月呼の神事

 三年前。


 とある県の山奥にある村――月呼つくよび村。

 その村は外部と隔絶しており、スマホもなければテレビも映らない。そもそもスマホやテレビというものを彼らは知らない。


 退屈で慢性的な停滞が蔓延っているが、それでも村人達がこの村を出ることはない。そもそも村の外に出るという発想が初めから存在しない。


 この村は、特殊な村だ。


 何しろ、あらゆる地図を探してもこの村の存在は誰も知らないのだから。古い文献、童歌の一節に名前が出てくるかどうか。しかし、それでもこの村は確かに存在している。


 村の人々は誰も外の世界に興味を持つことなく、外の世界はこの村の存在に気付くことなく、この村は緩やかに衰退も繁栄もせずにほそぼそと続いていくはずだった。


「……今なんて?」


 村の子供達にとっての遊び場とは、村の周りを砦のように囲う山々だった。木に実る果実を採ったり、木々を飛び移って遊んだり、そういう身体を動かす遊びしか子ども達は知らなかった。

 木をするすると登って、木の実をもぎり、下にいる少女に落としていく。


「だから、旅人さんが来てるんだって」


 そんな馬鹿な、と渡は思った。ありえない、と断じたが、とりあえず何も言わなかった。


「朝ね、知らない人が居たの。なんか、みんかんでんしょ―? の学者さんなんだって」

「ふぅん」

「はぁ……。渡くんは相変わらず何事にも興味なさげだね」


 つまらなさそうに少女は溜息を吐く。

 大人ぶっているのか、大人びているのかは人によって意見が分かれるが、自分がつまらない人間だ、というのは渡も自覚している。だが、渡には改善する気力はない。


 この小さなせかいの不条理さに、抵抗する気力は奪われていた。


「それでね、その旅人さんの顔ちらっと見たんだけど、すっごくカッコよくて――。あ、時間だ」


 六時を告げる鐘の音が聞こえて、会話は終わりとなる。


 この村にはお祈りの時間というものがある。村においての家の立ち位置、影響力などによって、そのお祈りの時間は異なっていたりする。

 少女の家のお祈りの時間は確か七時だったと渡は記憶している。その前に家に戻り、準備が必要なのだ。


 御使家は夜の十二時である。これは御使家が有力四家の一家であることが要因で、他の家とはお祈りの祝詞さえ異なる。


「さて、と。お祈りの準備しなくちゃ。……確か、渡くんのお祈りの時間は、夜だっけ。いいなぁ、いっぱい遊べて……ってどうしたの? 変な顔して」

「なんでもないよ。お祈り、行ってらっしゃい」


 小さな孤独感が顔に出ていたらしい。渡はとりあえず笑って誤魔化して、少女と別れた。


 少女だけではない。村の誰もが、お祈りの為だから、とそれまでの全てを中断して家に戻る。そして他の誰もがそれが正しいことであると信じ切っている。


「じゃあね。このは、後で持ってくね~!」


 違和感を覚えているのは渡だけだった。自分がおかしいような気もするし、自分以外の全員がおかしいような気もする。親に話してもそういうものだ、と簡単に片付けられてしまい釈然としなかった。


「…………」


 完全に一人になったことを確認して、にやり、と渡は笑った。


 退屈で、怠惰で、停滞しきったこのせかいに訪れた初めてと言ってもいい刺激イレギュラー。――で、あればやることは決まっている。


「追わないと、ね」


 好奇心は猫を殺す。だが、まさか猫どころか怪異を殺すことになるとは、この時の渡は思いもしなかった。


 来訪者はすぐに見つかった。と言っても自慢の推理力を活かして、などという訳ではない。学者というのなら村の情報が集まる場所――村長むらおさの家か小さな図書館に寄るだろうと思って向かっただけのこと。


