小さくつぶやいた。
カーテンの隙間から差し込む昼前の日差しは、かろうじて朝日と呼ぶことができそうな淡さを保っている。
「君の言うことはよく分からないよ。だけどそれが分かる僕になりたいと、僕は常々思っているんだ」
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