 それに、道中の人にそれとなく聞いてみれば簡単に教えてくれた。いつもは気難しい顔をしていて避けがちな人でさえ、意を決して聞いてみればどこか口が軽くなっていた。

 村人の様子などに違和感を覚えたが、しかしそれは後。ひとまず来訪者を確かめることが優先だ。


 図書館といっても一階建ての一軒家くらいの大きさで、本の管理者が一人いるだけの施設だ。

 息を潜めて、足音を消して、図書館の中を進む。いつもはキリッとした感じの本の管理者が、ぼけっと放心していたが、それも気にせずに進む。


 男二人の話し声が聞こえたのは最奥。誰が読むのか分からないこの月呼村の起こりや成り立ちについて記された巻物などが保管されているはずの部屋である。


 耳を澄まして、二人の会話を聞く。


「さて、と。クロウ、これまでの情報をまとめると、どうなる?」

「えっと……、ここは数百年周期のサイクルで特殊な儀式を行う為に、選ばれた一族のみが住み続けている聖域です。しかし、前回の儀式の際に何らかの異物が入り込んだ。その結果、儀式に歪みが起きた。――それでもって入り込んだ異物というのが、今回私達が探していた相手と思われますが、前回の儀式の時に恐らく巻き込まれて消えている、って感じですかね?」

「その通りだ」

「……はぁ、なるほど今回も徒労に終わった訳ですね」

「まぁ、フィクションの定番みたいに、司祭か何かになって村を支配……なんて感じになってないだけマシだ。俺達の目的のバカはもう死んでる。行幸行幸」


 乾いた笑みが漏れ聞こえて、それで彼らの会話が一つ終わった。


 実際に彼らを見て、そしてようやく驚く。その会話の内容ではなく――


(どうやって、ここまで入り込めたんだ……?)


 村に来訪者が来るという事象自体が、おかしいのだ。正確に言えば、来訪者の存在をこの村が受け入れること。


 それがおかしい。


 曰く、数一〇〇年以上前に何かがあったらしい。それ以来、村は外部の人間を嫌う傾向にある。人だけではなく外部の存在や概念が流入することを極端に嫌っている。


 だから、あり得ないのだ。


 来訪者がいること、そんな人間が受け入れられていること、そのどちらもが。


 近付いたのと同じように、気付かれないように、距離を取る。


(てっきり、誰かの悪戯とか、勘違いだとか思ってたのに。……何者なんだ。あいつら)


 よほどの会話術を持っているのか、それとも何か渡の知る理屈とは異なる『何か』を用いているのか。

 頭の中で、そんな二択が浮かんだ。


 その後も渡は慎重に男二人の追跡を続ける。


 そうしなければ、と謎の使命感に駆られていた。


 それからしばらく追跡を続けて分かったことがある。二択は、恐らく後者であるということだ。

 二人と出会った人々は最初渡の知るように敵愾心を顕にする。ところがマスターと呼ばれていた男が少し会話をするだけで、まるで旧知の仲だったかのように親し気に会話をし始めるのだ。


 その後、ようで、彼らとのやり取りが終わると少しぼぅっとした状態が続く。これまでにすれ違った人々と同じような状態になっていた。


 まるで男二人に記憶や認識を操られたかのように。


 頭上で爛々と輝く満月の下にいたせいか、渡はとある存在を思いつく。


「――吸血鬼?」


 数百年前から情報も何もかもが統制された村。西洋の怪異など誰も知らないはずだというのに、渡はどうしてか明確な吸血鬼のイメージを想像していた。


 夜。時間を気にしながら、彼らが向かったのは山にある洞窟。お祈りの際はそこに向かって祈りを捧げる山だ。そこに洞窟があって、何かがあるということを村の人々は知っているが、何があるのかは知らない。知ろうとすら考えない、そういう場所だ。


 洞窟の中は、冷たい空間ではあるが明るい苔のおかげで彼らを見失うことはなかった。

 彼らの声がギリギリ聞こえる程度の距離を取って、渡は洞窟の中を進む。彼らを追う。


「この奥が儀式の場、ですか?」

「ああ。山の霊脈が通っていて、風の抜ける音からして天井には穴が空いている。丁度、零時になった時に満月が見える場所に、な。どう考えても儀式に使う為の穴だ」

「……月呼。つまり、月を触媒に怪異を呼ぶ為の儀式の村。ですがこの儀式様式は西洋わたしたちのモノとは異なりますね」

「正解だ。場を整え、タイミングを合わせ、その上で使役などではなく願い乞い奉る。西洋おれたちとは怪異おれたちとの付き合い方が根本的に違う。よく分かっているな」

「何百年と貴方の傍にいるんです。流石に、嫌でも覚えますよ」

「ああ、そうだな。お前に教えることは、もう何もないようだな」


 ガチャリ。


 会話に集中し過ぎていたせいか、渡は何かを踏んでしまう。ひゅっ、と喉から変な音が出て、慌てて息を殺し、存在感を消す。幸いにも彼らは気付いていないらしい。そのままのペースで会話も歩みも続いていた。ほっ、と安堵して踏んでしまった『何か』を見る。


「……拳銃?」


 リボルバー式の銃だ。武器として、そういうものがあることは知っている。


 この銃がマスターと呼ぶ男に対して致命傷を与えるものだということも、どうやって使えば正しく当てることができるのかも、この中の銀の弾丸が一発のみであることも、どうしてか知っていた。


 どうしてここにこんなものが落ちているのか、という何故かに、これは必要なものであるということを確信した。


 ごくり、と唾を飲み込む。覚悟の音だ。


 殺さなければならない、と渡は思った。機会を窺って、『今だ』、というタイミングで撃つものである、と理解した。


 そうしなければならない、とそう思い込んでいた。


 静かに、彼らを追う。追い続けて、しばらく。男二人は石造りの重々しい扉の前に辿り着いた。


 洞窟の中に作られた人工的な間。この先が、彼らの言う儀式が行われるはずの場なのだろう。


「はい、ドーン」


 どうするのだろう、と考えた渡の答え合わせをするかのように、マスターと呼ばれていた男は扉を粉砕した。およそ人間から出力されるべきではない威力で、扉は粉々に弾けとんだ。


「大人しくしてください。この儀式は失敗します。百年前の過ちを繰り返すつもりでないのならば、大人しく中断しなさい」

「だ、誰だお前ら!? なんで、ここに、どうしてッ!!」


 村長むらおさの声。疲弊しているような声でもあり、驚愕と怯えが混ざっているような声でもあった。


「……チッ、やっぱり器があったか。テメェ、そのガキに何しやがった? どれだけの禁呪を、使いやがった!」

「マスター、落ち着いてください。まずは儀式を止めな――。っ、そんな、これは」

「気付いたか? これは儀式じゃねぇ。神事だ。止めたら、神罰が下る」

「そんなっ!」

「…………。ま、知ってたけどな。――『今だ』、クソガキ」


 男の声を聞いた瞬間、渡の意識はくらりと遠のいた。

 気が付けば、渡は持っていた拳銃で男を撃ち抜いていた。


「……あ、れ。俺、は……、なん、で?」


 頭に鋭い痛みが走る。記憶が戻ってくる。

 今日の朝。渡は既に男二人と出会っていたのだ。

 目が合って、そして暗示を植え付けられた。

 理解する。自分は操られていたのだ。今ここで、マスターと名乗る吸血鬼を撃ち抜く為だけに、操られていたのだ、と。


「さて、東洋こっちの神様は色々と寛容だって聞くが、俺の願いも聞いてくれるのかね」


 月光が、洞窟に入り込む。

 儀式――否、神事は、捻じ曲げられた術式を強制的に修正させられて、完成する。

 まばゆい光と共に、台座で眠る少女の身体に『何か』が降りた。


 起き上がった少女は、にやりと笑っていた。

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